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二回目アップの石手寺です
境内は観光客や参拝する方が多く遍路姿をしているじゅんちゃんは???
1月4日だったので回廊は屋台や出店でいっぱいでした
第51番札所 石手寺
薬師如来
住所 松山市石手2−9−21
℡ 089−977−0870
弘法大師の前で罪をわびる衛門三郎の姿
回廊を出ると国宝の仁王門です
1318年河野通継が建立したと伝えられ
三間一戸、二重屋根、本瓦、入母屋造り。。。とても優美です
左右の金剛力士像は運慶一門の作
本堂・三重塔・鐘楼・梵鐘が重要文化財
本堂です・・・参拝者の方が多く撮るのも大変です(^^♪
813年に弘法大師によって真言宗に改められ
その後この地の河野氏の保護を受けて隆盛
大師堂です
境内の堂塔は鎌倉時代末期の建立
今日は四国お遍路の元祖
衛門三郎(えもんさぶろう)の伝説です
四国お遍路の元祖と伝承される人物それが衛門三郎。
もとは強欲非道な人物だったが、弘法大師との関わりのなかで奇しくも
四国巡礼の旅に出ることになった。
平安時代の初期、伊予を治めていた河野家の一族である衛門三郎は
浮穴郡(松山市東原町のあたり)で富豪として権威をふるっていた
ある日屋敷を訪ねた托鉢の僧を追い払おうと衛門三郎は僧の鉢を竹ぼうきで
たたき壊してしまう。実はこの僧こそ弘法大師だった。
その翌日から衛門三郎の8人の子どもが次々に死んでしまった。
悲しみの中、大師へのひどい仕打ちを悔やんだ衛門三郎は、大師の許しを
得るため四国巡礼の旅に出た。いわゆる四国お遍路。
しかし道中で巡り会うことができないまま、20回もお遍路を重ねた。
大師の後を追っていては巡り会うことができないと考えた衛門三郎は、
21回目のお遍路を逆回りではじめた。
その21回目のお遍路の途中、阿波(徳島)の12番霊場・焼山寺の麓で
衛門三郎はついに力尽きてしまう。
そこへ現れたのが弘法大師。許しを請う衛門三郎に、望みはあるかと大師は尋ねた
できるなら来世も河野家に生まれ変わりたいと申し出た衛門三郎は、そのまま息をひきとった
その手の中に、大師は『衛門三郎』と刻まれた石を握らせた。
翌年、伊予の豪族・河野家に生まれた男の子の手のひらには、衛門三郎と刻まれた石が
握られていたという。この石は安養寺に奉納された。
安養寺という名だったが、衛門三郎の伝説にちなんで『石手寺』に改名されたという。
四国遍路の逆打ちにご利益があるとされるのはこの衛門三郎のエピソードに由来している。
以上伝説です
衛門三郎の旧宅の跡は今は得盛寺という寺になっていて
お堂の中には三郎の8人の子どもの像が祀られている
そして得盛寺の近くには八塚と呼ぶ塚が転々とあるが
8人の子どもを葬った跡だという。
今日は冷たい雨の雛祭りでした
雛祭りの行事は何もしませんでしたが((+_+))
そしてこの雨は木の芽おこしの雨だそうです
これから沢山の木の芽を見られますね(^^♪
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四国八十八ヵ所巡り
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