人生愉しみの 見つけ方

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 一泊二日の列車の旅

 取材や講演などで飛行機と鉄道の選択肢があるとき 事情が許す限り私は鉄道を利用する
列車の旅が好きなのだ といって私は景色を愉しむタイプではない
ただ ぼんやり景色を眺めていると 頭が休まるのがありがたい
私の場合は旅心というよりも ふだん味わえないリラックス空間として列車をとらえている

 第一に電話がかかってこないことがいい 私が何時何分の列車でどこへ行くかは
会社の人間しか知らないから 滅多なことでは電話はかかってこない 携帯電話は持っているが スイッチはいつもオフ 用件は留守番電話で聞く ものを考えるには これがとてもありがたいのである

 第二に列車の振動である あの振動は車窓の景色とあいまって 脳波をアルファ波にしてくれる
とろとろ眠くなるが あの振動のおかげでポンと素晴しいアイデアが浮かぶことがよくある

 第三に読書がよくできる 事務所や喫茶店 家の書斎よりもはるかに集中力が出るような気がする
原稿も書くこともある これも読書同様の集中力ではかどることが多い
最近は列車にワープロを持ち込む人がいるが ワープロならなおよいかもしれない

 「月山」という小説で芥川賞を受賞した森敦さんは 山手線の中であの小説を書いたというが
列車は他人に思考の邪魔をされずにくつろげる得がたい空間なのである
そこで列車を移動以外の目的に使うのはどうだろうか

 たとえば二、三日リラックスしたいと思うとき 温泉に行くとかいうことでなく一日中列車に乗っているのである 夕方着いたところで一泊して 翌日また列車に乗ってもどってくる
都合二日の休暇で見も心もリフレッシュできる 東京からだったら東海道を下ってもよいし東北方面へ出かけてもよい
何度か試して自分なりのルートをいくつかこしらえておくのだ 新幹線ではなくできれば鈍行の旅がいい

 都会で忙しく仕事をしていると 滅多なことでは旅に出られない 旅に出るとなるとホテルの予約がどうのと大袈裟になる それで結局やめてしまうことになる だが土日を利用して「一日列車の中」の旅ならそうむずかしくない 今日思いついて明日実行できる手軽さがある

 読みたい本を持って乗れば こんな愉しいことはないだろう
車窓から移り変わる景色を眺めるだけでも命の選択になる 夜は着いた所で一泊する
これも新鮮な愉しみが味わえるはずだ 一年に何回かやってみてはいかが

 ただし一つだけ条件がある 奥さんも仲のよい友人も連れずに自分ひとりで実行することである

 川北義則著 人生愉しみの見つけ方 PHP文庫より

  地味で平凡な人生こそすばらしい

 「福は禍なきより大なるはなし」中国前漢の哲学書『淮南子(えなんじ)』はこう教える
地味で平凡な生き方を「意気地がない」とか「人物が小さい」などといって批判する人がいる

 たとえば元気のいい女房におとなしい亭主 こんな組み合わせだと女房から不満が出てくる
「お隣のご主人は部長になったそうよ」「だれそれさんは転職するたびに給料が上がっていくんだって」

 男にとってずいぶん侮辱的な言われ方だが 最近の女性はこれくらいのことは平気で言ってのける
これだけ不満を言う女房が何をしているかといへば 亭主の月給でのうのうと暮らしているのだ

 人間はみんな欲張りだからないものねだりする 欲望を持つことは 人間が意欲的に生きる原動力になるので悪いとはいえないが 現状を肯定し さらなる飛躍として望むべきで 現状に不満たらたらと言うのは マイナスの作用しかない そういう態度では人生は少しも愉しくならないのである

 いかに出世が遅れようが安月給だろうが 家族全員を飢え死にさせない亭主は立派な亭主である
まずそのことをキッチリと認めることからはじめなければならない
『淮南子』が教えるように「福は禍なきより大なるはなし」なのだ

 不満も満足も考え方のクセの問題である それは単なる習慣なので 習慣を変えれば現状もすっかり変わってしまう 不満が多い人間は 考え方がマイナス思考の習慣になっているだけだ
プラス思考をすれば その瞬間から満足に変わる

 身体が健康ですべての機能がうまく運んでいるとき ことさら胃や心臓の存在を意識することはない
すべてに満ち足りている時も同じで 特別自分が恵まれているとは思はない
ところがひとたび胃がシクシク痛みだすと それが気にかかって仕方がない
人間はよいことには鈍感で 悪いことには敏感なのだ

 マイナス思考は放っておいてもできる プラス思考は意識してそう考えるしかない
人生をつまらないと感じるのは マイナスの色眼鏡をかけて景色を見ているようなものだ
何を見てもその眼鏡の色に左右されてしまう 始末に悪いのは自分がそういう眼鏡をかけていることに気がついていないことである

 プラス思考の眼鏡に取り替えればいい 何でも愉しいと思うことが プラス思考の眼鏡をかけることだ
そう思っていれば不思議にそう見えてくる 地味で平凡な人生こそが 一番自然に即した人生なのだ

 自然に即した人生以上にすばらしい人生はない

 川北義則著 人生愉しみの見つけ方 PHP文庫より

   23 喜びの受け皿をもっているか

 人生を愉しげに生きている人は さぞかし愉しいことが一杯あるのだろうと思うかもしれない
だが彼らは愉しいことがあるから 愉しげに生きているのではない 愉しむ心をもっているから
そのような人生が訪れているのである

 最初に愉しむ気持ちありきなのだ いくら愉しさを持ってきても 受け皿がなければ入れられない
人生うつうつとして少しも面白くないという人は せっかく愉しさの配給が回ってきても その受け皿がなくて受け取れないのである

 今日のストレス学説をつくったカナダの生理学者 ハンス・セリエによれば 人間は逆説に満ちた心理構造をもっている たとえば泣くという行為も 悲しいから泣くのではなく 泣くから悲しい
愉しいから笑うのではなく 笑うから愉しいのだという

 同じようなことをことをウィリアム・ジェームズ(アメリカの心理学者)は怒りで説明した
「腹が立ったからこぶしを振り上げるのではない こぶしを振り上げるから腹が立つ」
釈然としないかもしれないが 著名な心理学者が同じような指摘をしている点は注目してよい

 要は受け皿をつくっておけということだ イライラしているときに人に何かを言われると些細なことで腹が立つことがある 怒りの受け皿で受けてしまうのである 愉快な気分のときは ムッとするようなことを言われても笑って済ませられる この場合は愉しい気分の受け皿で受け止めるからだ

 「私は困難に立ち向かうとき さあこの困難を克服する経験を味わわせてもらいましょうと思う
  そうすると勇気がもりもりわいてくる」南極越冬隊長を務めた西堀栄三郎さんの言葉だ
眼前に立ちはだかる困難の向こうに大きな喜びの受け皿を用意するのだ

 これは物事を楽天的にとらえるか悲観的にとらえるかの差だ この段階ではどっちにとらえるのも心次第である
人生を愉しく生きるには楽観的にとらえたほうがよいことはいうまでもないだろう

 問題は人間の気持ちとしてなかなかそう思えないことである
どうしても悪い方へ 悪い方へと考えることが多いからだ
これを楽天的にとらえるにはどうしたらよいのだろうか 本能ではこれはむずかしい
そこで理性で考えていくしかない

 私は山登りの経験を思い起こせばよいと思う 登山しているときは「来なければよかった」と思うくらい苦しいものだが 頂上へ来るとその苦労も一編に吹き飛ぶ 人生の苦難もそれといっしょで 苦しさはいつまで続くわけでなく その向こうには大きな喜びが待っているのだ

 川北義則著 人生の愉しみの見つけ方 PHP文庫より

  22 幸福はすでに手中にある

 「幸福になりたい」などというと「男のクセして女々しい」という者がいるが
そういう人間だって幸福に憧れを持っていることはまちがいない
幸福希求は健全な精神の人間にとって当然の願望だからだ
生きとし生けるものは幸福を求めている―仏典にもそう書かれている

 問題は幸福の中身の方である ある人間は健康であれば幸福だと考える
ある人間は仕事がうまくいけば幸福と考える 金持ちになること 地位や名誉を得ることが幸福と思う人間もいる
幸福を求めるのはよいとして それとは別に現状をどう思うかが大きな問題なのである

 現状がどんな状態であっても「いまの自分は不幸である」という感覚を強く持っているとしたら
かりに自分が求める幸福の状態が得られても その喜びは束の間で また新たな不幸な気持ちを抱くようになるに違いない

「何々したら・・・・・」という幸福の求め方は 幸福になるのに条件をつけているからで そういう求め方をすると
束の間の満足とさらなる不幸感の間を一生行ったり来たりしなくてはならなくなる

 メーテルリンクの小説「青い鳥」の話を思い出してもらえばいい 幸福というのはどこかへ出かけていって手に入れるものでなく すでに手に入っているものなのだ つまり人は それぞれ現在の状態で十分に幸福だということである もしもいま自分が「幸福でない」と思うとしたら それは不幸なのでなく
自分の内部にあるにある幸福に気がついていないだけなのである

 ユダヤの格言に「右腕を切られたら左腕が残っていることに感謝せよ 両腕を切られたら足が残っていることに感謝せよ」というのがあるが 生きて幸福を求められること自体がすでに幸福だと思うことが大切なのである

 では そのような状態をどうしたら得られるか それは心安らかなときである
「幸福な生活は心の平和において成り立つ」と古代ローマの政治家・キケロがいっているが 心が平和であれば
たとえ死刑囚だって幸福感が得られる

 心が乱れていればどんな巨万の富を得ようが 立派な地位や名誉を獲得しようが 決して真の幸福感を得られない
金持ちがしばしば浮かない顔つきをするのは 財産を失うのではという恐怖感で心がいつも安定感を欠いているからで 貧しい生活をしている人間がいい笑顔をみせるのは 心が満ち足りているからなのである

 川北義則著 人生愉しみの見つけ方 PHP文庫より

  21五感を働かせば感動は深くなる

 視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五感が人間に与えられている
生きるためにには どれも必要なものばかりだ だが文明を想像できる人間は 五感の代用品を次々と
発明して活用する一方で 自然に備わっている 五感をどんどん摩滅させてきた
それがいま 来るところまで来た感がある

 視覚と聴覚はまだよく使っている方だが 嗅覚・味覚・触角は特別な用途にしか使わなくなってしまった
たとえば人の話を聞いて「何となく臭い」と感じるとか 人の要望や仕草から出てくる味といったものへの
感覚が鈍くなっているのである

 味覚は料理の味ばかりではない 味覚をもつから「味わい」が理解でき 嗅覚をもつから「匂い」を
察知することができる 触覚があるから 柔肌にもゾクゾクするのである そういう形で五感をフル活動すると 人生が生き生きしてくるはずだ

 邦訳題『香水』という無類に面白い小説がある 主人公は嗅覚の天才なのである
犬どころの話ではない あらゆるモノを匂いによってかぎ分け記憶できるのだ
われわれは人を識別するとき視覚で記憶する 顔を見てA君 B君を区別する
もし視覚が失われれば聴覚に頼るようになるだろう

 その男は目も耳も達者だが 本当はどちらも必要としない
一度匂いで記憶すれば忘れることはないからだ 私はこの小説を読んで不思議な気持ちになった
それほど鋭い嗅覚を所有したら 世界はどのように感じられるのか
私は子供の頃に読んだヘレン・ケラー伝記を思い出した

 聴覚と視覚を失った彼女は触覚によって物質を覚えていった
水に触れることで水という物質を知り それがWATERであることをてのひらの感覚で記憶していったのだ
嗅覚と触覚によっても世界を立派に認知できるのである
しかし 大部分の人たちは五感を十分に活用しているとはいえないのではないか

 もっと五感を働かせるようにすれば いま見えないものが見え 感じられないものが感じられ
味わえないものが味わえ 匂わないものが匂うようになるはずだ 五感をもっとよく働かせるよい方法は
とりあえず視覚を遮ってみることだ

 はじめてバードウォッチングに行った人が双眼鏡で必死に鳥を探し 見つけられないでがっかりしていると
ベテランがこう教えてくれたそうだ「耳を澄ませてごらんよ ホラ まわりにいっぱいいるじゃないか」とたんに幾種類もの鳥のさえずりが耳に飛び込んできたという 見えない世界も豊饒な世界なのである

 川北義則著 人生愉しみの見つけ方 PHP文庫より

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