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ミラン快勝♪、マドリーは崖っぷちに。。。

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ロマーリオ

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ロマーリオ・デ・ソウザ・ファリア(Romário de Souza Faria、1966年1月29日 - )は、ブラジル出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード 。 1980年代後半から90年代を代表するストライカーの一人。

略歴

クラブ
ブラジル内外の強豪クラブを渡り歩き、スペイン・FCバルセロナ在籍時の1993-1994シーズンは出場33試合で30ゴールという驚異的な決定力を発揮して得点王を獲得し、クラブをリーグ優勝に導いた。そのあまりに常人離れしたプレーぶりから相手クラブの監督からは「アニメの世界の住人だ」と評された。とりわけハットトリックを達成した1994年1月の対レアル・マドリード戦で奪った見事な先制ゴールは「牛の尻尾」と呼ばれ今でも現地のファンの間では語り草となっている。

2004年にフルミネンセに解雇されたが、自らがデビューしたCRヴァスコ・ダ・ガマに移籍。2005年ブラジル全国選手権で22得点を決め、得点王に輝いた。2005年末までの現役続行の予定だったが、米国下位リーグのマイアミFCに移籍し、現役を続けることになった。マイアミでは19得点を上げ、リーグの得点王になる活躍を見せた。その後、オーストラリアAリーグのアデレード・ユナイテッドに、リーグ戦4試合限定の「ゲストプレーヤー」として移籍する事が決定。前所属のマイアミFCとの親善試合なども契約に含まれている。

2007年から再び古巣のヴァスコ・ダ・ガマに復帰。1年間の内に3度移籍をしてはいけないというFIFAの規定によってFIFA側はその移籍を正式には認めていなかったが、ヴァスコ・ダ・ガマは「アデレード・ユナイテッド在籍は『招待』であり『移籍』ではない」と言う主張を掲げチームに帯同させ、試合にも出場させている。ちなみに、その復帰初戦では10分間でハットトリック達成の離れ業を演じている。

なお、ロマーリオは現役生活で記録に残されていない自己申告も含まれているが、ペレに次ぐ世界2人目(アルツール・フリーデンライヒを含めれば3人目、2007年6月現在の現役選手で唯一人)の1000ゴールをマークしている。1000ゴール目は2007年5月20日の全国リーグ・スポルチ・レシフェ戦でのペナルティーキック。1000ゴール達成で引退するのではという噂もあったが、その後もプレーを続けて、更にゴールを重ねた。

これまで幾度となく引退をほのめかしその度に発言を撤回しプレーし続けてきたが、2008年4月、プロキャリアでの911ゴールを収録したオフィシャルDVDの発売記念会見の場で「これは公式のアナウンスである。私はもうプレーしない。」と、これまでの引退宣言とは一線を画し正式に引退する意思がある事を表明し、自身がプレーしたヴァスコ・ダ・ガマ、フルミネンセ、フラメンゴによる3クラブ共催の試合がマラカナンスタジアムで予定されており、この試合を以って現役を引退することが伝えられた。

代表

1987年5月23日のアイルランド戦で代表デビューを飾るとレギュラーの座を掴み、翌1988年にブラジル五輪代表としてソウルオリンピック準優勝、翌1989年には南米選手権優勝に貢献した。

しかし1990年のワールドカップ・イタリア大会ではカレカ、ミューレルらのライバルにポジションを奪われ、1次リーグ最終戦のスコットランド戦、1試合出場に終わった。

1994年のアメリカ大会では、5得点を上げてブラジルの4度目の優勝に大きく貢献。同大会のMVPと同年のFIFA最優秀選手に選出され、スター選手の地位を不動のものにした。

1998年のフランス大会は直前の怪我のために出場が叶わず、ブラジル代表は決勝でエース・ロナウドの不調が響き、フランスに3-0で破れ準優勝。

2002年の日韓共催ワールドカップでは、南米予選の後半で低迷するチームを救う救世主となるも、本大会のメンバー選考でルイス・フェリペ・スコラーリ監督の構想から外れた。落選を知ったロマーリオは、記者会見の場で人目をはばからず涙した。

2004年、ブラジル代表からの引退を表明した。

プレースタイル

上背は無いがストライカーに必要な能力を兼ね備え、巧みなポジショニングと冷静さでゴールを量産した。相手DFの裏を取る事が抜群に上手い、またシュートは強力かつ柔らかいタッチで正確、中でもドリブルはブラジル最高のウインガーであるガリンシャと並び称され、FCバルセロナ時代の監督ヨハン・クライフは「ロマーリオは止まった状態からでも30センチのスペースがあれば相手を抜ける、こんな選手ははじめて見た」と語った。 また、エゴイストで守備は全く行わないが、意外にもアシストも上手い。

特に1994年のワールドカップアメリカ大会で挙げた全5ゴールは、いずれも屈強な守備の一瞬の隙をついた、彼らしいものだった。特にオランダ戦における、ゴール左前からディフェンスラインの裏へ抜け出し、右足のアウトサイドキックで逆サイドのネットを揺らしたゴールは、オランダGKエド・デ・フーイを完全に出し抜いていた。

ディエゴ・マラドーナも自著の中で「類まれなストライカーであり、過去の全ての世代をかき集めたオールスターイレブンを作るとしても迷うことなく名前を入れる」と述べている。

エピソード

問題児としても有名で、ホテルの窓から観光客に向かって小便をしたり、野次を飛ばしたファンに殴りかかったりと逸話は数知れず。一時期は問題児として名高いエジムンドと「バッドボーイズ」を形成した。性格に難があることは自分でも自覚しているようで、「自分が監督なら関わりたくない存在」と発言している。しかし、その気質が愛されてかブラジル国民からの人気は高い。
その存在感を示す逸話として、優勝した1994年アメリカワールドカップの南米予選が挙げられる。ロマーリオは「ミューレルとは一緒にプレーしたくない」と公然とチームメイトを批判し、代表から外されてしまう。豊富なタレントを擁するブラジルだけにロマーリオ抜きでも容易に勝ち抜けるという見方が強かったが、チームは予想外の苦戦を強いられ、見兼ねたロマーリオは「オレを招集したら次の試合で必ず2点取る」と公言。その通りに復帰戦であるウルグアイ戦で2点を決め、ブラジルを予選突破に導いた。このような彼の有言実行ぶりは、熱狂的なファンを生んだ。
また、この1994年ワールドカップ前には移動の飛行機内でミューレルの隣の席を拒否した。
本人曰く、プライベートでも仲が良かったのはバルセロナのチームメイトであったフリスト・ストイチコフと、ブラジル代表でチームメイトだったドゥンガ。特にドゥンガに関しては、「代表に招集されればいつでも行く」とコメントしている。逆に仲が悪かったのはブラジル代表のチームメイトであったミューレルとベベット。ベベットに対しては「彼とはピッチの外では友達とはいえない」と発言している。またエジムンドとは犬猿の仲で度々言い争いを繰り返している。
右足利きだが、利き手は左。(字を書くのも左)

第3回目はロマーリオ
自称1000ゴールで最近は周囲を沸かせました。

プレーもさることながら私生活でも相当な自然児。
バルセロナ在籍時には試合前日にも関わらず朝まで酒と女。
みかねた当時監督のクライフが注意しようとお構いなし。
ついにクライフも懲りて『前日遊んでようが何だ!ゴールを決めればそんなの関係ない。』
と何故か記者からの質問に擁護・・・・

ブラジルW杯時には『オレにパスを出せ!オレはロマーリオだぞ!』と言ったとか。
まぁこのアドバイスが効いたのか優勝。伝説になりました。

プレーは本物でありサッカー史歴代FWベスト5には入れたい選手ですね♪(残りはペレ、ディ・ステファノ、マラドーナ、ファン・バステン?)

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