過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

【Final Magazine特別企画】「He is Legend」森本 裕之の全て・・・第1章



イメージ 1



一人の人間が“伝説的な人=レジェンド”と呼ばれる条件は何だろうか?

私はこう考える。

人々の“記憶に残る”活躍を“長期間”続けることだ。


まずは“長期間”ということ。

一時的な活躍だと人はまず“怪物”や“カリスマ”と呼ばれる。

もしくは“伝説の試合”、“伝説の夏”といったように、
その敬称は人ではなく出来事の方に付くことが多い。


次に“記憶に残る”というところ。


野球に例えるならば、野村は現役時代記録の上では長嶋を上回っている。
だが、伝説という修飾詞が付くのは長嶋の方である。

キャラクターの違いもあるが、長嶋が天覧試合でのホームラン等、
印象的な活躍をしていることがそうさせている。

つまりXリーグにおいて、748yというシーズンラッシング記録や
2000〜2004年シーズンに前人未到の5年連続リーディングラッシャーという実績を誇っていることは、
“レジェンド”であるための十分条件であって、必要条件ではない

そう、彼がフロンティアーズで14シーズン、人々にインパクトと感動を与え続けた
“走り”こそが、RB森本裕之が“レジェンド”たる由縁なのだ。



〜下町の次男坊〜


大阪の下町で育った森本さんは、少年時代を
「とにかく兄弟喧嘩を毎日していて、いつも兄貴に泣かされていた」と振り返る。


小学校に入ると父親の影響で、町の道場で柔道を始める。当時は太っていて、
かなり強かったそうだが、柔道にあまり楽しい思い出はないという。

「ある時、練習をさぼったら、次の練習で先生にばんばん投げられて、余計に柔道が嫌いになった。」

中学受験を控えて、塾に通うために5年生で辞めることになるのだが、
4年間道場に通って得るものもあったという。

「体に染み付いた受け身はアメフトにも役に立っている。倒れる瞬間、
あごを引いて頭への衝撃を和らげたり、いろんな場面で生かされていると思う。
あと正座を長時間することが苦痛じゃないかも。」


関大一中へと進学した森本さんはバスケットボール部に入部する。ポジションはFWだったが、
セットしたオフェンスで出番はなく、走力を生かした完全な速攻要員だったという。

ここで疑問に思ったのが、森本少年はいつやせたのかという点だ。

答えは受験勉強期間だった。


森本さんがシーズン中とオフ期間でウェイトコントロールを行っていたことは後述するが、
それとは関係なく、時にストレス等で激やせするというデリケートな一面を持っているのだ。

その要員の一つに恋愛もある。詳細は差し控えるが、過去には大失恋をして、
拒食症や過食症のような症状になったこともあるというほどの敏感な恋愛体質だった。


バスケと共に中学時代に行っていたスポーツが剣道だ。

こちらも父親の影響なのだが、全く楽しくなかったそうだ。

私の森本さんのイメージの中で、野武士的というか、どこか純和風な香りが漂う男というものがある。

それは嫌々やっていたにせよ、おそらくこれら武道の経験によるものだろうと妙に納得した。


中学時代から足が速かった森本さんだが、この時期成長に伴う股関節亜脱臼症に悩まされていた。
部活動はもちろん、体育の授業を欠席することもしばしばで、
満足に運動ができない自分にいら立っていたそうだ。

ランナー森本の誕生はもう少し先の事になる。




〜ランナーとしての覚醒〜


関大一高へと進学した森本さんは、「アメフトやったらもてるで〜」
という友人の言葉に誘われるがままにフットボールを始めた。
(実際、モテだしたのは、社会人になってからだが・・・)


イメージ 2


初めてのポジションはランニングバック。

そして、米国のアリーナに挑戦した時期を除けば、
森本さんは20年のフットボールキャリアを一貫してRBとしてプレーすることとなった。

一年、二年時はフルバック。当然ボールを持つよりもブロックがメインのポジションだ。

チームは強く、二年時にはクリスマスボウルにも出場したが、
ブロックにそれほど楽しみは見いだせなかったそうだ。小学校の柔道から始まって、
あんまり楽しくないと思いながらも続けてきたスポーツ。

それは高校でフットボールに出会っても変わることはなかった・・・はずだった。

状況が変わったのは高校三年時。エースのTBが怪我で戦線離脱し、森本さんがTBを任された。

FB出身のパワーランナーとして、相手を避けることを一切せずに、
相手に向かって突っ込んでいくというスタイルだった。

高三の大阪大会準決勝、その時は突然訪れた。

未だ突貫ランナーだった森本さんが突如として、カットを切った。自然に体が反応したカットバック。
これが森本さんのランナーとしての原点だという。

その後は当時の1試合の高校ラッシング記録を塗り替えるほどの走りをみせる。

まるで朝顔が夜明けと共に一気に花を咲かせるがごとくの、
ランナーとしての劇的な開花。二年連続全国大会進出はならなかったが、
森本さんがRBに、フットボールへと急速にのめり込んでいった瞬間だった。


イメージ 3



〜憧れの存在〜


とはいえ、関大に進学した当初フットボールを続けようか迷っていたという。

そんな迷いを吹き飛ばしてくれたのが、当時4年生だったRBの山下次郎さんの存在だった。


関大といえば森本さんをはじめ、波武名選手、古谷選手、石野選手と
歴代日本代表のRBを輩出していることで有名だが、
山下選手も90年代を代表する名RBとして名を馳せていた。

そんな憧れの先輩に声をかけられて、すぐに入部すると、
山下選手のプレーを練習中から常に追うようになる。

その存在は圧倒的で、森本さん曰く、
「練習中にタックルされてるイメージがほとんどなかった。
スクエアドリル等、ディフェンスとの1対1では、触れることすら許さなかった」そうだ。

森本さんのRB論は後述するが、この山下選手の強烈なインパクト、
彼に追いつきたいという気持ちは、引退するまで持っていたという。


実際山下選手が引退する際に、森本さんはジャージをもらっている。

また、フロンティアーズファンならずともすっかりおなじみの、20という森本さんの背番号は、
21番だった山下選手と同じ番号は恐れ多くて付けられず、
その背中を追いかけるために敢えて1つ下の20をつけたという経緯がある。


高校とは違って、大学のチーム状況は決して強豪と呼べるものではなかった。

2年時から随時試合に出場するようになると、3年時にエースRBとなる。
しかし、そのシーズンにまさかの2部落ちを経験することとなる。

最終学年で再び一部に返り咲いて大学のキャリアを追えることとなるが、
一部下位校であるが故のコンプレックスを味わわされた面は少なからずあったようだ。

当時強豪だったマイカルと新興勢力の富士通という二つのチームからオファーがあった森本さん。

二つのチームを比較すれば、当時はチーム力、
待遇などからマイカルを選ぶ選手が圧倒的に多かったという。

だが、森本さんは富士通を選択した。理由は父親の鶴の一声だった。

武道(柔道・剣道)など、幼いころから森本さんに影響を与えてきた親父さんは、
実は大阪市内で布団屋さんを営む商売人だった。

そして森本さんが相談すると、商売人としての観点でこう即答したという。

「そりゃ、富士通に決まっとる。これからはグローバルの時代。富士通で世界と勝負するんや。」


海外留学などをして過ごした一年間の充電期間を経て、フロンティアーズ森本が誕生する。



〜第2章へつづく〜 近日掲載予定!

全1ページ

[1]


.
えいじ
えいじ
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
検索 検索

過去の記事一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事