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黒の未亡人
セルビア語とスペイン語のかけもち学習で疲労しています…

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「黒作戦」の展開図
(画像はウィキペディアより)



◎ 英語版ウィキペディアより抜粋(一部再編集)
枢軸国は新たな攻勢のために、ドイツ及び同盟国(イタリア、クロアチア独立国、ブルガリア)の兵員約127,000人と、300機以上にも及ぶ航空機を動員した。

これに対するユーゴスラビア人民解放戦線の兵員は、22,148名である。

部隊の展開を終えた枢軸国側は、1943年5月15日に攻勢を開始した。今回は先行的な部隊配置により、ドゥルミトル山のパルチザンに対する包囲・孤立化に関して、有利な状況にあった。

そのためパルチザンは実行支配地域をめぐり、約1ヵ月にわたる過酷な戦いを強いられることとなり、しかもその地域は転戦のために放棄せざるなかった。

6月9日、パルチザン指導部に敵の航空爆弾が着弾したため、あやうくチトーは命を失うところであった(ただし、まったくの無事というわけではなく、チトーは腕を負傷した。)

戦後人々の間で囁かれた噂では、このときチトーの愛犬Luksが身代わりの犠牲となったことで、チトーは死を逃れることができた…ということである。

また、イギリスからチトーのもとに派遣されていたSOE(特殊作戦執行部)のスチュアート大尉も、このときの爆弾攻撃により死亡している。


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包帯姿のチトー(画像右の人物)
(画像は英語版ウィキペディアより)



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スチュアート大尉の死については、映画「スチェスカの戦い」でも描かれている。


…続きは次回に。


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