|
こんにちは(^◇^)梅雨時期雨は降ってないのですが
蒸し暑いじゅんちゃん地区です
今日は3月1日に訪れた天皇寺です
JR 予讃線 の 八十場駅 ( JR高松駅から30分位 )
ここに着く頃雨が降って来ました
天皇寺 ・ 『高照院さん』 ・とも呼ばれる山里のお寺のようです
山門ではなく三輪鳥居です
崇徳上皇ゆかりの神宮寺
第79番札所 天皇寺
本尊 十一面観世音菩薩
住所 坂出市西庄町天皇1713−2
℡ 0877−46−3508
宿坊 無し
弘法大師が近くの八十場(やそば)の泉を通ったとき
霊気を感じて本尊を刻んだと・・・
霊泉は崇徳上皇の遺体保管にも用いられその縁で境内に
崇徳天皇社(白峰宮)が建立され
寺は社の神宮寺となり名は天皇寺になったようです
江戸時代に再建された本堂です
大師堂です
崇徳上皇の為に建立された白峰宮
3月なので紅梅白梅が綺麗でした
樹齢500年の楠木
八十八名物のところてんの看板が出ていたのですが
残念ながら 12月〜3月中旬までお休みです
八十場の霊水のほとり、江戸時代創業の歴史ある峠の茶屋だそうです
行かれる方是非頂いてアップを”
伝説
昔、瀬戸内海を悪魚が荒らしていた
日本武尊はこれを退治するためにやってきたのだが
悪魚の毒にあたってしまった。88人の兵士とともに気を失って
倒れていたとき、横潮明神が泉の水を持って出現
その水を飲んだとたん元気になり、全員が助かったという。以来
八十場の霊水と呼ばれ今も絶えることなく湧き続けている
湧き続けている霊水の画像が無いのですがm(__)m
|
四国八十八ヵ所巡り
[ リスト | 詳細 ]
|
こんばんは(^◇^)今日は瀬戸大橋に近く厄除で訪れる方が多い郷照寺です
弘法大師が42歳の厄年に訪れたことから厄年と還暦を迎えた方の
『厄除うだつ大師』としても親しまれているそうです
第78番札所 郷照寺
阿弥陀如来
住所 綾歌郡宇多津町1435
℡ 0877−49−0710
宿坊 無し
立派な鐘楼です・・・良く鳴るようになったつりがね
江戸時代この郷照寺の釣鐘が割れて鳴らなくなり
和尚さんは大変困りました。ちょうどその時、大阪からお遍路に来ていた
腕の良い鋳物師に直してもらうことなりましたその時、鐘を鋳なおす材料にと
山に蓄えていた沢山の銅鐘を『とみくま村』の庄屋さんと運んでくれたお爺さんが
いたのですが、いつのまにか姿が見当たらなくなりお礼を言おうと、みんなで
探しましたが、消えていなくなっていました。その鏡のあったところは川津の山
だったことから、お爺さんは春日の明神様だろうとみんなで噂しあいました
鏡を入れて作り直した鐘はとても良い音で鳴り遠く対岸の本州まで聞こえ
その音色に誘われて龍神が現れたそうです
鐘楼の隣に説明があります
本堂です
江戸時代初期のもの奈良様式の2層屋根
屋根の形が特徴的な奈良様式は四国霊場では珍しいそうです
本尊の阿弥陀如来は鎌倉時代のもので県指定文化財
厄除うだつ大師として信仰を集める大師堂です
一円玉を置いて上り厄を払う階段です
観音様の下は万躰観音洞です
万躰の観音様です・・・凄いです
狸の神様です
足利時代 郷照寺に臨阿という優しく詠歌が上手なお坊さんがおりました
ある日、犬に追われ傷ついた狸を助けお寺で育てます。しかしこの臨阿さんは
お殿様と一緒に都に帰っていきました。やがて飢饉や戦が起こり悪者たちが
このお寺を襲います。狸は傷つきながらも色んな知恵をだし必死で守りました
(狸のおばけ)。それを見て周辺の人々もこのお大師様の霊跡霊場を守ろうと
頑張り、この大切な霊跡霊場を守る事ができました
そんなことから狸は『常盤明神』と呼ばれ照郷寺を守る神様になったと説明があります
千枚通しの元祖でもあるようです
|
|
こんばんは(^◇^)今日は古くから にぎあう港町。多度津港から近い田園の
なかにある道隆寺(どうりゅうじ)です
第77番札所 道隆寺
薬師如来
住所 仲多度津郡多度津町北鴨1−3−30
℡ 0877−32−3577
宿坊 無し
山号 桑多山 明王院
749年に土地の豪族・和気道隆が開創したもの
当時は一面が桑畑だったようです
仁王門を潜ると参道に西国33ヵ所・四国八十八ヵ所などの観音様
正面に本堂です
桑畑だった場所に夜な夜な怪光が起きた
怪光を退治しようと矢を射た道隆だが誤って乳母を射殺してしまう
その乳母の供養にと道隆は桑の木で薬師如来像を刻み庭の隅に
草像を建てて像を祀ったのがはじまりだとされています。
その後、道隆の息子・朝祐公が住職になり伽藍を建立・・・
父の名から寺名を『道隆寺』とした
道隆寺には目の病気に霊験があるという潜徳院殿堂があります(画像が無いですm(__)m)
本堂の右手に鐘楼・大師堂です
大師堂の前には
弘法大師に許しを請う衛門三郎の像
大師堂の横に多宝塔です
南無大師遍照金剛の上部分の空おかしくないですか???
多度津藩の京極左馬造は幼少のころから盲目だったが
道隆寺の本尊である薬師如来に祈願したところ全快したという。
以後医学を学んで御典医となり、眼病の達人と呼ばれるようになり
死後、潜徳院殿堂に祀られ多くの方が眼病平癒を祈願されておられるそうです
|
|
こんにちは(^◇^)今日は弘法大師の甥・智証大師円珍の誕生寺です
第76番札所 金倉寺(こんぞうじ)
薬師如来
住所 善通寺市金蔵寺町1160
℡ 0877−62−0845
宿坊 無し
七福神様が案内して下さいます
寺を開いたのは智証大師の祖父で和気道善、当時は『道善寺』と云う名前だったと・・・
その後 唐で学んだ智証大師がここに滞在し、唐の青龍寺にならって伽藍を整え
さらに地名の金倉郷にちなんで『金倉寺』に名前を改める
金剛力士像の仁王門が迎える金倉寺です
仁王門を一礼して入門です
お遍路の 鈴の渋楽 誕生寺 の句碑が
広い境内に石畳・・・正面が本堂です
本堂の中央に大玉が掛けられ回してお参りです
(中央に掛けてあるのが見えますか?)
広大な金倉寺も天正の兵火をはじめ何度かの戦火に遭うなか衰退
江戸時代に高松藩主によって再建
明治時代 日清・日露戦争で活躍した乃木希典将軍が第11師団長として
善通寺に着任した際、ここ金倉寺に単身で下宿
寺が女人禁制のため、東京から訪ねて来た妻と会わなかったと云う逸話は
『妻返しの松』として境内に・・・写真がないです m(__)m
途方に暮れた婦人は松の下でたたずんでいたという
伝説
日本で初めて鬼子母神が現れたという寺
智証大師が5歳の時に天女が現れ、仏堂に入るならずっと護ってやると
言って去った。この天女こそが鬼子母神だといわれています
|
|
今晩は(^◇^)今日は弘法大師誕生の地に建立された寺です
ここに大師の生家である佐伯善通氏の屋敷があった一部を寄進。
807年に唐から帰国した大師は先祖の菩提をとむらうために寺を建立したそうです
唐の青龍寺を模し6年の歳月をかけて813年に七堂伽藍を完成させた善通寺です
第75番札所 善通寺
薬師如来
住所 善通寺市善通寺町3−3−1
℡ 0877−62−0111
宿坊 有り
壮大な仁王門です
真言宗善通寺派の総本山。高野山の金剛峰寺、京都の東寺とともに
弘法大師三大霊場とされています
出店も多く出ています
境内は西院と東院に分かれていて途中、道路を挟んでいます
中門です
本堂です
戦国の動乱でほぼ全焼
現在の本堂は1685年に再建
弘法大師の御影(自画像)を安置することから
『御影堂』と呼ばれる大師堂です
明治17年(1884)築の五重塔
境内には護摩堂や親鸞堂等多くの塔が並んでいます
五百羅漢像も・・・・・
境内には樹齢千数百年を経た大楠が・・・数本
老楠は弘法大師誕生の時より繁茂していたと言われています
香川県の天然記念物
最近では枯れ枝が目立ってきたそうで
原因は周囲の地面が固くなり根本が弱っているとの事です
境内を挟む途中の道路に
本家かたパン
朝からずらり並んでいます
(じゅんちゃんも撮った後並びました・笑)
流石・昼には完売になるそうで・・・
計り売りです
美味しいです
歯の弱い方は別の物も有りです(^^♪
|





