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今日は3月11日あれから5年目・・・東日本大震災
71年目を迎えた広島の原爆・・・土砂災害もありました
5年前の今日、3月11日も金曜日
今日のお天気は晴れたり曇ったり小雨が降ったりと寒い一日でした
今も原発事故で苦しまれている方・・・・・
避難生活で大変な思いをされているかた実際に生活してみないと分からない苦しさ
新聞からの抜粋です
東日本大震災の津波で大川小6年の次女を亡くした
長年勤めた教師を昨年辞職し、復興支援に取り組むNPOに移った
『大川小の悲劇は過去にないこと。せめて将来生かせる前例にしたい』
との思いで、命を守る大切さを全国の生徒や教職員に訴える。
震災当時は宮城県女川町の中学校で国語教師だった。数日後
大川小にたどり着くと、近くの土手に子どもたちの遺体が並んでいた。
もがき苦しんだ表情のままの子も。『亡くなった先生方も一生懸命だったと思う
黒い波を見てどんなに後悔したか。教員だったので分かるんです』。。。。と
ほんの一部です
亡くなられた方まだ津波にのまれ行方不明の方のご冥福をお祈り致します
新聞からの抜粋です
取材先で出会った食べ物
1986年に旧ソ連のウクライナで起きたチェルノブイリ原発事故の取材は
直後からいまに至るまで私のライフワークとなった。
事故から7年後の春、私達取材チームは放射線測定をしながら
原発周辺の町や村を回った・・・・・・・
ある日私達は中央病院の副院長の招待を受け、彼の家族や友人と
森にピクニックに行くことになる・・・・・
地ビールやウオッカ、チーズ、黒パンに交ざって地鶏の串焼き、酢漬けにされた
川魚などが出された。が待てよ地元産だったら放射能が疑縮されている食べ物ばかりだ
放射線測定器のスイッチを入れると毎時1マイクロシーベルト近くを表示する・・・・・・
気が付くと副院長の目がこちらを見つめていた。
『食べるの?食べないの?』審門するようなまなざしは、
「あなたたちはこれを食べても、日本に帰ればきれいな食事が待っている。
我々はずっとここで放射能と暮らすんだよ」と伝えているようだった。
そのとおりだ。
地鶏も川魚も口に放り込んだ。もちろん放射能の味はしなかった。
ほんの一部です
二度と事故を起こさないようにするにはどうすれば良いのか???
いつ何処で起きるか分からない事故・・・・
画像は今日の3時過ぎに撮ったものです
![]() 今あたりまえの生活ができる事に感謝です。あの日の事を忘れないようにします
皆さん良い週末をお送りくださいね(-_-)zzz
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平和
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