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野田市
戦国期から見える地名。地名は低湿を意味する「ニタ・ヌタ・ムタ」(地名用語)の転訛ともいわれる。また,古河公方(足利成氏)の臣野田右馬助の所領や城があったことに由来するとも伝えられる。
五木 ごき
市の西部。江戸川中流左岸に位置。戦国期から見える地名。藩政村。
古布内 こぶうち
市の北部。旧関宿町の中央部。藩政村。中央及び西部は台地の上にあり,東部は利根川右岸の低地。利根川左岸は1899年(明治32),茨城県長須村(現坂東市)古布内となる。
地名は承平・天慶の乱(934〜41)で平将門(?〜940)の首を京都に送って,下野・武蔵両国の守に任ぜられた藤原秀郷(生没年不詳)が古い布で陣営を地内北東端(字堀ノ内)に敷いたことに由来すると伝えられる。
座生 ざおう
市の西部。江戸川左岸,下総台地を侵食した低地にある。藩政村名は座生新田村。地名は座生沼近くに蔵王権現が祀られてことに由来。座生排水路。座生の付いた地名には,宮城県亘理郡山元町坂元字座生内(ざそううち)がある。
鶴奉 つるほう
市の南部。利根川と江戸川の間の下総台地背梁部に位置する。地名は鶴嶋新田と奉目新田が合併して鶴奉となったという。鶴嶋は低地をしめす「ツル」と川沿いの耕地「シマ」の合成地名か。奉目は貢租免除地の奉免によるという。
次木 なみき
旧・関宿町の大字。藩政村。江戸川左岸に位置し,日光東往還ぞいにある。地名は往還にあった松並木に由来するという。「なみ」に「次」の字を当てたか,不明。同地名が茨城県の旧・北浦村(現・行方市)にある。なお,岐阜市次木は「なめき」と読む。
新田戸 にったど
旧・関宿町の大字。藩政村。下総台地西端,利根川右岸に位置。地名は低湿地を意味する「ニタ」に由来し,戸は渡船場のある村の意という。1899年(明治32)年利根川以東は茨城県森戸村(現・境町)新田戸となる。
東宝珠花 ひがしほうしゅばな
旧・関宿町の大字。江戸川左岸にあり,かつては河川交通の要衝であった。地名の由来は,宝珠は境界標を示すホウシ(傍示)の転訛か,花は端で突き出した台地状の地形(鼻)をさすともいわれる。もとは宝珠花村1村であったが,1641年(寛永18)に,江戸川が開削された後に,川を挟んで,村は東と西に分かれ,西宝珠花村(現・埼玉県春日部市西宝珠花)となった。
筵打 むしろうち
市の東端。利根川右岸の低地に位置し,地名はかつては莚を生産していたことに由来するという。藩政村。はじめ茨城県中川村の大字,1899年(明治32)一部が千葉県川間村に編入,川間村莚打となる。残余は現在,利根川左岸にある茨城県坂東市莚打。同名の地名には,
京都府亀岡市保津町莚打がある。
目吹 めふき
市の東端。利根川右岸低地と下総台地にまたがる。戦国期から見える地名。地名は後3年の役(1086〜88)で右目を射られた鎌倉権五郎景政が立ち寄り,傷を癒したので「目ふき」に由来するとも,古代長洲牧の役所「馬部給」によるとも伝えられる。なお、1958年(昭和33)竣工の利根川に架かる橋(対岸,現・茨城県坂東市)は,芽吹大橋と命名された。野田目吹郵便局, 国土交通省利根川上流河川事務所目吹出張所。
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