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台風18号の影響はどうでしたか・・・・・
これからも気をつけましょう
こちらは夜中に大雨が降り今は蒸し暑いです
雨は降ったり止んだりで土砂災害が心配です
被害に遭われた方にお見舞い申し上げます
今日も昨日の続きアートアクアリウム展〜広島・金魚の祈りです
NTTクレドホール・パセーラ11階で行われていました
ドラゴンはヒマラヤに靴を買いに、じゅんちゃんはクレドホールに
(いつも別行動・笑)
金魚の先祖はフナのようですが、鯉はどうなのか???
金魚が最初に発見されたのは1500年前、中国で赤いフナが発見され
その後金魚の飼育が始まったのは10世紀後半から
品種改良もこの頃から16世紀には陶器で飼育されたようです?
日本に金魚が伝わったのは16世紀の初め室町時代の末期頃?
時代は戦国時代で戦乱の中、絶滅したようです
再び金魚が日本にやってきたのは17世紀後半の元禄時代で
贅沢品だった為ごく一部の富豪や武家階級に飼われていたようです
一般の人でも飼育されるようになったのは
18世紀半ばから19世紀の初め???金魚鉢も売られるようになり
夏の風物詩として人気が出たようです
<サンタマリアデルべッシュドーロ>
アートが生きたアートを抱くことによりアートが生命を宿した瞬間だそうです
ヴェネツィアの最高峰のガラスアート工房として世界を魅了するVENINI と
アートアクアリウムプロデューサの木村英智がコラボレーションした作品だそうです
イタリアの伝統ガラス工芸によって金魚鉢という
江戸に端を発する日本の伝統的ガラス工芸を作る
世紀を超えた文化交流がコンセプトだそうです
横にすると金魚に見えるそうで
金魚鉢です
入口ではカフェとグッズ売り場・金魚のカクテル・金魚ちょうちんサブレ・金魚最中など・・・・
ここも・沢山の人が入っていましたが撮るだけ
NTTクレドホール・パセーラ11階からの景色です
( 残念ながら江戸城は眺められませんが(笑) )
ズームで広島城です
戦後70年・・・あれから70年
忘れない心に刻む金魚の祈り
安保法案
平和だこそ泳ぐ金魚これからも平和でありますように
今日は9月9日
きゅうりのきゅうちゃんの日だそうです(笑)
きゅうちゃんを使って
きゅうちゃんを使ったお寿司も(酢とマヨネーズを入れて)
きゅうちゃん・・・買った事ないのですが、PCのレシピで胡瓜の佃煮を作って
一度に食べられないので冷凍にしていた物があり
それを利用してお寿司にと
胡瓜の佃煮も生姜やゴマや調味料も煮物に近く・・・
ご飯に酢とマヨネーズをプラスするだけでOKです
(お茶碗1杯で大匙1の酢と大匙1のマヨネーズ←いつも適当)
トッピングは家にあるものを
小雨の中ベランダの紫蘇とミニトマト(2個しか実ってないです・笑)
昨日の雨で落ちています 今日はコメント欄開けています宜しくお願いしますm(__)m
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平和
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こんにちは(^◇^)今日はセミのラブコールを聞く事が出来ましたが・・・
台風18号が気になります
今日は広島市中区基町のパセーラ11階で行われていた
アートアクアリウム展に行って来たのですが、9月6日まででもう終了しています
先週の平日に行ったのですが多くの方が見学されていました
基町クレドの地下駐車場に車を止めパセーラに
アートアクアリウム展のテーマは 「広島・金魚の祈り」
戦後70年の節目、平和だからこそ泳ぐ金魚の舞いを通じて
これからの平和を祈念して行われたようです
入場すると初めに金魚の祈り
あれから70年・・・・
忘れない
心に刻む
金魚の祈り
撮影はフラッシュを使わなければOKです
禅アクアリウム
動く絵画のような額縁アート水槽
水中四季絵巻
日本の四季の景色が写し出される池の中を
本物の錦鯉が泳いでいました
華魚繚乱
無数の金魚が泳ぐのは上部を覆わない水槽
雛壇のように階段形式で展示して川に見立ててあるそうです
華魚繚乱の上部に大奥
金魚を愛でる文化が花開いた江戸を象徴する
”大奥”を表現してあるそうです
金魚の紋?
駐車場から1階に上がる階段に可愛い千日紅
明日もアートアクアリウム展続きます宜しくお願いしますm(__)m
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戦後70年 8月6日 8時15分 黙とうでした
昨日の夾竹桃です
『70年は草木も生えない』と云われていた広島
昨日の瀬戸内海です
先月7月23日の新聞 『こだま』 に掲載されていたものです
恥ずかしい80歳
広島市中区 無職 名前 79歳
来年80歳になります。思えば昭和の時代に生き、
平成を迎え、この長い間に何をしてきたのでしょうか。
この世に生を受け、人間として、もう少しするべき事があったのでは・・・
年を取ると、体は動かないのに頭の中がいつも巡り続けます
娘の時分には、親の意見を聞かず、結婚すれば夫婦げんか
母をどれだけ泣かしたことでしょう。
80歳を前にして初めて通る道ばかり。
反省ばかり。人はその時には分からないものなのでしょうか
もう少しその時その時に分かれば、死んだ両親を理解できたのに、と思います
思い起こせば、戦時中の母はすごかった。
子ども7人を食べさすのに苦労した
どんな時も弱音ははきませんでした
ある時、学校から帰って見た後ろ姿。
立ったままおかずもない麦ばかりのバサバサの食事をしていました
母は祖母と、『海軍さん』だった3人の弟の介護もしていました。
1人はカリエス2人は栄養失調で結核。
帰国してからは、かつてのかっこよかった姿はどこにもない弟でした
毎日いりこを数え、5匹づつおかゆの中に入れ
スプーンで食べさせる。私はそれを離れて見ていました
鉛筆を使う時は、1本ずつ丁寧に小刀で削ってくれました
私は忘れない、決して。あの当時の親たちの姿を。
こだまを読んで、じゅんちゃんも父や叔父から聞いた話を伝えなければと思いました
昨日の夕日です
多くの方の犠牲の元に今の平和がある事に感謝です
戦争直後の日本で憲法9条が作られ・・・・・
二度と戦争を繰り返す事のないよう願うばかりです
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こんにちは70年前の今日7月1日は
呉空襲で空襲警報が鳴り防空壕(ぼうくうごう)に逃げた
その防空壕に火災の煙が流れ込み550人が蒸焼きにされた日です
軍港ゆえ繰り返された呉空襲です
12時15分・・・永久平和と、亡くなられた方のご冥福を祈り黙祷でした
今月の標語です
現実を見極めて堅実な
積み重ねが信用となる
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何処で何が起こるか分らない
事故を忘れないように
命を大切に
標高700mの岩屋寺・大宝寺は杉や檜に包まれ深山で苔むしていました
ブロ友さんが撮っておられ撮って見ましたが???m(__)m
だれにだって 相田 みつお
だれにだって
あるんだよ
ひとにはいえない
くるしみが
だれにだってあるんだよ
ひとにはいえないかなしみが
ただだまっている
だけなんだよ
いえばぐちになるから
一生感動 一生青春
久万町で
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