難読地名・珍しい地名の由来

地名は貴重な無形の文化遺産,由来や発生の背景を知ろう

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●東金市
両総台地東端,九十九里浜平野中央西端に位置。戦国期からみえる藩政村。旧東金町。市街地の東金地区は,戦国期酒井氏の城下町。江戸初期には徳川家康の鷹狩り用の邸「東金御殿」が置かれた。船橋から東金にいたる東金街道は一夜にして出来たともいわれ,「一夜街道」の名て知られる。
東金の由来は鴇が根に由来するといわれる。当地にある西福寺境内の山嶺が,鴇(とき)の頭に似ていることから,鴇ヶ峯と称され,トウガネに転訛し,東金と言うようになったと伝えられる。
城の名称も,『東金町誌』によると,「東金城は往古上総介の属館なりしが,後年千葉氏の支城となりて,鴇ヶ嶺城と云う。後,東鐘城と唱へ,また,鴇ヶ根城と号す。大永元年(1521)東金城と改称せり」とある。現在,同市東岩崎に旧名に由来するとみられる鴇嶺(ときがね)小学校がある。


●荒生 あらおい
市の東端。洪積台地下の九十九里浜平野の砂堆(さたい)上に立地し,真亀(まがめ)川中流左岸,作田川下流右岸に位置(海抜5m)。藩政村。旧正気(まさき)村・東金町の大字。地名の由来は,荒地を開発して生まれた土地の意といわれる。当地は江戸南町奉行組与力給知として幕末まで続いた。


●家之子 いえのこ
市の北部。九十九里浜平野に接する下総台地上にあり,作田川中流右岸の谷あいに位置する。?藩政村。
地名の由来は,いにしえより家村と称してきたが,1872年(明治5)木更津県庁管轄の当時,家子が家之子に編定した方が便利なる命により,以来家之子村と称したという。?
家之子の開発は,南北朝時代に護良親王の妃(あるいは姫)が家来たちとこの地付近に落ち延びてきたことに始まると伝えられる。家之子古墳群。


●砂古瀬 いさごぜ 
市の南端。洪積台地下の九十九海浜平野の砂堆上に立地し,南白亀(なばき)川中流左岸に位置(海抜5.4m)。藩政村。1889年(明治22)町村制施行に伴い,依古島・一之袋・二之袋・上谷・上谷などの各村と合併し,福岡村となる。1954年(昭和29)年,66年続いた福岡村は東金市への編入合併で,福岡の地名はなくなったが,福岡小学校にその名をとどめる。


●一之袋 いちのふくろ
市の南端。洪積台地下の九十九海浜平野の砂堆上に立地し,南白亀(なばき)川中流左岸に位置(海抜5.4m)。藩政村。地名の由来は不詳であるが,「袋」は低地,低湿地の意ではないかとみられている。南白亀川と真亀川に囲まれた低湿地から,一之袋や二之袋の地名が起こったのではないかといわれる。→二之袋


●二之袋 にのふくろ
市の南端。洪積台地下の九十九里浜平野の砂堆上に立地し,南白亀川中流左岸に位置。南は山武郡大網白里町に接する。藩政村。この地は江戸期に入って柳沢家の采地として知行された。当時,采地より役奉公として召し出される習わしがあり,佐瀬与惣治家の娘である「きの女」が役奉公に上がった。この時の主人柳沢安忠との間に生まれたのが江戸中期,老中・甲府藩主になった柳沢吉保(1658〜1714)である。→ 一之袋

上谷 うわや
市の南部。南白亀川中流左岸に位置し,洪積台地下の九十九海浜平野の砂堆上に立地(海抜5.6m)。藩政村。旧福岡村の大字。槙造りの中心地→下谷


●下谷 しもや
市の南部。南白亀川中流左岸に位置し,洪積台地下の九十九海浜平野の砂堆上に立地(海抜5m)。藩政村。旧福岡村の大字。上谷・下谷は隣あっている集落で,谷は野(や)に通じ,開墾によって生じた耕地で水分の少ない乾燥した地を意味するのではないかともいわれる。
 

●家徳 かとく
市の南東部。真亀川上流左岸に位置。享保期(1716〜36)年間の新田開発の藩政村。地名は開発者・家徳屋佐藤次郎左衛門にちなむ。当地の子安家は島崎藤村の『夜明け前』の最後の場面に登場する。1889年(明治22)町村制の実施に伴い,正気(まさき)村の大字となる。1953年(昭和28)東金町(市制は翌年)の成立により,東金町家徳となり,正気という珍しい地名は消滅するが,正気小学校として名称が残る。なお,正気村の地名の由来は不明である。


●上布田 かみふだ
市の北部。関東ローム層に覆われた下総台地上の作田川最上流に位置し,侵蝕谷が樹枝状に発達(海抜50m)。藩政村。旧源(みなもと)村の大字。地名の由来は租税として布を納めたからとも,低湿地なので更田(ふけた,布気田=深田)になったからともいわれる。布田村が上・下に分村したのは享保期(1716〜36)以降という。布田の開発は,陸奥国安倍氏の子孫と伝えられる。旧村名は正気小学校や正気公民館にその名をとどめる。


●上武射田 かみむざた
「かみむしゃだ」とも称した。市の北東端。洪積台地下の九十九海浜平野の砂堆上に立地し,作田川下流右岸に位置(海抜5m)。藩政村。旧豊成村・東金町の大字。地名の由来は,古事記に牟邪(むぎ)臣?とあり,これより起ったともいわれ,『和名類聚抄』に郷名武射と載る。もと武射田村は一村で1593年(文禄2),あるいは江戸中期に上下に分かれたという。→下武射田


●下武射田 しもむざた
「しもむしゃだ」ともいった。市の東端。洪積台地下の九十九海浜平野の砂堆上に立地し,田間〜成東間の徳川家康の御鷹狩道「(御狩(みかり)道」に沿う集落,北側に作田川が流れる。藩政村。旧豊成村・東金町の大字。→上武射田


●北之幸谷 きたのこうや
市の中央部。真亀(まがめ)川上流右岸に位置し,洪積台地下の九十九海浜平野の砂堆上に立地(海抜6m)。藩政村。旧東金町の大字。地名は荒野の瑞祥地名とみられる。この地の開拓は1312年(元和1)に始まると伝えられる。上総10ヶ寺の1つ,日蓮宗の妙徳寺がある。北之幸谷の獅子舞(二人立)は県無形民俗文化財。


●北幸谷 きたごうや
古くは北幸野とも表記。市の南部。洪積台地下の九十九里浜平野の砂堆上に立地し,真亀川上流右岸に位置(海抜5.6m)。藩政村。旧正気(まさき)村・東金町の大字。幸谷の地名は荒野や興野を意味するともいわれている。『上総町邨誌』には,「幸谷(北幸谷),元禄ノ頃北幸野ニ作ル,後野ハ谷ニ改メシナルベシ」とある。なぜ,野を谷に改めたかは不明。


●求名 ぐみょう
市の北東部。作田川中流右岸・真亀川最上流域にあり,東金からな成東方面の洪積台地下より数えて第1列目の砂堆上に立地している。室町期には「郡名郷」とみえる藩政村。旧公平(たかひら)村・東金町の大字。地名の由来は,家康が東金滞在中に九十九里方面に鷹狩りに出掛けた折,途中,ある小集落で,村人からこの地の命名を依頼され,家康は即座に「求名」と名付けたという(HP)。また,新しく開拓した村を何と名付けたらよいかと名前を探した結果,名を求めるという意で求名になったとも伝えられる。求名駅(JR東金線)。求名民俗芸能集団(神楽系獅子舞)。


●士農田 しのだ 
市の東部。周囲を下武射田に囲まれた旧豊成村にあった豊成飛行場跡地に成立。地名は,戦後,飛行場に勤務した軍人が農地に開拓したことにちなむという。士農田公民館。→下武射田


●宿 しゅく
市の東端。洪積台地下の砂堆上に立地し,真亀川中流左岸に位置(海抜5m)。藩政村。旧正気村・東金町の大字。地名は,中古東士川領の本陣の所在地,いわゆる本宿の転訛したものといわれる。伊能忠敬の長男景敬の妻りての生家である旧家小川家がある。市原市に同地名がある。→市原市宿


●酒蔵 しゅぞう
市の北部。関東ロームに覆われた下総台地にあり,作田川による樹枝状の侵食谷の段丘上に立地。藩政村。旧源村の大字。地名の由来は不明であるが,この地は千葉氏の落人によって開発されたという。集落の西縁に武射・印旛郡方面の警備の出城(砦)であったといわれる酒蔵城跡がある。


●薄島 すすきしま
市の東部。洪積台地下の九十九里浜平野の砂堆上に立地し,真亀川中流左岸,作田川下流右岸に位置(海抜5m)。藩政村。旧正気村・東金町の大字。地名は,沼沢群(弁天沼・浮沼)が近くにあり,低湿地の間の微高地に薄が生い茂っていたことにちなむといわれる。字神脇の「殿屋敷」という所は,平将門の居住跡と伝えられる。


●台方 だいかた
市の中央部。下総台地と九十九里浜平野中央最深部の接触部で台地の東縁断層崖下に列状に街を形成。藩政村。旧東金町の大字。地名は旧東金村の台地の方にある集落の意味から付けられたともいわれる。中世東金城主酒井氏の屯田養給の地で,台方衆を抱えたという。同地名が成田市にある。→成田市台方


●丹尾 たんのお
市の北西部。九十九里平野最奥部,両総台地東部(海抜60m)に位置。戦国期に「丹尾之郷」とみえる藩政村。旧丘山(おかやま)村・東金町の大字。地名の由来は不詳であるが,「タンノウ」の「タン」は台地や山岳地の低平地を示す「タイ」の訛りで,「オ」は終りを意味し,低平地(たんぼ)の終りの地の意ではないかともいわれている。旧村名の丘山の地名はないが,丘山小学校として名をとどめる。
(「タンノオ」の「タン」は台地や山岳地の低平地を意味するという。「オ」は終りの意で,低平地は田圃(たんぼ)で,その終りの地の意ではないかともいわれる。)


●道庭 どうにわ
市の北部。下総台地と九十九里浜平野の結節点で,台地の東縁断層崖下に列状に街村を形成。藩政村。旧公平村・東金町の大字。地名は,水帳(検地帳)東金領堂庭に由来するのでないかという。中世は東金城主酒井氏の屯田養給の村であった。台地上には道庭古墳群があり,北方は家之子古墳群に連なる。

●殿廻 とのまわり
市の東部。洪積台地下の九十九海浜平野の砂堆上に立地し,真亀川上流に位置。藩政村。旧豊成村・東金町の大字。幕末まで,江戸南町奉行組与力給知。地名は平将門(?〜940)にちなむ館を取り巻く地の意ともいわれる。将門の胞を埋めたという「胞塚」がある。「苗物」の産地として知られる。 

●福俵 ふくたわら
市の南西部。九十九里浜平野の砂堆上に立地し,南白亀川上流左岸に位置(海抜10m)。藩政村。旧大和村・東金町の大字。地名の由来は東金地方の代表的な米作地帯であることによるといわれる。かつて屯倉(みやけ)があったという。福俵駅(無人駅,JR東金線)

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これは、面白いよ。参考になる、なるぜよ。

2013/6/30(日) 午前 9:56 [ 土佐文旦 ] 返信する

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