|
じゅんちゃん地区の台風3号は休校になっていたのですが
被害はありませんでた。まだ猛威をふるっているようです
明日もまだ注意が必要のようです。皆さん気をつけて下さいネ
東寺の伝説、続きですが・・・今日も端追って<m(__)m>
画像は宮島大聖院の画像です
■神泉苑の雨ごい■
墨灸の効能といい、今度の神技といい、いやが上にも民衆の心を
掴むことになって
弘法大師には何事も叶わぬことはないという評判は忽ち津々浦々まで
広まっていくのであった。
(又・大聖院の修業大師様です)
が、その夏はひどい、かんばつで、二か月経っても一滴の雨も降らずのまま
さすがの神泉苑の池もあやしくなるまでに涸れ落ちてしまったのであった。
天皇の悩みは一方ではないのだった。
そもそも神泉苑の,『神』も天皇を意味するように、天災も天皇の威光次第という
風に考えらえれていたから一大事で・・・・
今は霊験あらたかなことでは最もきこえ高い弘法大師を招いて、唐で学んできた
という雨ごいの修法を試みるようにとの御下命があったのだった。
そこで斎戒沐浴して神泉苑の祭場に臨んだ大師だったのだが
何といっても今度は天を相手としての事だけに
応天門の額字を書くようなわけにはいかない。
( 旧暦で行われていた大聖院の雛祭り)
だから少々大袈裟だが法海はじめ二十人の伴僧を従え
経を唱えつつ連日飲まず食わずの祈祷三昧に入ったのであった。
この神泉苑は、また後世、悪疫が流行した際にも八坂神社の神輿を奉じ
我国六十六州に擬した六十六本の鉾をくり出して、
それが祇園祭りの山鉾巡業の起源ともなったところで、
加茂川(今の堀川)の西側、御池通りにあり
文字通り川と池とに恵まれていたので、さすがにこの、かんばつ下にあっても
最後の命の水は残しているのであったが・・・・・
大師は今日こそ明日こその祈りを続けるのであった
今はただ望みは一つ大師の上にかかっていることだけに
民衆も夜を徹し固唾を呑んで目を凝らしている
(大聖院を人力車に乗られた方を案内されていました)
そうした七日目のことであった
あやしい風が急に強まりだしたとみるや
池の中央から金色の竜巻が舞い上がり、
サーと大粒の雨が落ちはじめてきたのあった
(大聖院の帰り鹿さんを
) 居並ぶ民衆も余りのあらたかさに
これこそ金色の慈雨とばかり、全身ずぶ濡れになりながら
天に叫び地に伏して咽び泣くのであった。
(大聖院から帰りの厳島神社)
そしてこの事以来神泉苑の修法が全国雨ごいの起源ともなったものであったが、
その日帰る道々お供しながら幾度も幾度も感歎する法海に
大師は静かに言われたものであった。
『なァーに真実はただの偶然だったのじゃ。偶然に天の方から祈祷に時を合わせて
雨を降らせてくれただけのことじゃ・・・・』
と、澄ましたものであったとか・・・・・・・。
(いつもの伝説でごめんなさいね
|
京都府
[ リスト | 詳細 ]
|
昨日は夏至だったのですが8時前まで明るいじゅんちゃん地区です
今日も東寺の伝説で神泉苑の雨請いです
画像は引き続き・宮島の大聖院の画像です
清盛祭りの日だったので
大聖院の修業大師様です
■神泉苑の雨請い■
(今日も日本の伝説から端追って
墨灸の効能といい、今度の神業といい、いやが上にも民衆の心を
つかむことになって、弘法大師には何事も叶わぬことはないという評判は
たちまち津々浦々にまでひろまっていくのであった。が
その夏はどうしたことであろう。その津々浦々までひどい、かんばつで
二ゕ月経っても一滴の雨も降らずまま・・・・・・
神泉苑の池もあやしくなるまでに涸れ落ちてしまったのであった。 だから民たちは無論のこと。
天皇の悩みは一方ではないのだった。
そもそも神泉苑の『神』も
天皇を意味するように、
天災も天皇の威光次第という風に
考えられていたから一大事で、
天皇は大臣たちと計った上、今は霊験あらたかなことでは最も
きこえ高い弘法大師を招いて、唐で学んできたという
雨ごいの修法を試みるようにとの御下命があったのだった。
そこで斎戒沐浴して神泉苑の祭場に臨んだ大師だったが、
何といっても今度は天を相手としての事だけに、
応天門の額字を書くようなわけにはいかない。
桟橋近くの鹿さんです
だから少々大袈裟だが法海はじめ二十人の伴僧を従えながら
請雨経を唱えつつ連日飲まず食わずの祈祷三昧にはいったのであった
大聖院から瀬戸内海を
![]() 神泉苑の雨請い次回に続きます
|
|
今日も東寺の伝説で昨日の続きです
昨日の雨予報では夕方から雨で今日のお昼頃までと・・・・
今日の朝方には雨が止んで今は青空のじゅんちゃん地区です
今日も東寺の伝説ですが、画像は宮島の大聖院の画像です
大聖院の祈り鶴の碑
広島平和公園の原爆の子の像がつくられ、平和を願い世界中から
千羽鶴が送られて来ます。ここで千羽鶴のお焚き上げが行われます
昨日の続き・日本の伝説から
法海にはコブに墨灸をしてもらう他にもう一つ別の目的があったわけで
それは施療のあと残った墨汁を持ち帰ることだった。
といっても大師に頼みこんでもとうてい無理な事は解っているので、そこは
高弟の立場を利用して、最後まで居残り、あと片づけを引き受け、その墨汁の
余りをこっそり竹筒に移しとって持ち帰るのであった。
だからこの事を思いついて以来、一日数度も密かに自室に籠って筆の先で痔に
塗り込むので、翌朝、黄金の先が黒く染まって出る事もあるほどだったが
それでも目にみえて痛みが抜けていくのがわかる。
何とかしても少し沢山墨汁が欲しいものじゃが、
それには施療の初めから墨すりの手伝いもして、たっぷり造り溜めておくことじゃなァ・・
ちょうどそんな事を考えている頃
大内裏の正門である応天門の額が強風で吹き飛んだから、それを書直すようにという
天皇の命が下ったのだった。
それでこれはまたとない機会だと思った法海は、墨や筆持ちの役のほか
進んで神泉苑の水くみのお供もしたのだった。が、
既にその時、長い日照り続きのあとだったので、池の水がいつもの半分ばかりに
減っているのだった・・・・・
濁った水ではいけないので、法海は法衣の腰から下を大きくまくりあげて中央の
湧き水の辺りの清水を汲むのであったが、
いよいよその水で墨をたっぷりすり、大師が新しい木の額に『応天門』の
三字を書き終わって門から下りて来られる間に、法海は余った墨汁をすっかり
竹筒に移しとったのだった。
あまりに慌てたので、顔にあちこち墨汁が飛び散った程だった。
ところが、それと同時にすかさず突然ワーッという叫びが周囲から一斉に
巻きおこったではないか。
国中に並ぶ者のない大師の能筆ぶりを見ようとする多勢の集まりに取り囲まれて
いたのだが、
法海は、自分の秘密がばれたかと思い顔を今度は真っ赤に染めていると
(桟橋近くの鹿さんです)
大師は『いや、案ずることはない。笑われているのは、そちではないのじゃよ』
と背中を優しく叩きながら、
指で差し示す応天門を見上げると、その『応』の字の上の点が欠け落ちて
いるのだった。
けれどもそのとき、大師は少しもさわがず、手にしていた太い筆を
『エイッ』とばかり高くほうりあげると、それがみごとに命中し、
それで応の字の点が、立派に書きあがったのであった。
スイマセン地蔵様です
長々とスイマセン
|
|
午前中はとても蒸し暑かったのですが、今は曇り空で過ごしやすいです
今日は東寺(京都)の伝説ですが
行われていた大聖院の画像です。以前、清盛祭りはアップしたのですが・・・・・
大聖院に向かう途中
。。。山は弥山(みせん)です弥山は大聖院の境内です
大聖院は806年、空海(弘法大師)が開いたお寺です
弥山には消えずの火で有名な霊火堂があります
霊火堂は弘法大師、空海が護摩火を焚いて修業したとされる場所です
約1200年経って現在でも消えることなく燃え続けています
『消えずの火』と呼ばれ広島・平和公園の平和の灯』の種火にも使われています
いつもの日本の伝説から端追って
■東寺の墨灸■
今日も東寺には弘法大師の墨灸を受けようと早朝から多勢つめかけていた
遠くは難波や平城の方からも泊まりがけで来る者もある程で
本坊から遠い東門の方まで蟻の行列のように続いていた。
でもその施療というのは大師がただ毛筆の先で、患部に墨を塗ってやる
だけですむので昼頃には終わる
最も多いのが老人の肩こり・子どものかん虫だが、いぼなどには
ただ一度の墨灸で効き目が
三十日に一度の施療日が病人達には待遠しい程であった
そうした患者の一人に嵯峨の
化野からいつも歩いてくる僧侶がいた。
元々は風葬で累々たる死骸の山だった
のを大師が数千体の石物を刻ませ
金胎両部曼荼羅を配置して
土葬にし直した地でその時大師が
開創した
五智山如来寺の住職として遣わしいる
弟子僧の法海なのであった
空海の一字を分け与えた程の信頼を受けている一人だったが、
その法海にも一つか二つ人間なみの悩みがあって
それが右のおでこにぶら下がっている大きなコブであった
虚空菩薩藏
新しく黒々と墨を塗ってもらって一番後からうつむきがちに帰っていく
法海の姿をみて、クスクス笑う人々は絶えなかった
それでも気のせいか、そのコブが来るたびに小さくなっていくのには
また誰も驚きの目をみはらずにはいられないのだった。
次回に続きます
愚痴聞き地蔵様
大聖院の馬酔木(あせび)
鹿さんが葉を食べるので馬酔木が植えてあるそうです
最後にあなたの愚痴をお聞きします
どうぞ(^◇^)
|
|
先日の続きです
メインの東寺のお参りが終わり
東寺東門から京都駅に
東寺を出てユニークな置物でお店の紹介が
![]() 京都駅から東寺に行く途中イオンの中を横切らせてもらったので
帰りもここに、ここで遅い昼食です。
京都らしい昼食ではなく
ステーキ300g( *´艸`)
パワーを頂き(笑)
京都駅から西本願寺に
御影堂門
手水舎
国宝の御影堂(ごえいどう)
東西48m・南北62m・高さ29m
木造建築としては世界最大級の規模
1636年に建立された入母屋の建物
親鸞聖人の木造が安置されています
右が国宝の阿弥陀堂
30分待てば中に入る事が出来たのですが時間が無く
外からのお参りです
阿弥陀堂門
唐門(国宝)の画像が無いのが残念です
横断歩道を渡り総門です
高野山の奥之院には早くお参りができたのですが
東寺は中々お参りできなかったのですが満喫でした
|
)





