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【第1章】
【第2章】
〜レジェンドの追い求めたRB像〜
アリーナに挑戦した2004年から遡ること一年。本人も絶好調だったと自負する2003年シーズンに、
森本さんは、ぴあの取材で理想のランニングバックについて、こう話している。
「別に何も考えてないんですよ。走り終わった後で穴が空いてたんだなって気付くくらい。 逆に何かを考えて走っているようじゃ全然抜けられないでしょうね。
ぼくはボールを持ったときの当たりが強いと言われるけど、やっぱりカットバックにこだわりを持ってます。
だって大きな人と当たると痛いじゃないですか(笑)
それよりはうまくかわせればいいなって学生のころから思いながら練習してきました。
"誰にも触らせないランニングバック"それがぼくの追い求めるイメージなんです。」
森本さんが理想とするRBはバリー・サンダースと山下次郎。 共にカットバックを得意とするランナーという点で上記のコメントと一致している。
だが、このイメージは学生の頃のそれと比較すると、社会人のキャリアを通してマイナーチェンジを経ている。
繰り返しになるが、突貫ランナーだった高校時代に、自然と体が反応した"あのカットバック"以来、 森本さんはカットバックで相手をかわすタイプだった。
しかし、ある時大学の外国人コーチに「too much dance!!」とその走りを否定された。
当時はタックルをかわして何が悪いんだと思っていたそうだ。だが、
その意味するところが最近になって分かってきたという。
「基本中の基本だけど、いかにたてに進むことが大事かということに気付いた。」
たしかに華麗なステップでディフェンダーをかわすことも重要なテクニックだ。 しかし、最終的には1ヤード、いや数インチを獲得するために死力を尽くしてぶつかりあうのがフットボール。
そのぎりぎりの肉弾戦の最中での不要なステップ一つは、チームを敗北に導く行為に等しい。
「うちの(フロンティアーズの)RBは少しだけそういう傾向があるかな。」 思い出したように森本さんが言った。このタイミングで私は用意していた質問をぶつけた。
「森本さんが培ってきたノウハウやテクニックは後輩に伝えようと思わない?」 「コーチを兼任するようになってから変わったけど、それ以前は基本的には何も教えなかった。 だって、自分が試合に出れなくなるの怖いやんか。自分はちっちゃい人間やねん。」
森本さんはこう答えたが、別の理由もある。RBのスタイルは人それぞれという森本さんの考えからだ。
だからこれほど実績のあるベテラン選手でありながら、自分のスタイルを押しつけるようなことはしなかったのだろう。
アメリカには「QBはコーチが育てて、RBは母親が育てる」という格言がある。 すなわちQBは指導者や経験次第で成長するが、RBは持って生まれたDNAが左右するところが大きいという意味だ。
たしかに、すごいRBは最初からすごい。だが、森本さんはカットのきれない突貫ランナーから始まって、
カットバックを習得、肉体改造を経て、日本を代表するらランナーへと成長した。
森本さんは自分自身を不器用な選手と語る。
アリーナで新しいポジションに挑戦した時の奮闘ぶりをみてもそれは頷ける。
だが、なまじ何でも器用にこなせる選手じゃなくRB一筋で貫いてきたおかげで、
ここまでのキャリアを築くことができたのではと思えてならない。
〜復活〜 話を再び2004年、アリーナ挑戦から帰国した後に戻す。
このシーズン、フロンティアーズはリーグ最終戦時点でプレーオフ進出の芽が断たれていた。
目標を失いかけた時、当時主将の高橋選手の呼びかけで、
最終戦で森本さんにリーディングラッシャーをとらせようということになる。
その期待に応えて森本さんは200ヤード以上を走り、
2000年から5年連続でXリーグのリーディングラッシャーとなった。
だが、この時すでに森本さんの体は悲鳴をあげていた。
米国でぼろぼろになった体に鞭打ち、なんとか2004年シ-ズンを終え、オフはしっかりと休養にあてた。
しかし翌2005年シーズン、回復したはずの体は全く言うことを聞かなかった。
カットを踏むだけで体に激痛が走り、
日常の動作ですら痛みを伴うようになっていた。2006年になっても症状は変わらない。
パールボウルトーナメントの決勝では、きれのある走りで活躍したように見えたが、
本人から言わせると好調時の感覚とはまるで違っていたそうだ。
引退することも頭をよぎったそうだが、森本さんは2007年も現役を続行する。
その決め手の一つとなったのが、なおみさんの存在だ。彼女に本来の走りを未だ見せることができていない。
それが森本さんの心の中でひっかかっていたのだ。
その想いを後押しするかのように、このシーズン、コンディションは上向いていく。 新たに通い出した治療院(健勝堂)のおかげで、体の痛みが和らいでいったのだ。
そして迎えた秋季リーグの第二節、21−7で初めて宿敵オービックを撃破した。
この試合で森本さんは93ヤードを走り完全復活。会場からは森本コールも起きた。
「秋にシーガルズに勝ったのも初めてやったし、ほんま神様が最後にチャンスをくれたって感じかな。 かみさんにいいとこ見せたれって。
昨年の現役最後の試合すら泣かないようにしたんだけど、
この試合はカウントダウンの時泣いてもうた」。
一時代を築いたランナーがカムバックした瞬間だった。
〜フロンティアーズが日本一になる日〜 「くいがないと言えば嘘になる。だけど、昔のビデオを見たらやっぱりやめた方がええんかなーと思ってしまう。」
2009年シーズンでの引退を決意していた森本さんは、きっぱりユニフォームを脱いだ。 東京スーパーボウル時代から含めて、3度社会人決勝に進出しながら、ことごとくはね返されてきた。
後輩たちに悲願の日本一を達成して欲しいかと聞くと、森本さんは複雑な表情を見せた。
「もちろんみんなにはがんばってほしいけど、自分が引退してすぐ日本一になられたら、
ちょっとしゃくかも(笑)。けど、がんばってるみんなを見たら、そんな気持ちにはならないだろうけど。」
ふだんは物腰が柔らかく温厚だが、森本さんはグラウンドでは時に熱くなる。
特に練習でQBやRBが危険なタックルを受けたとき、真っ先にディフェンスとけんかするのが森本さんだ。
決してやられた仲間を放っておかない。
森本さんはフロンティアーズのチームスピリットでもある「One Family」をとても大事にしていて、
実際チームにとても愛着をもっている。
森本さんは昔、ブーと富士山に登り、その時言われた言葉のメモを今でも
財布の中に大切にしまっている。
「There is no " I " in team.」 チーム力を考えてもフロンティアーズが近い将来日本一を達成する可能性は大いにある。
「We did it!!」。その瞬間に、森本さんが14年間かけてその"We"の中に残してきた何かも完結するのだろう。
森本さん、本当にお疲れ様でした。
記:松元 竜太郎/編集:白木 栄次
最後に、森本さんの今までの軌跡をご覧下さい。
編集後記
健勝堂鍼灸整骨院の福島先生よりコメントをいただきました。↓
うす。福島です。
森本さんが当院に始めていらした事は、今でも覚えています。
当時、JAPAN−USABOWLの時だったでしょうか?
現アサヒ飲料の星谷選手のご紹介だったと思います。
無理やりコンデショニングのトレーニングもやってもらいましたね。
当時は人見知りする選手だなぁと思っていました。
僕が森本さんを治療するようになって印象に残っている試合が、2006年のシーガルズ戦でした。
当時は「勝てたら引退しますよ(笑)」なんて言ってましたが、
思い入れが凄く伝わってきました。
引退して、森本さんの走りが見れないのが寂しく感じます。
長かったフットボール人生の中でほんの少しですが、
森本さんの歴史に携われた事は僕にとって幸せな事です。
長い間お疲れ様でした。
また、食事にでも行きましょう!!
PS:提灯捨てないでくださいね!!
完 |
FINAL Magazine
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