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今日は蒸し暑く、曇り空のじゅんちゃん地区です
今月は2つの葬儀と3つの法事がありました。
光明寺で行われた法事の時
以前はひっそりと建っていた墓が立派になっていました
川尻浦 久蔵の墓
久蔵は天明8年(1788)に生まれ
9歳で父を失い母の実家近く佛通時に小僧として6年間あずけられました
その後3年間四国宇和島の禅寺で修業しますが・。・・・
僧職を辞して神戸に住む兄をしたい船乗りになり、灘で醸造される日本酒が江戸で好評に
なり酒樽や醤油樽など積んで運ぶ途中、紀伊水道で暴風雨に遭い
漂流がはじまりロシアまで流されます
久蔵は凍傷になり足と手の指数本を失いました。
ロシア船で日本に帰る事が出来たのですが、病人は船に乗せられないとロシアに残った のです
この時ロシア人医師ニコライ・ミハイライア先生に大変御世話になり、ロシア語を覚え当時の
西洋式種痘法を学び日本に持ち帰ったのですが鎖国政策を取っていた日本では
重い罪人扱いされ種痘の話は打ち切りになりました
久蔵は日本で初めて種痘法を広めようと考えた人です
当時種痘によって腕に発した痘を『花』と
花渡る海
著者 吉村昭
昭和の終わり頃購入したのか???忘れていました
運命とはかくも 過酷なものか
極寒のシベリアに漂着し、死線をさまようこと3年余。
日本に初めて西洋式種痘法をもたらしながら、
発痘の『花』咲かせることなく散った水主久蔵の
無限残懐の一生を克明に描く
中央公論社
久蔵の前向きな純粋な生き方
勤勉さ・探究心・ねばり強さ・川尻を愛する子ども達にしたいと
久蔵の絵本発刊と共に 川尻P・T・Aの方が建てられたようです
ここもお参りさせてもらいました
今年もせま〜〜い庭の鉢植えの紫陽花が咲いてくれました
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