難読地名・珍しい地名の由来

地名は貴重な無形の文化遺産,由来や発生の背景を知ろう

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●栢橋 かやはし
萱橋とも書いた。市の中央部。養老川中流左岸に位置。藩政村。旧戸田村・南総町の大字。地名は,当地を流れる川に萱でできた橋を架けたことにちなむという伝説がある。萱は難しい字なので栢に改めたという。語源的には,「カヤ」は動詞「カヤル」(曲がる)の語幹で,川が屈曲点をいうともいわれる。 

●古敷谷 こしきや
市の南部。養老川支流の古敷谷川流域に位置し,周囲から山が迫る。藩政村。旧富山村・加茂村の大字。語源的には,コシキは「コシ・キ」と「コ・シキ」の見方があるという。「コシ・キ」の「コシ」は急傾斜地,山腹,「キ」は接尾語。

「コ・シキ」の「コ」は小さい,あるいは接頭語,「シキ」は河川敷,台地の意ともいう。いずれにせよ,古敷谷は地形から生じた地名とみられる。藩政時代,同地は松平氏ほか4氏の相給(1村が複数の領主に分割されて知行されることをいう)。年貢米は養老川の高滝河岸から船積みされ,8里先の八幡浦(やわたうら)まで運ばれ,同浦から海上距離9里の江戸へ送られたという。明治6年古敷谷小学校開校(富山小学校の前身)。加茂古敷谷郵便局。


●西広 さいひろ
市の北部。養老川下流右岸に位置。戦国期から見える藩政村。旧市原村・五井町の大字。当地には,868年(貞観10)に従五位下を授けられた「前広(さきひろ)神社」(『三代実録』)が鎮座する。地名のサイヒロ(西広)はサキヒロ(前広)の音韻転訛といわれる。木造の構築物としては全国で珍しい「西広板羽目堰(明治18年完成)」(市文化財)がある。

なお,西を「サイ」と読む地名には次のようなものがある。
・茨城県久慈郡大子町西金(さいがね)
・大分県宇佐市西木(さいき)
・大阪府高槻市西面(さいめ)
・京都市上京区西東町(さいとうちょう)・京都市の西石垣通り(さいせきどおり)


●宿 しゅく
市の中央部。養老川支流内田川中流右岸に位置。藩政村名は宿村。地名の由来は太平洋岸と東京湾岸を結ぶ街道の宿場があったことよるともいう。同名の地名が東金市にある。


●真ヶ谷 しんがや
市の中央部。養老川右岸内田川下流域右岸。藩政村。真ヶ谷城址。


●武士 たけし
市の北部。かつて建市・建子・竹子・武子とも記した。藩政村。旧市西村・三和町の大字。かつてこの地に,884年(元慶8)従五位下を授けられた「建市神社」があった(『三代実録』)ことから,同音読みの武士の字を当てたものともみられるが,その時期は不明である。


●玉前 たまさき
市の北西部。養老川河口左岸デルタ地帯。藩政期は玉前新田村。かつては海苔養殖等も行われたが,昭和35年頃から京葉臨海工業地帯造成のため,漁業権を放棄。なお,長生郡一宮町には玉前神(玉依姫命)を祀った玉前神社がある。全国で前を「さき」と読む地名には??????がある。


●廿五里 ついへいじ
 江戸中期の故実学者伊勢貞丈(1717〜84)の随筆によると,「同所にある東泉寺に鎌倉幕府の焼香使が毎月やってきて,お参りをした。当時の旅程で鎌倉から二十五里あったところから,それまでの地名『露乾地(つゆひじ)』を『二十五里』に変え,読み方だけは昔のままとした。このことが代々,地区に言い伝えられた」とある。また,他の説には「築比地(ついひじ)」「露比地(ついひじ)」が変化したともいわれている。つゆひじ,ついひじが何時の間にかなまって,現在の読み方になったという。なお,廿を「つ」で読み始める地名には大阪府富田林市廿山(つづやま),岐阜県美濃加茂市廿屋(つづや),岐阜県多治見市廿屋町(つずはらちょう)がある。
 廿五里派出所,廿五里橋(養老川)。
  
●土宇 つちう
市の中央部。養老川中流右岸。鎌倉期に土宇郷と見える藩政村。旧養老村・三和村の大字。語源的にみると,「ツ・チュウ」の場合,「ツ」は渡し場,「チュウ」は崩壊地形,浸食地形の意で,養老川と関連した地形から生じた地名との見方もあるという。明治期,土宇尋常小学校があった。


●鶴舞 つるまい 
市の中央部。養老川右岸氾濫原と,支流内田川の支流石川川の谷との間の丘陵ないし台地に位置。藩政村。明治元年,浜松藩の廃藩により藩主井上河内守正直が転封され鶴舞藩を立藩した所。廃藩後,鶴舞県となる。当地は夏涼しく,眺望がよく,房総の軽井沢と呼ばれている。鶴舞小学校(鶴舞藩庁跡,校庭のシイの大木は知事旧宅の所在地という),鶴舞桜が丘高校,上総鶴舞駅(小湊鉄道),市原鶴舞郵便局。鶴舞公園。

●寺谷 てらやつ
市の中央部。養老川中流左岸に位置し,丘陵・台地,これを切り開いた栢橋(かやはし)川の谷からなる。旧藩政村。旧戸田村・南総村の大字。テラヤツの「テラ」は,この地にある真言宗玉泉寺・万蔵寺に,「ヤツ」は地形に由来か。寺谷小学校。


●徳氏 とくうじ
市の南部。養老川上流右岸に位置。藩政村。藩政時代は久留里藩領。旧里見村・加茂村の大字。


●戸面 とづら
市の南端。養老川の最上流域に位置。南は大多喜町に接する。藩政村。旧白鳥村・加茂村。トヅラの「ト」は「沢の合流点」「谷間の狭くなった所」や「傾斜地」を,「ヅラ」は「連なった状態」を意味しており,戸面は養老川の浸食作用による地形地名ともいわれている。
養老温泉を含む養老渓谷奥清澄県立自然公園に含まれている。


●外部田 とのべた
市の南部。養老川中流左岸に位置。藩政村。旧高滝村・加茂村の大字。トノベタの「ト」は「険しい地形」,「ノ」は「野・田畑」,「ベタ」は「はし,へり,山麓など」の意がある。この地が,険しい山麓の近くに田畑などがあることなどから,この字が当てられたのではないかという。


●櫃挾 ひつば
市の中央。養老川中流右岸東方に連なる丘陵部に位置。藩政村。旧養老村・三和町の大字。ヒツバの「ヒツ」は「シズ」(垂)の転で「崖」の意,「バ」は場で挾の字が当てられたのではないかともいわれる。地形から生じた地名のようである。


●不入 ふにゅう
市の南部。養老川と古敷谷川が合流する付近に位置。藩政村。旧高滝村・加茂村の大字。歴史学では,不入とは荘園への検田使や収納使の立入りを拒否する権利をいうが,この地には荘園がなかったことから,地形地名に起源するのではないかともみられている。不入の付いた地名には荘園と関係のある不入斗(いりやまず)のほか,鳥取県倉吉市不入岡(ふにおか)などがある。→不入斗

●奉免 ほうめ
市の中央部。養老川中流右岸。藩政村。奉免は中世,神社領などに租税を免除する際に用いた語という。当地には熊野神社(熊野大権現),苗鹿神社,曹洞宗満蔵寺,天台宗来迎寺などがある。→市川市奉免町(ほうめんまち)

●分目 わんめ
市の北部。養老川下流左岸に連なる丘陵の北端に位置。藩政村。旧海上村・三和町の大字。ワンメの「ワ」は輪・曲,「メ」は狭くなった所の意とみられる。この地には旧養老川流路の痕跡があることから,地形地名ともいわれている。

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●市原市  
 房総半島のほぼ中央部に位置。市域は養老川をはさみ,南北約36kmに及ぶが,東西は20kmと短く,くさび形を呈し,県内一の面積(368km2)を有する。海岸地帯は埋め立てられ,京葉工業地帯を形成しているが,後背地は緑豊かな住宅地,田園地帯となっている。市域の最南端は景勝の地,養老渓谷を有する。律令期には,上総国の国府所在地として栄えた歴史を有する都市で,縄文時代や律令期の遺跡も多く残っている。


●安久谷 あくや
かつて悪谷とも書いた。市の中央部。養老川中流右岸,内田川の谷が養老川の氾濫原に開口する付近に位置。藩政村。旧内田村の大字。アクヤの「アク」はアクタ,アクツと同じく,「川沿いの低湿地」を,「ヤ」は谷地形を指したのであろうといわれる。安久谷は,「悪谷」を瑞祥文字に変えたものであろう。


●浅井小向 あさいこむかい
市の北部。養老川下流左岸に位置。藩政村。旧海上村・三和町の大字。地名は浅井と小向の合成地名とみられるが,詳細は不明。小向(こむけ)という小字がある。


●安須 あず
市の北部。養老川下流左岸に位置。藩政村。地名は崖の多い地形によるという。集落は養老川と丘陵地の近接する南部に集中。かつて安須尋常小学校(1892〜1925)があった。


●朝生原 あそうばら
麻生原とも書く。市の南部。養老川上流に位置。藩政村名は麻生原村。昭和3年小湊鉄道朝生原駅(現養老渓谷駅)設置。なお,熊本県上益城郡甲佐町麻生原は「あそばる」と読む。


●海士有木 あまありき
市の北部。養老川下流右岸に位置。海士村(江戸期〜明治7)と有木村(同)の合成地名(明治7〜22年)。旧市西村・三和町の大字。海士は海部とも書いた。

海部は「航海・漁撈などに従事した朝廷の部」で,828年(天長5)の正倉院庸布銘文に「海部郷戸主刑部小黒人」とみえるが,この海部郷は現在の海士有木とみられている。この頃は,この辺りまで海が迫っていたと思われる。アマの「マ」の相当部分に「士」を当てているのはきわめて珍しい。有木は蟻木(この地に戦国期の蟻木城址がある)とも書いた。アラキは「新たに開拓した地」の意で,当て字であろう。

海士と有木は小字名として残っている。
海士有木駅(小湊鉄道)。


●潤井戸 うるいど
市の北東部。村田川中流左岸に位置。旧湿津村。江戸期に潤井戸藩があった。『和名抄』に見える湿津郷(宇流比豆,宇留比豆)の地とみられ,ウルヒツ→ウルイツ→ウルイドに転訛したといわれる。地名は,当地に清澄な地下水を湧出する水神谷(すいじんやつ)があることに由来するという。潤井戸工業団地。


●湿津 うるつ
明治22〜昭和30年の市原郡の村名。支流村田川左岸の台地上に位置。村名は『和名抄』の湿津郷(うるいず)にちなむという。旧村名は湿津小学校,湿津中学校名として潤井戸に現存。


●大戸 おおと
市の南部。養老川上流右岸に位置。藩政村。旧里見村・加茂村の大字。オオ(ホ)トの「オオ(ホ)」は「山陵・山の末端」を,「ト」は「谷間の狭くなった所」や「傾斜地」を意味しており,大戸は地形地名ともいわれる。同地名は,隣の大多喜町,佐原市にもある。


●天羽田 あもうだ
市の西部。養老川下流左岸の丘陵上に位置。藩政村名は天羽田新田村。天は同市内の海士有木の「海士」と関係があるのか。羽田の羽は埴(ハネ,ハニ)の当て字で,羽田は「粘土質の田」の意という(山中襄太)。「天」を「あ…」と読む地名には,宮崎県延岡市天下町(あもりまち),秋田県能代市天内(あまない),福岡県行橋市天生田(あもうだ),京都府福知山市天座(あまざ),滋賀県高島市今津町天増川(あますがわ)などがある。


●新生 あらおい
市の北部。養老川下流左岸に位置。藩政村。旧海上村・三和町の大字。地名は荒れ地などが新たに開拓されたことに由来するとみられる。→銚子市新生町


●大厩 おおまや
大馬屋とも書く。市の北部。村田川下流南岸に位置。藩政村名は大馬屋村。地名は古代の駅(うまや)または馬牧と関連があるのではないかともいわれる。


●飯給 いたぶ
 市の南部。養老川上流に位置。地名は天智天皇の第一皇子,大友皇子(おおとものおおじ, 640〜672,明治になって弘文天皇と追称)の伝承にちなむという。壬申の乱(大友皇子と天智天皇の弟,大海人皇子<おおあまのおおじ>との間の皇位継承をめぐる争い)で自殺したとみられていた大友皇子が養老渓谷近くに逃げのびたという。

この時,里人が皇子に,御飯や履物を贈った。これに感激した皇子が「なんじら飯を給(たまう)ることたびたりなり。すなわち,これを『飯給』というべし」と仰せられたと伝えられる。「いいたぶ」がつまって「いたぶ」となったとみられる。白山神社は大友皇子を祀る。縄文時代の遺跡がある。飯給駅(小湊鉄道)。


●不入斗 いりやまず
 市の北西部。市原市と富津市にまたがる。荘園地名の一種で,寺社領などで貢納を免ぜられた不入権(検田使や収納使の立入りを拒否する権利)〔貢納が免ぜられ,斗〈ます〉に入れない〕をもつ田畑を指したという。同地名に神奈川県横須賀市不入斗町。不入斗中学校。異名:ふにゅうと 静岡県袋井市国本〔俗〕


●馬立 うまたて
市の中央部。養老川中流域に位置。藩政村。地名は古代の駅(うまや)または馬牧と関連があるのではないかとみられる。馬立駅(小湊鉄道)。


●小田部 おだっぺ
市の北部。養老川と支流村田川の間に位置。かつては小田辺と書いた。藩政村。地名は田の辺に集落が所在したことに由来するという。


●神代 かじろ
市の北西部。養老川下流左岸南方の丘陵縁辺部。藩政村。旧海上村・三和町の大字。当地には,868年(貞観10)に従五位下を授けられた「神代(かじろ)神社」(『三代実録』)が鎮座する。地名はカミ(神)・シロ(代)の約で,「神聖な地」の意であろうといわれ,神代(かじろ)神社に由来するとみられる。
 神代にはいくつかの読み方がある。
・石川県羽咋郡志賀町神代(かくみ)
・富山県氷見市神代(こうじろ)
・兵庫県南あわじ市?神代(じんだい)


●川在 かわざい
市の北部。養老川中流右岸東方に連なる丘陵部に位置。藩政村。明治6年西福寺に川在小学校開校(昭和48年,養老小学校川在分校廃止)。


●久々津 くぐつ
市の北東部。村田川中流左岸に位置。藩政村。


●五所 ごしょ/西五所,東五所,旭五所
御所とも書いた。市の北部。東京湾に注ぐ養老川と支流村田川の間に位置。藩政村。旧五所金杉村・八幡町・市原町の大字。地名は,戦国期に足利義明(?〜1538,八幡公方,のちに小弓〈おゆみ,生実〉城に移り,小弓公方と称した)の御所があったことにちなむという。しかし,義明はこの地に来ていず,小弓城へはいっているともいわれる。五所小学校→千葉市生実町


片又木 かたまたぎ
市の北西部。養老川下流左岸の沖積平野西端に位置。当地は戊辰戦争の際,幕府軍の真里谷(まりやつ)への敗走路にあたる。明治6年片又木小学校開校。

●八街市
下総台地の南部に位置。江戸期は佐倉牧と呼ばれる原野で,北部は「柳沢牧(まき)」,南部は「小間子牧(おまごまき)」と呼ばれ,江戸幕府の広大な野馬の生産牧野であった。明治期に入り,新政府の下,牧野の開墾が開始され,明治2年「柳沢牧」に「八街」という地名が付けられた。地名は,西は現松戸市から東は香取市まで広がっていた小金(こがね)・佐倉12牧のうち10牧を開墾場として,予定された入植順序に従い,数字と好字を用いて命名したもののうち8番目にあたる。「街」は「四方に通じる道」の意で,「交通の要衝,四通八達の地」に発展することを願って,この字を用いたともいわれる。明治5年八街村となり,明治6年頃小間子牧を開墾してできた小間子村を合併。…1992年(平成4)4月1日,県下30番目市制施行。旧八街町内には,全国の市段階では珍しい「い・ろ・は・に・ほ・へ」の地名がある。→初富,十余三


●砂 いさご
かつて砂子とも書いた。市の南部。下総台地南部,鹿島川支流の大谷流川の上流に位置。藩政村。この土地の土質は鉄分が多く,雨水の流れた後に,砂鉄がみられるという。地名はこの砂鉄に由来すると思われる。なお,川崎市川崎区砂子,岩手県花巻市東和町砂子も「いさご」と読む。→上砂
 

●大谷流 おおやる
市の南西部。印旛沼水系鹿島川上流支谷の東側,下総台地の上に位置。藩政村。地名は地域内に渓流が流れることに由来すると伝えられる。1614年(慶長19)の御成街道の普請覚書には「谷流村」とみえ,後年,大谷流と小谷流の2村に分離したともいわれる。旧村名の川上小学校,川上郵便局がある。→小谷流


●沖渡 おきわたし
奥渡とも表記した。市の北東部。作田川の支流境川の上流域の丘陵地帯に位置し,境川の水源地。藩政村。旧睦岡村・山武町の大字。地名は九十九里海岸から奥まった所の意という。


●上砂 かみいさご
かつて上砂子とも書いた。市の南部。鹿島川上流から南に分かれた支流の南の台地上に位置。藩政村。1625年(寛永2)〜98年(元禄18)の間,鷹匠頭旗本阿部新四郎の知行地を上砂村として砂村から分村したとみられている。同地の中央を東西に走る御成街道(家康が鷹狩りのためにつくらせた街道)がある。→砂


●雁丸尾余 がんまるびよ
市の北東部。雁丸の字。高崎川支流の西側,台地上に位置。かつては原野であったが,1669年(寛文9)から開発が開始され,1675年(延宝3)雁丸新田村として成立。雁丸の由来は,当時越冬のため飛来していた鶴や雁にちなむとも伝えられる。また,新たに開拓された新田は細身の雁の姿に似ていたからともいわれる。丸は曲線を,尾余は半島状に台地出っ張った突端を指すという。


●小谷流 こやる
市の南西部。鹿島川上流から南に分かれた支流の西側低地および台地上に位置。藩政村。もと稲葉村の一部で,1591年(天正19)の検地の結果,地味の厚薄によって,稲葉・大谷流・小谷流の3村に分かれたという。小間子牧に接していたので,野馬が牧外に出て,農作物を食い荒し,農民を苦しめたという。→大谷流


●皿谷 さらやつ
八街いの小字。地名は皿状の谷津があったことにちなむ。


●四木 しもく
市の南部。江戸期は佐倉七牧の一つ小間子牧の一部。東西に走る「極楽寺の新六谷津〜上金杉」土手と「太郎坊」の泥面を起点として北上する土手が丁字状に交差し,撞木の形にみえることから,「しゅもく」→「しもく」と名付けられたという。


●根古谷 ねごや
かつては根古屋・根木谷とも書いた。市の西端。鹿島川上流の低地とそれに続く台地上に位置。藩政村。地名は中央部に千葉氏の一族円城寺氏が築いたと伝えられる根古屋城址があることから,家臣の居住地といわれる根小屋に由来するともいわれる。なお,根小(古)屋という地名は全国各地にある。
・神奈川県の旧津久井郡津久井町根小屋(現相模原市)は津久井城との関係で 命名されたという。
・静岡市根古屋は久能城に由来するといわれる。
 ネゴヤの字は上記のほか,根木屋,根古城,城下,猫谷など種々ある。→匝 瑳市城下


●文違 ひじかい
市の北東部。高崎川上流の支谷西側の台地に位置。藩政村。地名は,1582年(天正10),「小間子ノ吉田原」の戦いに敗れた椎崎城主の椎崎三郎勝任が再起をはかるべく先発隊を飯櫃(いびつ)村(旧・芝山町)に派遣したが,先発隊は道を「踏み違って」飯積村(現・酒々井町)に向かったことにちなみ,「ふみちがえ」が転訛して,「ひじかい」になったと伝えられる。また,名主で牧士を務める錦貫家に他地区の錦貫家の文書がまちがって届けられることがあり,「文ちがい」が「文違」になったともいわれる。八街文違郵便局


●用草 もちくさ 
かつて「もちぐさ」ともいい,持草とも表記した。市の南西部。鹿島川上流とその支流に挟まれた下総台地上に位置。南北朝期からみえる藩政村。旧川上村の大字。地名は草木の繁茂に由来するともいい,用いる草とは稲のことを指すのではないかともいわれる。


●八街い やちまた い
市の北東部。旧字名は「夕日丘」といい,牧野を開拓したため,珍しい小字が多数ある。
・腹鼓(はらづつみ)狸が多く生息し ていた。
・狐台(きつねだい)野狐が生息していた台地。
・駒袋(こまぶくろ)野馬を追い込んだ所(野馬追込場)。 
・西駒袋(にしこまぶくろ)西側の駒袋。・東堤(ひがしつつみ)柳沢牧を東方に走る野馬土手がある所。
・宝谷津(たからやつ)宝ともいうべき 水稲ができる谷津田。
・恵畑(めぐみはた)四番会社の開拓民が最初に恩恵を受けた畑。
 →皿谷 


●八街ろ やちまた ろ
市の北東部。県立八街高がある。


●八街は やちまた は
市の北端。


●八街に やちまた に
市の北東部。


●八街ほ やちまた ほ
市の北東部。市役所などがある市の中心地。開拓に関係した多くの小字がある。例えば,屋敷添(やしきぞい,開拓当初一番会社関係の屋敷のあった所),四番野(よばんの,字「四番」の野地),三角地(さんかくち,「一番,文違,富山」境の三角形の土地),五方杭(ごほうくい,五方面を表記した標杭を五叉路に立てた所)など。
八街東小,八街中央中,八街駅(JR総武本線)。


●八街へ やちまた へ
市の南東部。

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