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大変更新が遅くなりました・・・・
申し訳ございません。
 
第1章はこちらです↓
 
それでは、第2章をお楽しみください。


 
〜プロフェッショナル〜
 
イメージ 3
 
フロンティアーズに入部した森本さんが、最初に周囲を驚かせたのは、
その走りではなく体形だった。
 
アメリカに滞在していたこともあり、70キロ前後だった体重は85キロまで増加していた。
 
コーチには「詐欺や!」と言われ、すっかり輝きを失ったRB森本はモチベーションを失いかけていた。
だが、翌年になるとチーム状況と共に、森本さん自身も一変することとなる。
 
「まずは中澤(現フロンティアーズコーチ)が入ったのが大きかった。
 本当にすごいQBだと思った。あと当時のRBコーチが、新人の洋くん(現フロンティアーズコーチ)を使ったりして、
 後輩に負けるのが悔しくて一気に闘志に火が付いた。」

減量をするために、最初は食べないダイエットをしていたが、これが怪我につながる。

「タンパク質をしっかりとらないとだめだと気付いた」。
それ以来、シーズン中になると食事を完全に制限する森本式ダイエットが始まった。
 
1998年のことだ。元来油物や甘い物が大好きな森本さんは、オフにはそれらを食べたいだけ食べる。
もちろんお腹はぶよぶよだ。
 
しかし、シーズン開幕が近づくと、ノンオイルのツナ缶、とりささみ等のタンパク質
に食事を完全に切り替え、一気に体を仕上げるのだ。下記のビフォアー、アフターの写真を見ると、
とても同一人物の体とは思えないほどだ。
 
                            【Before】                  
イメージ 1
    
                                
              【After】
イメージ 2
 
 
もちろんウェイトコントロールに加えてフィジカルも徹底的に鍛え上げる。
 
元々トレーニングをしているところを人に見られたくない森本さんは、夜にこっそりグラウンドへ行っていたそうだ。
 
「今は夜にトレーニングするやつもけっこういるけど、昔はあまりいなかったから、
森本は夜に寮を抜け出して遊んでるって陰口たたかれてた。全然気にしなかったけど。」
それらの努力で作り上げられた肉体が、彼の走りに磨きをかけて、
冒頭に記した2000〜2004年シーズン5年連続リーディングラッシャーの偉業へとつながったのだろう。

ちなみに、アメリカ人すら驚かせたワールドクラスともいえる森本さんの肉体の部位が存在する。上腕三頭筋だ。
 
 

〜2003冬・・・・・出会い〜
 
フットボールが絶好調だった森本さん。この時期、実はプライベートの方も好調を持続していた。
 
部内の人事異動で新しい席に着いたある朝、ふと右斜め前に目をやると、そこには天使が座っていた。
 
現在は森本さんの妻である、なおみさんその人だった。
イメージ 4
 
 
森本さん曰く、「角度にやられた」。
 
 
角度はアメフトのテクニックにおいても重要な要素だが、
無理やり例えるならば"ファーストヒットで強烈なアングルブロックを食らった"といったところか。
 
その日以来、森本さんは滝川クリステルもびっくりの、右斜め45度の男となる。
 
しばらくしてランチフレンドへと昇格した森本さんは、その後も足を止めることなくエフォートを続け、
次々とファーストダウンを更新していく。
 
しかし、ここで大きな障害が立ちはだかる。
 
詳細は後述するが、アリーナフットボールに挑戦するため、アメリカへと旅立たなければならなかったのだ。
 
日本とアメリカという遠く離れた地に分かれた二人、普通だったらこの恋は実らずに終わるだろう。
 
だが、森本裕之はやはりストイックだった。
国際電話を惜しげもなくかけつづけ、帰国して請求された通話料金は一月10万円を越えていた・・・
 
その甲斐あってか、その後森本さんは、このロングドライブを見事にタッチダウンへと?げることに成功した。

そして、このなおみさんの存在が、森本さんのキャリアの最終章において、大きな意味を持つこととなる。

 
〜アリーナフットボール〜
 
フロンティアーズ関係者ならみんな知っていることだが、森本さんはブレナンと大の仲良しだ。
 
イメージ 5
二人でいると、まるで幼いころからお互いを知っている竹馬の友に見えてくる。
 
もちろん出会ったのはブーが来日した2004年シーズンなのだが、
森本さんは当初から積極的に彼とコミュニケーションをとっていった。
 
彼がそのように行動した背景には、自身がアリーナに挑戦した時の経験がある。
 
すなわち、一人異国の地で心細い時に、やさしくされることがどれだけありがたかったか、ということが身に染みているのだ。
 
 
 
森本さんは2004年シーズンの3月〜7月まで約5カ月間、
ルイジアナ州にあるバトルウィングスというアリーナフットボールのチームに所属していた。
 
アリーナフットボールについて簡単に補足を入れておく。
 
1987年に創設された室内フットボールリーグ。2000年には下部組織のAF2が誕生。
 
バトルウィングスは当時はAF2に属していた。過去には日本代表がサムライウオリアーズとして、
AF2のチームと国際エキシビジョンマッチも行っている。
 
2008年に不況のあおりを受けてリーグが解散するが、今シーズンからAF、AF2が
合併するかたちでアリーナフットボール1というリーグが設立された。
 
ちなみにバトルウィングスは過去2年連続で地区優勝し、現在は強豪チームのようだ。
イメージ 6
 
私は学生時代にアリーナの試合を一度だけ観戦したことがあるが、
アメフトとの最も大きな違いはテンポの速さだと感じた。
 
フットボールという競技は反則や選手交代(魅力でもあるが)等で試合が間延びするという欠点がある。
 
アリーナはオフェンス優位のルールでぽんぽん点が入る上、攻守両面で出場する選手が多く、
とにかく試合が速いテンポで展開していく。
 
これは私の推測だが、オフェンス対ディフェンスがガチンコでぶつかりあうNFLとは違って、
ハイスコアになるアリーナをアメリカ人はバスケット感覚で楽しんでるのではないか。
 
 
話を森本さんに戻すと、当時脂がのった全盛期ともいえる状況で、2003年のドイツW杯に出場。
 
そして、翌年のアリーナ参戦へという流れは当然だったのかもしれない。
付け加えるならば、留年した年にアメリカへ行き楽しい思い出があったことが、その挑戦に拍車を掛けたようだ。
 
実は森本さんに取材した時点では、アリーナ挑戦についてあまり多くを聞くことができなかった。
 
「とにかくしんどかった。けど人には良くしてもらった。」という断片的な言葉だけが残った。
 
その言葉の意味することが鮮明になったのは、
当時の挑戦の詳細を記した「ルイジアナから愛」という富士通社内向けの日記を読んだときだった。
 
私はその日記を一気に読んだのだが、そこにいたのは、痛々しいほどにもがき苦しむ森本さんだった。
 
森本さんの当時の葛藤は、なかなか自分を認めてもらえないジレンマ、ジャンクフードに囲まれ、
体のメンテナンスも満足にできない環境等いろいろある。だが、私が最もインパクトがあったのは、
プロの世界という現実だ。
 
昨日まで寝食をともにしていたチームの仲間が、次の日にはいなくなるということ。
 
森本さんのルームメイトのQBとKは偶然にも同じボーという名前で公私共に心の支えだった。
 
だが、QBボーは出場機会を求めて移籍し、Kボーは試合中にコーチと衝突してカットされることとなる。
 
QBボーが去る時に言った言葉が印象的だった。

Hiro is my favorite football player ……I want him to come with me to texas.

 
シーズン終盤には出場機会も得るが、森本さんは満身創痍となって日本に帰国することとなる。
イメージ 7
 
〜最終章へ続く〜

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