難読地名・珍しい地名の由来

地名は貴重な無形の文化遺産,由来や発生の背景を知ろう

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★緑区 
  
●大椎町 おおじちょう
1969年(昭和44),旧山武郡土気町大字。大椎が千葉市に編入され,誕生。平安時代の中頃,長元の乱を起こした平忠常が居城し,千葉氏の本城として栄えた大椎城があったという。「大慈恩寺文書」(1426年〈応永3〉)に上総国大椎郷とみえる。
大椎小学校,大椎中学校。
 
●刈田子町 かりたごちょう
1955年(昭和30)4月1日,旧千葉郡椎名村大字刈田子が千葉市に編入され,誕生。町名の起源などに関する資料や伝承は見当らないという。刈田には稲を刈った後の田の意もあるが,タゴには農民,タゴ桶(水桶,肥料桶)の意もあり,農耕と関係のある地名とみられる。

●鎌取町 かまとりちょう
1955年(昭和30)旧千葉郡生浜町および誉田村が千葉市に編入した際,生浜町や誉田村の一部をもって鎌取町を設定。小字鎌取台および鎌取からとって名付けられた。『平山郷土史』によれば,中世千葉家の御馬の秣刈場(まぐさかりば)であった野田原は,その後,奥方の化粧免となり,草刈りに来る農民から鎌を調べて,鎌1丁につき銭16文づつを取上げ,また,盗み刈りをする者は鎌を取り上げていたとある。その土地を「鎌取場」と呼び習わし,それが町名に採用されたという。鎌取駅(JR外房線)。
         
●小食土町 やさしどちょう
1969年(昭和44)旧山武郡土気町大字小食土地区が千葉市に編入され,小食土町となる。小食土はかつて「矢指土」という字を使っていたが,海上郡にも同じ「矢指」という村(現・旭市)があって,たびたび誤解を受けることがあった。そこで,「矢指」の字を別の字に変更しようということとなり,村の漢学者に相談したところ,『大食の者は,バンカラだが,小食の者は心がやさしいから,いっそのこと「矢指」を「小食」の字に変えたらどうだろうか』といわれたことから,「矢指」に「小食」という当て字が使用されるようになったと伝えられる。

●大膳野町 だいぜんのちょう
1964年(昭和39)旧千葉郡椎名村の各入会地などをもって同町が誕生。町名は借田子入会字大膳野からとられたものとみられる。なお,1823年(文政6)の文書に「大膳野村」とみえる。

●誉田町 ほんだちょう
 町村令発布の時,野田村付近の村々と合併し,野田村の鎮守八幡神社の祭神・誉田別令の神名を取って,村名にしたという。同名に兵庫県竜野市誉田町誉があるが,誉は「ほまれ」と読む。なお,大阪府羽曳野市誉田は「こんだ」と読む。
誉田小学校,誉田東小学校,誉田駅前郵便局,誉田駅(JR外房線),誉田団地。


★美浜区 

●打瀬 うたせ /1〜3丁目
1980年(昭和55)海面埋立てにより出来た町。町名は,かつて検見川,幕張沖を中心に盛んに行われていた「打瀬網漁」にちなむ。同漁法は漁船に2〜3枚の帆を張り,風の力で袋網を引いて魚貝類を漁獲する方法。

●真砂 まさご/1〜5丁目
海面埋立てにより出来た町で,海に因んだ町名となった。同名の真砂は新潟市にあり,真砂町は栃木県足利市,横浜市中区,愛媛県松山市にある。
真砂第一〜第四小学校,真砂第一・第二中学校。


★若葉区

●愛生町 あいおいちょう
当地は旧陸軍下志津原演習地で,開拓農協などに払い下げられた。開拓の意義と同愛精神を図るため,愛生町と付けられという。

●御成台 おなりだい/1〜3丁目
区域の南辺に接して通じる道路,通称「御成街道」(徳川家康の命を受けて,佐倉藩主土井利勝が船橋から東金まで一直線に数日で造った軍用道路,別称「一夜道路」)にちなむ。

●小間子町 おまごちょう
1963年(昭和38)旧千葉郡泉町上泉,下泉入会地字内小間子などが千葉市に編入され,誕生。

●御殿町 ごてんちょう
1963年(昭和38),旧千葉郡泉町大字中田,古泉及び中田,古泉の入会地が分離独立し,千葉市に編入。この区域には,御茶屋御殿址があり,『鶴の御成街道と東金街道』(清水浦次郎著)に「家康東金鶴狩の際,佐倉城主・土井利勝が命を受けて船橋より銚子,東金に達する新道を開通せし時,家康の休憩所として造営せしなり」とある。この御殿址は土手と濠が残っていたことから,御殿町と名付けられたといわれる。この新道は御成(おなり)街道と呼ばれた。なお,船橋にあった御殿(船橋御殿)は現船橋市本町4丁目にあり,その中心に建てられたのが日本一小さな東照宮である。

●土気町 とけちょう
千葉市の最南端に位置。中古土気領,土気荘,土気郷と称した。室町時代に土気太郎が地頭に任ぜられ,地名を土気にしたと伝えられる。また,当地は房総半島のほぼ中央にあり,天険要害の地形をなし,古くは「峠の庄」と呼ばれ,それが「とけ」の地名の起源ともいわれている。土気駅(JR総武本線)。

●都賀 つが/都賀の台
1889年(明治22)の市町村制施行時に,千葉郡都賀村が誕生。村名は新村の成立に対する住民の祝賀の意を表敬し,命名されたといわれる。1937年(昭和12)年,千葉市と合併。なお,栃木県に同名の都賀町がある。
都賀の台小学校,都賀駅(JR総武本線,千葉モノレール)。

●金親町 かなおやちょう
地名の起源は不明だが,当地にある愛染山延命寺金光院は1289年(正応2)貞成上人によって開基創建された。金光院が1551年(天文20)焼失した際に,千葉一族から山林20余町歩を寄進され,不入之証文を賜っている。1289年以降の資料が金光院などに多数蔵されており,地名は変わっていない。

●五十土町 いかづちちょう
当地に鎮守である雷神社があり,雷(いかづち)にちなんで,五十土の字を当てたものといわれる。五十土の地名は秋田県由利町,新潟県柏原市にある。五十を「いか」と読む地名は静岡県藤枝市五十海(いかるみ),愛媛県の旧・五十崎町(いかざきちょう)など多数ある。

●多部田町 たべたちょう
古くは,千葉家の領地で,千葉介胤正の8男が多部田太郎と称していたという。
多部田の名称は1735年(享保20)の文書からみえる。『日本地名小辞典』では「部田は泥で泥田が多い場所」としているころから地形地名か。

●旦谷町 だんやちょう
市の北端。1632年(寛永9)から「千葉庄旦谷郷」とみえる旧藩政村。1963年(昭和38)旧千葉郡泉町大字旦谷が千葉市に編入。町名の起源は不明だが,鹿島川沿いは低地となっており,地形の谷津と関係があるのかも知れない。

●谷当町 やとうちょう
市の北部。東は利根川の支流鹿島川を境に佐倉市に接する。旧藩政村。1963年(昭和38)旧千葉郡泉町大字谷当が千葉市に編入。町名の起源は地形から名付けられたとみられる。谷津田が多く,道はほとんど谷津田に突き当たる。

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借田子町は刈田子町の間違いではないでしょうか? 削除

2008/5/11(日) 午後 3:35 [ ちはなちゃん ] 返信する

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借田子町は刈田子町の間違いです。ご指摘ありがとうございました。

2008/5/12(月) 午前 9:35 [ nan*oku*u*hei*i ] 返信する

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千葉と市原のさかえ付近に「ごたぼ」と言う地名が有るらしいが どの地域を指すのでしょうか。 その由来を知りたいのですが

2008/5/23(金) 午後 6:24 [ 壮年手習い ] 返信する

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nifute15 さん
ご覧になっていただき有難うございます。
「ごたぼ」は具体的には千葉市と市原市の境のどのあたり(町名)でしょうか。よろしくお願いします。

2008/5/24(土) 午前 11:29 [ nan*oku*u*hei*i ] 返信する

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小間子牧は 幕府の御料牧場 正式名は 御馬郷 とか?
小間子町は 小間子牧の住民側もと上泉 下泉の 入会地でした
yuuはここから発信中

2013/9/28(土) 午後 7:57 ゆう 返信する

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