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まだ城内に入る前の景色です
お城は9時開城
10分〜15分前に並んで
![]() こちらは西の丸方面
多くの学生さん達がボランティア活動かな
城内に入る前の姫路城 旧西大柱
複雑な重層構造を2本の大柱が使用されている姫路城
1本が百トンもの重量を支えて350年もの長きにわたり
天守を守り続けた柱が
昭和の大修理で柱真に
腐れがあることが分かり
取り替えを余儀なくされ
新しい柱に後年を託して
資料として展示されています
1本が百トン・・・納得です
青空にくっきりと映える華麗なたたずまいをみせる名城物語が・・・・
(日本の伝説から)
▣棟梁源兵衛
いまからおよそ400年前・・・
名城が出来上がるには、どれほど多くの人の知恵と力と血と汗が
あわされ、ながされたことじゃろうか
梅林で有名な姫路のはずれ白国村に桜井源兵衛という
名棟梁が住んでおった。いくつも大きな神社やお寺を建てて
名を知られていたところから秀吉公に召された。
源兵衛は4〜50人の大工のかしらとして、
昼は手下の者どもに改めてノミ、カンナ、の磨ぎかたからこまかく教え
夜は枕元に図面を広げて眠る時間も惜しんで日々を送ったということじゃ。
めでたく大天守閣が竣工した。
お城下は3日、5日とそのお祝いで沸き立ったげなぞ。
源兵衛の女房おさんと一人娘の八重は足りないぶんを質で借りて
それぞれ紋付きを急にととのえ、その慶びの日を迎えた
その晴れの日・・・・・
じつは、祝宴の日、大天守閣の第二層、源兵衛が棟梁をつとめた階の
東北の円柱が東南へ傾いでおるのではなかろうか、ということを
女房のおさんと娘の八重が耳打ちし、うなずき合った。
源兵衛は一日がかりの大仕事で
心柱は東南へ4度、傾斜していること
がわかった
源兵衛は、その数日あと
愛用のノミを口にくわえ、
大天守の二層から飛び降り
のどを突いて自決した
源兵衛のころから350年も経った昭和の時代になって
姫路城を解体し復元するという工事がはじまった。
そのとき大天守の円柱(心柱)が東南へ54㎝傾いている事がわかった。
『傾いていたから、良かったのです。柳に雪折れなし、というでしょ。400年もの
あいだ、何百回もの台風に遭いながら、あの大天守閣がいまも悠然と聳え立って
いるのは心柱の傾斜がバンバーの役をしていたからだと考えられます』
解体工事を担当した東大の先生がおっしゃったそうな。この話、
地下の桜井源兵衛に聞かせてやりたいな、とわしはおもうのじゃがのう
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2017年05月24日
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