難読地名・珍しい地名の由来

地名は貴重な無形の文化遺産,由来や発生の背景を知ろう

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●市原市  
 房総半島のほぼ中央部に位置。市域は養老川をはさみ,南北約36kmに及ぶが,東西は20kmと短く,くさび形を呈し,県内一の面積(368km2)を有する。海岸地帯は埋め立てられ,京葉工業地帯を形成しているが,後背地は緑豊かな住宅地,田園地帯となっている。市域の最南端は景勝の地,養老渓谷を有する。律令期には,上総国の国府所在地として栄えた歴史を有する都市で,縄文時代や律令期の遺跡も多く残っている。


●安久谷 あくや
かつて悪谷とも書いた。市の中央部。養老川中流右岸,内田川の谷が養老川の氾濫原に開口する付近に位置。藩政村。旧内田村の大字。アクヤの「アク」はアクタ,アクツと同じく,「川沿いの低湿地」を,「ヤ」は谷地形を指したのであろうといわれる。安久谷は,「悪谷」を瑞祥文字に変えたものであろう。


●浅井小向 あさいこむかい
市の北部。養老川下流左岸に位置。藩政村。旧海上村・三和町の大字。地名は浅井と小向の合成地名とみられるが,詳細は不明。小向(こむけ)という小字がある。


●安須 あず
市の北部。養老川下流左岸に位置。藩政村。地名は崖の多い地形によるという。集落は養老川と丘陵地の近接する南部に集中。かつて安須尋常小学校(1892〜1925)があった。


●朝生原 あそうばら
麻生原とも書く。市の南部。養老川上流に位置。藩政村名は麻生原村。昭和3年小湊鉄道朝生原駅(現養老渓谷駅)設置。なお,熊本県上益城郡甲佐町麻生原は「あそばる」と読む。


●海士有木 あまありき
市の北部。養老川下流右岸に位置。海士村(江戸期〜明治7)と有木村(同)の合成地名(明治7〜22年)。旧市西村・三和町の大字。海士は海部とも書いた。

海部は「航海・漁撈などに従事した朝廷の部」で,828年(天長5)の正倉院庸布銘文に「海部郷戸主刑部小黒人」とみえるが,この海部郷は現在の海士有木とみられている。この頃は,この辺りまで海が迫っていたと思われる。アマの「マ」の相当部分に「士」を当てているのはきわめて珍しい。有木は蟻木(この地に戦国期の蟻木城址がある)とも書いた。アラキは「新たに開拓した地」の意で,当て字であろう。

海士と有木は小字名として残っている。
海士有木駅(小湊鉄道)。


●潤井戸 うるいど
市の北東部。村田川中流左岸に位置。旧湿津村。江戸期に潤井戸藩があった。『和名抄』に見える湿津郷(宇流比豆,宇留比豆)の地とみられ,ウルヒツ→ウルイツ→ウルイドに転訛したといわれる。地名は,当地に清澄な地下水を湧出する水神谷(すいじんやつ)があることに由来するという。潤井戸工業団地。


●湿津 うるつ
明治22〜昭和30年の市原郡の村名。支流村田川左岸の台地上に位置。村名は『和名抄』の湿津郷(うるいず)にちなむという。旧村名は湿津小学校,湿津中学校名として潤井戸に現存。


●大戸 おおと
市の南部。養老川上流右岸に位置。藩政村。旧里見村・加茂村の大字。オオ(ホ)トの「オオ(ホ)」は「山陵・山の末端」を,「ト」は「谷間の狭くなった所」や「傾斜地」を意味しており,大戸は地形地名ともいわれる。同地名は,隣の大多喜町,佐原市にもある。


●天羽田 あもうだ
市の西部。養老川下流左岸の丘陵上に位置。藩政村名は天羽田新田村。天は同市内の海士有木の「海士」と関係があるのか。羽田の羽は埴(ハネ,ハニ)の当て字で,羽田は「粘土質の田」の意という(山中襄太)。「天」を「あ…」と読む地名には,宮崎県延岡市天下町(あもりまち),秋田県能代市天内(あまない),福岡県行橋市天生田(あもうだ),京都府福知山市天座(あまざ),滋賀県高島市今津町天増川(あますがわ)などがある。


●新生 あらおい
市の北部。養老川下流左岸に位置。藩政村。旧海上村・三和町の大字。地名は荒れ地などが新たに開拓されたことに由来するとみられる。→銚子市新生町


●大厩 おおまや
大馬屋とも書く。市の北部。村田川下流南岸に位置。藩政村名は大馬屋村。地名は古代の駅(うまや)または馬牧と関連があるのではないかともいわれる。


●飯給 いたぶ
 市の南部。養老川上流に位置。地名は天智天皇の第一皇子,大友皇子(おおとものおおじ, 640〜672,明治になって弘文天皇と追称)の伝承にちなむという。壬申の乱(大友皇子と天智天皇の弟,大海人皇子<おおあまのおおじ>との間の皇位継承をめぐる争い)で自殺したとみられていた大友皇子が養老渓谷近くに逃げのびたという。

この時,里人が皇子に,御飯や履物を贈った。これに感激した皇子が「なんじら飯を給(たまう)ることたびたりなり。すなわち,これを『飯給』というべし」と仰せられたと伝えられる。「いいたぶ」がつまって「いたぶ」となったとみられる。白山神社は大友皇子を祀る。縄文時代の遺跡がある。飯給駅(小湊鉄道)。


●不入斗 いりやまず
 市の北西部。市原市と富津市にまたがる。荘園地名の一種で,寺社領などで貢納を免ぜられた不入権(検田使や収納使の立入りを拒否する権利)〔貢納が免ぜられ,斗〈ます〉に入れない〕をもつ田畑を指したという。同地名に神奈川県横須賀市不入斗町。不入斗中学校。異名:ふにゅうと 静岡県袋井市国本〔俗〕


●馬立 うまたて
市の中央部。養老川中流域に位置。藩政村。地名は古代の駅(うまや)または馬牧と関連があるのではないかとみられる。馬立駅(小湊鉄道)。


●小田部 おだっぺ
市の北部。養老川と支流村田川の間に位置。かつては小田辺と書いた。藩政村。地名は田の辺に集落が所在したことに由来するという。


●神代 かじろ
市の北西部。養老川下流左岸南方の丘陵縁辺部。藩政村。旧海上村・三和町の大字。当地には,868年(貞観10)に従五位下を授けられた「神代(かじろ)神社」(『三代実録』)が鎮座する。地名はカミ(神)・シロ(代)の約で,「神聖な地」の意であろうといわれ,神代(かじろ)神社に由来するとみられる。
 神代にはいくつかの読み方がある。
・石川県羽咋郡志賀町神代(かくみ)
・富山県氷見市神代(こうじろ)
・兵庫県南あわじ市?神代(じんだい)


●川在 かわざい
市の北部。養老川中流右岸東方に連なる丘陵部に位置。藩政村。明治6年西福寺に川在小学校開校(昭和48年,養老小学校川在分校廃止)。


●久々津 くぐつ
市の北東部。村田川中流左岸に位置。藩政村。


●五所 ごしょ/西五所,東五所,旭五所
御所とも書いた。市の北部。東京湾に注ぐ養老川と支流村田川の間に位置。藩政村。旧五所金杉村・八幡町・市原町の大字。地名は,戦国期に足利義明(?〜1538,八幡公方,のちに小弓〈おゆみ,生実〉城に移り,小弓公方と称した)の御所があったことにちなむという。しかし,義明はこの地に来ていず,小弓城へはいっているともいわれる。五所小学校→千葉市生実町


片又木 かたまたぎ
市の北西部。養老川下流左岸の沖積平野西端に位置。当地は戊辰戦争の際,幕府軍の真里谷(まりやつ)への敗走路にあたる。明治6年片又木小学校開校。

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馬立館(市原市馬立)


馬立館は、小湊鉄道馬立駅の東400mの所にある。写真の熊野神社のある辺りが館の跡であったという。土塁や虎口などが残っていると言うが、よく分からなかった。馬立というと思い出されるのが「更級日記」である。作者は受領層の娘として上総の国に生まれ、都にあこがれを抱き、13才の時に念願かなって上京できることになるが、出発してまず「いまたち」という所に泊まったとある。この「いまたち」というのが馬立の館ではないかと言われているのである。「更級日記」の馬立館と、この館跡とが同一のものかどうかは分からないが、何らかの関連はあったかもしれない。 削除

2008/6/17(火) 午前 10:20 [ ] 返信する

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余湖くんのホームページさんへ
馬立に関する貴重な情報を頂き,有難うございました。

2008/6/17(火) 午後 8:13 [ nan*oku*u*hei*i ] 返信する

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私の育った神代ってそんなに神聖な場所だったんですねぇ。神代神社後は、小さな石碑が残っているだけですが、雰囲気は確かにあります。
近くの山や農道は、迷い道や抜け道があり、なかなか未だにミステリアスです。今度帰ったらまた探検してみよ〜っと!

2010/8/14(土) 午前 0:20 [ かじたに ] 返信する

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神代神社には、以前樹齢二千年程の巨大松があったのです。残念なことに三十数年前にかれてしまいました。神代神社には、プロペラがあり、山本五十六の書名があります。また、オトタチバナノヒメに縁があたり、古墳時代以前?には国があったとか。さらに戦国時代には城も築かれたそうです。かじろと、なぜつけられたのでしょうね。 削除

2011/5/12(木) 午後 7:09 [ 朋りゅう ] 返信する

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