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備中松山城
別名 高梁城
所在地 岡山県高梁市内山下1
築城者 水谷左京亮勝宗 (5万石)
築城年 天和 3年 (1683年)
歴代城主 池田氏 (6万5千石)・水谷氏(5万石)・安藤氏(6万5千石)
石川氏(6万石)・ 板倉氏(5万石)
遺構 天守・土塀(重要文化財) 城跡(史跡)
このお城は 岡山県 新見市の井倉洞 ・羅生門・ 満奇洞に行って
帰りに寄った所です
これが 大変 車で 駐車場まで
そこから 又 シャトルバスで 次の駐車場まで
そこから また ウォーキング
皆さんも一緒に 登山 宜しく
途中 途中に 心得が なんと優しい
登城心得・・・・・・あわてず ゆっくり 歩むべし
おそれ たてまつりますわ
登城心得・・・・・この辺がちょうど中間地点であるしばしやすまれよ
城主
じゅんちゃん ハア・ハア 息切れ 休憩します
高梁市が よくみえまするわ
登城心得 ・・・・本日の登城大義であった
城主
ここから まだ まだ
天守が現存する唯一の山城として 有名
そそり立つ巨岩を巧みに活用した城塁の壮観は 他に類はない
延応2年(1240年) 秋庭重慎がこの地に城を築いて以来
山陰・山陽を結ぶ要衝の地として700余年にわたる興亡の歴史を秘めている
現在の天守は天和3年(1694年)水谷氏除封に際して、浅野家家老
大石内内蔵助が城を請取りに訪れたのは、落成後11年のちの事であった
御社壇
囲炉裏
板石造り 長さー間 幅三尺
籠城時の城主の食事
暖房用に用いられたと言われる
天守閣の中に切りこみの囲炉裏が
あるのは全国でも珍しい
これは 戦国時代備中の 首都として この城の激しい 争奪戦が
幾度も 繰り返された経験から生まれたものである
最後の 藩主 板倉勝静は 江戸幕府最後の老中職にあり 朝敵となったが
忠臣の努力により戦火をまぬがれた。。。。。。と
暑い中 登山 お疲れ様でした
この日は お城から 下山したのは 3時頃 昼食を 食べそこね
山陽道に入って 4時過ぎ 福山サービスエリアで 尾道ラーメンを
頂き 日帰り 岡山の 旅でした
もう 週末です はやいですね みなさんも 楽しい週末を
お過ごし下さいね
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