難読地名・珍しい地名の由来

地名は貴重な無形の文化遺産,由来や発生の背景を知ろう

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

イメージ 1 イメージ 2

イメージ 2

●木更津市
海岸に面した木更津の地名は日本武尊が妃の弟橘媛をしのんで,立ち去らなかったので,「君去らず」に由来するとも伝えられる。古くから開かれた地域で,海路では鎌倉の玄関口,六浦(むつうら,横浜市金沢区)へは30km以内にあり,上総と鎌倉を結ぶ鎌倉道の主要な拠点の一つと見られる。江戸期には幕府公認の木更津港が設置され,上総・安房への江戸文化の流入口ともなって繁栄した。

市域内の小櫃川三角州には,遺跡が多くあり,古代の文化の中心地であったことをうかがうことができる。市内長須賀には5個の金鈴(きんれい)が出土した「金鈴塚古墳」があり,大田には市立金鈴塚遺物保存館がある。

木更津には,江戸期には,請西藩があったが,最後の藩主林忠崇(ただたか)が旧幕府側についたため,明治維新では全国唯一取りつぶし藩となった。廃藩置県で木更津県が設置されると,明治維新で駿河(静岡県)から転封された旧桜井藩主の邸宅が庁舎として利用された(現在,貝渕3丁目に井戸と追手門の土手が残っている)。

木更津の地名は,歌舞伎「与話情横名浮櫛(よはなさけよこなのうきぐし」の「切られ与三郎の墓」(駅前の光明寺)や大正末期に野口雨情が発表した童謡「証誠寺(しょうじょうじ)の狸ばやし」などで全国に知られるようになった。


●犬成 いんなり
 市の中央部。小櫃川下流左岸。近くに館山自動車道木更津ジャンクションがある。地名は,昔天皇が行幸した際,命名した「院成」によるとも伝えられる。市原市の犬成は「いぬなり」と読む。「犬」を「いん」と読む地名には富山県射水市犬内(いんない)がある。


●牛袋 うしぶくろ
市の北部。小櫃川下流に位置。室町期から見える。藩政村。地名はこの付近と比定される『延喜式』に見える負野(おうの)牛牧に由来するのか。

●上望陀 かみもうだ

 市の中央部北端。藩政村。上総国望陀郡のうち。水田地帯。古代〜近代に「望陀郡」があった。『養老令』(757)には望陀郡から「望陀布」と呼ばれる幅の広い高価な調布を貢納する規定があった。「望」は呉音か,「もう」と読む地名には神奈川県海老名市望地(もうち)がある。


●下望陀 しももうだ
市の北部。小櫃川中流北岸。水田地帯。


●茅野七曲 かやのななまがり
市の南東部。小櫃川中流右岸から南東方へ延びる小支流七曲川の北岸に位置。藩政村。


●草敷 くさじき
 市の南部。藩政村。地名は源頼朝(1147〜99)に由来するという。頼朝は1180年(治承4),相模国足柄下郡石橋山で平家に大敗し,海路安房に逃れた。上陸後,この地で頼朝が松の根元で草を敷いて食事をとったことから名付けられたと伝えられる。村人はこの松を頼朝にあやかって「勇後の松」と呼んだ。現在「勇後の松碑」が残っている。その後,頼朝は千葉常胤(つねたね,1118〜1201)等の助勢を得て,鎌倉幕府を樹立した。


●畔戸 くろと
東京湾岸,小櫃川河口右岸に位置。藩政村。『義経記』の「いかひしり」はこの付近と比定する説がある。


●下内橋 げないばし
市の東部。小櫃川中流右岸に位置。旧久留里藩領。藩政村。馬来田駅(JR久留里線)の西方に広がる水田地帯。


●下郡 しもごおり
市の東部。小櫃川中流域に位置。藩政村。1935年(昭和10)にたてられた下郡郵便局旧局舎(県文化財)がある。下郡駅(JR久留里線)の所在地は隣の君津郡山本。同名地名には大分市下郡,三重県伊賀市下郡,福島県桑折町下郡,宮城県遠田郡涌谷町下郡などがある。


●請西 じょうざい
市の中央部。戦国期から見える。藩政村。地名は城在,城砦(じょうさい)が転じたものとも伝えられる。幕府領であったが,文政8年側御用取次の林忠英が貝淵(市の西部)に1万石で立藩。嘉永3年貝淵藩主林忠旭が陣屋を請西村に移し,請西藩と改称。現在,土塁のみを残した「真武根(まふね)陣屋跡」がある。

弥生時代の墳墓として注目される請西遺跡群。請西小学校。


●菅生 すごう
市の北部。小櫃川下流左岸。域内を久留里線,東京湾アクアライン連絡道が通る。鎌倉期から見える荘園(菅生荘)。藩政村。菅生遺跡(井戸跡,農具など出土,出土品は市立金鈴塚遺物保存館に保存されている)。


●戸国 とくに
市の東部。小櫃川中流右岸に位置。藩政村。馬来田駅(JR久留里線)の西方1kmに広がる水田地帯。


●中烏田 なかからすだ
市の南西部。烏田川中流右岸に位置。藩政村。江戸初期にたてられたと見られる「北 かまくら道」の道標がある。域内に館山自動車道の南木更津ジャンクションがある。


●馬来田 まくた
市の東部。藩政村。昭和30年馬来田村は富岡村と合併し,富来田町となり,昭和46年木更津市の一部となった。

『万葉集』巻第14には東歌230首が収載されているが,その中に「上総国の相聞往来の2首」があり, 馬来田の地名が見える。
・馬来田の嶺ろの篠葉の露霜濡れてわき なば汝は恋ふばぞも(3382)
・馬来田の嶺ろに隠り居斯くだにも国の 遠かば汝が目ほりせむ(3383)

今から1,300年以上前に,この地域からも1,000kmも離れた九州の地に防人(さきもり)として派遣されていた。これらの防人は任を終えて恋人や妻子の待つ故郷に無事たどり着いたのであろうか。

現在,馬来田の地名は馬来田小学校や馬来田駅(JR久留里線)に名前をとどめるにすぎない。


●真里谷 まりやつ
 市の東部。小櫃川中流の支流武田川流域とその支流域の谷田に位置。郷名として南北朝期から見える。藩政村。。千畳敷と呼ばれる土塁に囲まれた曲輪(くるわ)が残る真里谷城跡(木更津市少年自然の家の地)がある。武田氏が1552年亡びるまで,この地を中心に西上総を支配していた。


●万石 まんごく
市の北西部。小櫃川最下流の左岸に位置。南北朝〜室町期に万石郷と見える。藩政村。地名はかつて水田地帯であったこと由来するのか。


●木材港 もくざいみなと
市の西部。海岸埋立地で,木更津木材港団地の敷地。昭和50年命名。

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事