夢亥小説創庫・「芙美湖葬送」「童女トン」「老病死工場の白い雲」他

82歳・置き土産小説・評伝・・・「あいつが死んだ」「銀河を掃いた少年」「ぶーげらと二十紋の足袋」他

「自伝・南京虫」

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

波乱の予兆

 何かが大きく動き始めている。それが具体的にどういうものなのか、まだ見えてこない。若くて強力な指導性を持った政治家も登場した。しかし彼らは、安穏な時代を生きてきた。これから訪れるに違いない、悲劇的な時代を、そんない旨く、やすやすと乗り切れるか、どうか。少なくとも私にはそう思えない。
 きっとケツわるよ。そんなに恰好ようはいかんのよ。ははは。
 いつもの調子であの爺は嘲笑っている。

 あいつは、人並み以上に、開き直った図太い神経を持ち合わせている。開き直ったと云うより、厚かましい、といった感じだ。
 しかしそれが彼の感性なのだろう。
 問題は、彼らが頼みとする年代が全く冷めていることだ。

 内心彼らは、政治家に転身した芸能人を内心笑っている。外野席の彼らには、そんな大それた野心がないだけだ。しかしその一方で、政界の若きリーダーとして、全く評価していない。
 もしろ冷笑している。ただ目立ちたいだけだ。彼らに変な競争心だけは立派にある。だからむしろ冷笑と憎しみの目を持っている。

 現在華々しく振る舞っている芸能界から転身組も、国民からは、見透かされている。
 まだ老人組はいい。むしろ同年配の若者が、全く冷めている。
 そのうちに怒り狂って彼らに牙をむく可能性もある。
 そのことのほうがはるかに怖い。
 しかもその怖さに彼らが気づいていない。若いだけに、怖いもの知らずなのだ。

 全く別な次元から、どんな人間がこれから出現するのか。
 ひょっとして、何もかにもかもが間に合わなくて、大きな悲劇や混乱が、人間を全く予想もしない方向に引っ張って行くかもしれない。
 今の段階では、全く何も見えてこない。

 ただいえることは、なにかとんでもない事態が起きそうな気がする。悲劇をかわすために出現したが、能力のある政治家に出会うことにもなく、結局は悲劇的な結末を迎えそうな気がする。
 そんな悲劇の種もまだ見えてこない。
 明るい夏の朝のような気がする。

 抜け目のない損得勘定と、自己主張とが一緒になって、若い政治家から、自信満々な言葉が吐かれる。
 そんな可笑しさを、真面目に報道している、同じ世代のジャーナリストの間抜けぶりを、笑って良いのか、悩んでいいのかとっまどっている。
 そんな複雑な夕刻だ。

 そうね。そんな風に見えるのかしら。と美香はいった。

 
 何の考えもなく、自伝的小説「迷走区間」を書こうと思いついた。
 最初は「鳴動前夜」だった。何かが始まっている。何かが迫っている。その動きが私には感じられる。
 だからじっとしていられない。で、迷走を始めたのか。
 最初からそうだった気もするし、最近明確にそう感じるような気もする。何か、とんでもないことが起きそうな気もする。

 だから迷走前夜と書いてみた。でも、ぴったりこない。
 単なる妄想かも知れない。私だけにある感慨かもしれない。
 ならばと「迷走区間」に変えた。

 その迷走が、いつ終わるのか、これから始まるのか。それも分かっていない。
 なにも説明できない。どうにも旨く説明出来ないが、何らかの鳴動が既に始まっている、気はする。
 潮鳴りのようでもあり、地鳴りのようでもある。

 他人には、たぶん分かって貰えないだろうが、私には、その鳴動が聞こえる。それを霊感とか、予感という人もいる。
 母親は夢占いが得意だったし、死んだ妻は、度々霊をみた。

 女性特有のヒステリー現象かと思ったが、母の夢占いは当たったし、妻の霊視は、妻が死ぬときに、わたし自身が体験した。
 それらを具体的且つ合理的に説明することも、私には出来ない。
 ただそのような場面があったと言うしかない。

 それが天変地異を指すのか、新しい時代の幕開けを指すのかも良く分からない。ただ私には、間違いもなく、鳴動だった。
 しかもそれが、大爆発に繋がるのものか、鳴動だけで収束するのかも分からない。分かったところでどうしようもない。鳴動そのものが、人知を越えたものの気がする。例えば雷鳴のようなものだ。遠くの方から響いてくる。近くまで来て落雷になってしまうのか、遠雷のまま遠ざかるのかも分からない。
 ただ人間の力をはるかに越えた力であるらしい。
 その動き始めた振動のような気もする。

 願わくば、この際だから、破滅的な大事件が、地球規模で起きて欲しい。そして人類そのものを、壊滅的に葬り去って欲しい。あまりにも人間はのさばりすぎた。とくにここ百年で人間は地球を大きく変えすぎた。
 地球を神と讃える気はない。たかだか太陽系第三番目の惑星に過ぎない。銀河系宇宙の中では、端の、隅っこ一点に過ぎないことも分かっていただろう。
 
 しかした太陽がなければ地球もなかったし、海も陸も三千万種に及ぶ生命体もなかった。人間のその一欠片である。
 その割には、影響が大き過ぎた。

 単に数の問題なら、まだ救われる。しかし人間は大きな働きをする脳を持っていた。持っていたのか、二足歩行をするようになって、両手で細密な作業が行えるようになったことや、目に位置が高く遠くまで見晴らせることが幸いして発達したのか。科学文明をもった。
 わずか1万年足らずの期間に、音速を超え、宇宙へも飛び出した。
 規模的にははるかに及ばなくとも、原理的には太陽に匹敵する熱を獲得した。
この宇宙共通原理の獲得が、やがて自らを滅ぼすだろう。ならば早いウチに亡んだ方がいい。

 このまま行けば人間は太陽系を探索するだろう。しかし所詮は太陽系の付属物だ。そこを離れて恒常的に生きられない。
 不遜な野望が、次の悲劇を生まないうちに、神罰は当たるべきだ。

 人類は、他の動物の、生きる手立てすら奪ってしまった。余りにも野放図に地球に干渉しすぎた。その結果、生命系を大きく狂わせた。
その罰を、人間は受けねばならない。
 もう小手先の変更では、如何ともし難い。
 修正は効かない。だからまずは壊すことから始まる。
 そんな運命の鳴動かも知れない。

 それも致し方ない。もっと根元的な破壊が、この地球には必要だから。
 その為にも、あらゆる巫女は滅びの祈りを捧げる必要がある。
 そんな巫女の祈りの声かも知れない。

 そんな妄想に、私は囚われて始めていた。

 それは、老人特有の鬱的状況に拠るのだろう。或いは生きものが、生命の最終段階で抱く、滅びの幻想かもしれない。
 全ての生命現象が、太陽の巨大な質量の恩恵に拠るなら、この際、今度は、その灼熱の総量の中に呑み込んでほしい。その方が楽でいい。

 「楢山節考」を書いた、深沢七郎も、晩年は滅亡教を説いていた。
 黒澤明も映画「乱」で、その最終場面に、私は亡びを感じた。
 まだ若かったが、三島由紀夫にも、滅びの衝動を感じた。
  全ては一瞬に滅びる必要がある。

 時代は違っても、老いは滅びの幻想に彩られる、極北のオーロラのようなものだ。ああ、やって全ては滅びる。ああ、やって、宇宙へ拡散する。
 それが命の宿命だろう。その結果、深宇宙へ、漆黒の闇へ沈み込んでゆく。 その中から、別な生命循環が生まれるかもしれない。それはそれでよい。
 森羅万象は廻って存在するのだから、全ては輪廻転生だ。

 そんなことを漠然と考えていた。

 そんな時に、偶然、高嶺剛監督の映画「ウンタマギルー」に出会った。ケーブルテレビの古い日本映画として、観た。
 幻想的で、おかしな映画だった。

 沖縄県西原町に伝わる民話「運玉義留」をベースにした、日本復帰直前の沖縄を描いている。主演は、小林薫、戸川順だ。
 小林薫は、常人だが、他はみなおかしい。みな紛れもない「大和んちゅ」なのに、既に沖縄的になっている。
 しかし厳密に言えば、沖縄人ではなく、まして「大和んちゅ」でもない。
 その中間に浮遊する異形の人間たちなのだ。

 おまけに既に、沖縄の呪縛が、彼女に憑依している。
 他の俳優は、みな、昔の沖縄人の顔をしている。沖縄が、顔に浮いている。顔色が黒いのは、陽に灼けたからではない。皮膚の底に沈んでいる、怨念の性だ。若い人は知るまいが、皮膚下に流れる血には、その民族や個人の怨念がどす黒いアテローム状になって混ざっている。

 だから沖縄人のあの皮膚の黒さは、太陽が描いた地色ではない。沖縄戦で死んだ者の、怨念がそこに、張り付いている。
 それが「大和んちゅ」には見えないだけだ。

 その映画には、沖縄人独特の陰があった。開き直りもある。
 そんな沖縄を撮るために、沖縄の俳優や、沖縄民謡歌手を動員した。それが出来たのは、監督自身に沖縄の血が流れていたからである。どんななに逆立ちしても、人間は環境から逃れられない。故郷からも地球からも逃げられない。

 最近の沖縄出身芸能人は、その臭いがない。漂白したのか、臭いも色も消えている。マイケルジャックソンなら、その漂白の手法に度肝を抜かれたろう。
 いまや全く彼女たちから、沖縄は消えている。
 みな同じように、没個性の「やまとんちゅ」の顔だ。
 
そこが面白くもおかしくもない、と美香が舌打ちをした、気がする。もちろん妄想だろう。もう、彼女とは何十年もあっていない。今あっても、お互いを確認できないだろう。それくらい長い時間が経っている。

 アイヌ人みたいに、いつの間にか、同化したのね。そんな美香の声も聞こえる。妄想なのか。錯覚なのか。どっちでも良い。地球上では時間を遡ることは出来なし、仮に出来たにしても、生物的な時間を戻すことはできない。
 お互い歳をとりすぎた。彼女も沖縄出身だった。ただどうしてあのように透き通るような肌をしていたのだろう。

 それに比べて、この映画では、沖縄が臭っている。
むかしの、泡盛の強烈な臭いまでする。
 
 今さらそんな昔の沖縄を、ムキになって懐かしがる必要はない。今は単なる観光地だ。内地より、確実に高く、異郷を感じさせる日本だ。だから日本らしく、しかも沖縄らしくあらねばならない。
 ただ、私には、そんな沖縄人以上に、屈折した沖縄がある。

 それはたぶん大城のせいだろう。彼は沖縄戦直前に、鹿児島に学童疎開させられた。不幸にも、その間に、沖縄戦では家族全員殺された。いまさら沖縄に帰っても、もう誰もいない天涯の孤独に陥ったから、どうしようもなく、鹿児島で浮浪者の仲間入りをした。幸い町工場で、鋳物工になって、真面目で腕が良かったから、工場主に可愛がられて、夜間高校に通った。

 そんな大城が栄養失調から結核に罹り、どうせ死ぬならと沖縄に帰ることにした。その時に大城の心の中にある複雑な沖縄を垣間見た。
 一口に沖縄と言っても、さまざまな利害関係を内包した、一口縄では行かない、複雑骨折状態なのだ。
 そんなことを、大城は教えてくれた。

 だから尚のことあの沖縄が苦手なのだ。そんな南国の離島の、何処が良くて観光客が押しかけるのか。
古い中国や薩摩から支配され、そして日本にも支配された。
 その為に、沖縄戦では多くの人間が敵味方に殺された。
 そして戦争に敗れ、占領され、米軍支配下に置かれた。

 その時代、時代に、それぞれの生き方で沖縄人は生きてきた。
 生き方によって利害関係も敵味方も違う。
 宮古島人と、石垣島人は犬猿の仲である。
 どこかで恩讐が渦巻いている。
 そんな葛藤が沖縄にはある。

 そんな沖縄を、この映画は思い出させてくれる。日本復帰という現実の前に、沖縄では、さまざまな利害関係が輻輳していた。それぞれの利害関係の中で、人間も右往左往する。
 そんな当時の沖縄人の生々しい感情が、復帰前の沖縄人の複雑な心情が、この映画では描かる。しかも騙られる言葉は、沖縄弁である。
 その沖縄弁は日本語に翻訳され字幕で映る。

 この沖縄弁は、方言なんてものじゃない。
 聞き慣れない耳には、異国語だ。

 私は敗戦後に、台湾から日本に引き揚げてきて、一種の難民体験を味わった。そこで妹と父を失った。回りは不幸な人間で溢れている。そんな中に、大城はいた。

 日本復帰が話題になりはじめた頃、私は、こんな薄情な日本になんか復帰するなといった。彼はムキになって反論した。それは現実を知らない者への嫌悪でもあるだろう。
 彼の心の中では、米軍にも日本軍にも戦って来た。米軍は正面の敵だか、日本軍は背後の敵だった。
 全部全部ではないにしても、沖縄人を盾に使った。
 背後から撃った。

 だからそんあ日本が許せない。
 日本人は、沖縄戦に関して何も知らない。知らないで、沖縄人を盾に戦ったことを隠している。
 何も知らないで、のほほんと、まるでしった被りに、日本軍の戦いを賛美する。薄野老奴!そんな侮辱を彼は感じている。

 沖縄人は、日本人として、日本のために戦った。日本のために疎開した。だから日本復帰を果たして、沖縄に帰れるようになったら、沖縄に帰って、日本政府に現状復帰を突きつける。
 そんな思いが大城にはあった。

 父親も、立派に日本人として戦った。
 だから沖縄に帰って、日本人としての扱いを受けたい。たった一人生き残ってしまった。そに悔しさを何かに変えたい。たぶん金にしか変えることはできないだろう。ならば精一杯金に変える。その為に沖縄に帰る。帰って復帰運動に参加する。
 綺麗事ではない。日本政府から、賠償金を、見舞金を一銭でも多く取るためだ。

 変な奴だと、思っていたけど、引揚者とは根本的に価値観が違う。引き揚げ者は、日本が敗れたために、石もて追われた人間である。
 もう帰るのは日本しかない。
 現状復帰もヘチマもない。兎に角、命からがら逃げ延びた。
 もう帰るところは日本しかない。

 そんな複雑な沖縄人の映画なのだ。

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事