出会いの神様と魔物

筆者の日々の徒然をなんとなく語るブログ。様々な出会いとか、哲学とか、政治とか。その他この脳みそ内で蠢く全てのために。

様々な出会い

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数年前の記事(コッチ)にコメントが438もついていたwヤフーブログはよく閲覧してます。更新は止まっていました。

最近はtwitterにはまってます。あえてIDは公表しませんが結構フォロワーが多くて反響も大きいです。

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オンラインでコミュニケーションをとることができるツールがどんどん進化しているなーと思う。
音声や動画で地球の裏側にいる友達と簡単に会話を楽しむことができたり、技術以外でもタイトルの
ような場自体を提供しているサービスもどんどん進化している。

自分は読むことは大好きなんだけどこういった書き物はルーズな方なので、気の向いたときに思うまま
書き込むくらいで、ミクシィもオープン初期に紹介してもらった割にはこれまでで
書いた日記は10件もない。笑。
こういったサイトは利用の仕方は人それぞれだと思うので、自分の使いやすいように利用するのが一番
長続きするコツだと思うけど、自分の場合はやはりここを利用することがなければありえなかった出会
いみたいなものを重視して利用している気がする。

とはいっても知らない人に積極的にアプローチするわけではなく、友人の友人がたまたま自分の仕事と
関連があり、協力を仰いだりすることで繋がっていくというような出会い方がミクシィにおいてはコア
な利用方法になっているんだけど。

同じようにグリーも利用させてもらっているけど、こちらはどちらかというと経営
者的な立場の方が多く登録している感じがあって、そちら方面の切り口から仕事の場を広げていくとい
う形での利用が多いのかな。
なんか仕事仕事でつまらない人間みたいだ。笑。

こういったサイトは紹介制なので最近は入りたくても入れず権利をオークションで売ったりしている輩
もいるようだけど、そこまでいってしまうといきすぎな感がある。

自分がネットをはじめたのは今から10年くらい前なんだけど、このころはICQを使っていて、思えばここ
で知り合いになった台湾の子が今でも友達で、会いに行ったり来たりしている。
どういったところから深い信頼を築ける出会いが待っているかって全然わからないものなので、自分は
どんどん積極的に参加していくことが大切なんだなーとしみじみ思った。
多分そういう行動が前の記事で書いたような偶然を引き起こすことにつながるのではないかと。

デジカフェっていうサイトがあって、ここで紹介してしまってよいのかどう
かわからないんだけど、ここもある意味画期的な方法でコミュニケーションをサポートしていて、賛否
両論あるとは思うけどとてもよい出会いを仕事やプライベートなど多方面で見つけることができて自分
は信頼している。

あと最近はずせなくなったのはMSNメッセンジャー。簡単な会議はここで
済ませてしまうこともできるし、夜中でも仕事で聞きたいこと聞いたりできるしほんと重宝してます。

あれ、俺ってやっぱ仕事ばっかり?苦笑。


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まさかこいつとこんなとこで!?っていう出会い方したことある?
自分のこれまでで一番すごい出会いは、アジアを旅していたときカンボジアで10日間ほど一緒に部屋をシェアしていた男がいたんだけど、そのカンボジアくんは東京出身で、自分は名古屋出身だった。
別れる時に連絡先の交換はしたものの、特に連絡もそれ以降しないまま日本に帰ってきて、その半年後自分は東京に出てきた。
そしてさらに半年後、まさか!?が起きた。
仕事の打ち合わせで池袋駅を歩いていると、前から歩いて来る男にたまたま目がいき、記憶のかけらが頭をくすぐりだす。
じーっと見ていると向こうも気付いたようで、同じようにこちらをじーっと見ている。
すれ違いざまに二人の記憶がよみがえり、思わす「あーーーーーっ!!」と叫んだ。
そうそれはお察しの通りカンボジアくんだった。

何千キロも離れた地で出会い、別れ、そして一年後全く違う土地で同じように偶然出会う。
これほどの運命的な出会いは自分の人生では間違いなくランキング1位。
もし女の子だったら勝手に赤い糸の出会いだって思ってたかも。笑。
以来そいつとは東京でもたまに会って飲み食いする仲間になった。
でもこれは結構すごいよね。

荒木飛呂彦氏原作の「ジョジョの奇妙な冒険」自分はかなり好きなんだけど、6章ストーンオーシャンの中で、「出会い」には「引力」があるという部分が出てくる。
あながち間違っていないのかもしれない。
非科学的なことは基本的に信じない派だけど、さすがに何か別の力を考えずにはいられない出来事だった。

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宗教のはなし3

そんなわけで、宗教とは一体なんだろうと考えたとき、
一番大切なことを忘れてしまっている人が実は結構いるのではないかと思った。
宗教を金稼ぎの道具として利用するやつなんかまず論外。
というかこういうやつはもともと宗教なんて頭の片隅にも思っていない
ただの下衆なんだろうけど。

でも宗教が発端となる争いって古今多く存在してるよね。
戦争のような大きなものから宗教がらみで起こる近所の嫌がらせまで。
中東の方の争いなんか一言では片付けられないくらい問題が複雑化しすぎてしまっていて、
どうすれば平和に解決できるのか糸口もわからない。

でも本当の信じる心って言うのは、人に押し付けるもんじゃないし、上も下もないし、
一個人が思う崇拝がすべて、ただそれだけでいいんじゃないかと思う。
そもそも三大宗教の発端となる偉大な方たちはそんな争いをすることを望んでいないだろうし、
自分の考えを他人に押し付けるようなことも絶対にしなかっただろう。
その人の静かで、しかし強い意思と行動に自然と賛同する人たちが増えていき、
宗教と呼ぶまでの大きさになったのだろうから。

だからなにって話だけど、結局何事もいろいろな影響で複雑化されて見えなくなってしまって
いるものに気づき、本質を考えれば、自然とよいものが見えてくるんじゃないかと思ったのですわ。
そう生きていけるよう考えて動くけど、難しいのもまた事実。
うー深い。

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宗教の話2

そんな感じで一人旅を続ける中で、自分の中で大きく宗教というものに対する
考えの変化をもたらせてくれた出来事が起きた。
それはベトナムでのことだった。

大げさな書き方をしてしまったけど、その原因というのは全然大したことではなくて、
フエという街の日本人宿に近いゲストハウスに泊まった際のこと。
オーナーの人が日本好きということで、日本語字幕のついた映画や漫画が結構おいてあり、
その街の雰囲気に気に入ったこともあって、一週間ほど滞在しながら時にはごろごろと
漫画を読みふけったりするような日もあった。

そこで初めて手塚治虫先生の「ブッダ」に出会った。
恥ずかしながら小学生の頃は漫画家になりたくて色々と作品を描いていたにもかかわらず、
手塚治虫先生の作品はあまり読んだことがなかったのです。

環境のせいもあると思うけど、自分がその「ブッダ」から受けた影響は計り知れなかった。
すっかりブッダのとりこになった自分に気づき、同時に仏教=ブッダでは決してないということに
気づいた。
現在でも自分はブッダを心から尊敬している。しかし、○○宗だとかそういったことに興味は
さらさらない。
大切なのはこの偉大な人物がどういった人生を送り、何を大切にし、何を伝えたいかということ
を自分なりに理解し、それを見習いたいという思いからでる行動にあると思う。
日本に帰国後家でたまたま発見したへルマンヘッセの「シッダールタ」を読み、
内容は違えど伝えようとする何かが共通であるような感覚を受けてよりいっそう強く
そう思うようになった。

とはいえそんなえらそうなことを言っても自分も弱い人間。
ブッダの小指の垢の一部にも及ばないけど、ちょっとでも近づけるよう自分の行動に対しての
規範にさせて頂いております。

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