難読地名・珍しい地名の由来

地名は貴重な無形の文化遺産,由来や発生の背景を知ろう

地名

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●木更津市
海岸に面した木更津の地名は日本武尊が妃の弟橘媛をしのんで,立ち去らなかったので,「君去らず」に由来するとも伝えられる。古くから開かれた地域で,海路では鎌倉の玄関口,六浦(むつうら,横浜市金沢区)へは30km以内にあり,上総と鎌倉を結ぶ鎌倉道の主要な拠点の一つと見られる。江戸期には幕府公認の木更津港が設置され,上総・安房への江戸文化の流入口ともなって繁栄した。

市域内の小櫃川三角州には,遺跡が多くあり,古代の文化の中心地であったことをうかがうことができる。市内長須賀には5個の金鈴(きんれい)が出土した「金鈴塚古墳」があり,大田には市立金鈴塚遺物保存館がある。

木更津には,江戸期には,請西藩があったが,最後の藩主林忠崇(ただたか)が旧幕府側についたため,明治維新では全国唯一取りつぶし藩となった。廃藩置県で木更津県が設置されると,明治維新で駿河(静岡県)から転封された旧桜井藩主の邸宅が庁舎として利用された(現在,貝渕3丁目に井戸と追手門の土手が残っている)。

木更津の地名は,歌舞伎「与話情横名浮櫛(よはなさけよこなのうきぐし」の「切られ与三郎の墓」(駅前の光明寺)や大正末期に野口雨情が発表した童謡「証誠寺(しょうじょうじ)の狸ばやし」などで全国に知られるようになった。


●犬成 いんなり
 市の中央部。小櫃川下流左岸。近くに館山自動車道木更津ジャンクションがある。地名は,昔天皇が行幸した際,命名した「院成」によるとも伝えられる。市原市の犬成は「いぬなり」と読む。「犬」を「いん」と読む地名には富山県射水市犬内(いんない)がある。


●牛袋 うしぶくろ
市の北部。小櫃川下流に位置。室町期から見える。藩政村。地名はこの付近と比定される『延喜式』に見える負野(おうの)牛牧に由来するのか。

●上望陀 かみもうだ

 市の中央部北端。藩政村。上総国望陀郡のうち。水田地帯。古代〜近代に「望陀郡」があった。『養老令』(757)には望陀郡から「望陀布」と呼ばれる幅の広い高価な調布を貢納する規定があった。「望」は呉音か,「もう」と読む地名には神奈川県海老名市望地(もうち)がある。


●下望陀 しももうだ
市の北部。小櫃川中流北岸。水田地帯。


●茅野七曲 かやのななまがり
市の南東部。小櫃川中流右岸から南東方へ延びる小支流七曲川の北岸に位置。藩政村。


●草敷 くさじき
 市の南部。藩政村。地名は源頼朝(1147〜99)に由来するという。頼朝は1180年(治承4),相模国足柄下郡石橋山で平家に大敗し,海路安房に逃れた。上陸後,この地で頼朝が松の根元で草を敷いて食事をとったことから名付けられたと伝えられる。村人はこの松を頼朝にあやかって「勇後の松」と呼んだ。現在「勇後の松碑」が残っている。その後,頼朝は千葉常胤(つねたね,1118〜1201)等の助勢を得て,鎌倉幕府を樹立した。


●畔戸 くろと
東京湾岸,小櫃川河口右岸に位置。藩政村。『義経記』の「いかひしり」はこの付近と比定する説がある。


●下内橋 げないばし
市の東部。小櫃川中流右岸に位置。旧久留里藩領。藩政村。馬来田駅(JR久留里線)の西方に広がる水田地帯。


●下郡 しもごおり
市の東部。小櫃川中流域に位置。藩政村。1935年(昭和10)にたてられた下郡郵便局旧局舎(県文化財)がある。下郡駅(JR久留里線)の所在地は隣の君津郡山本。同名地名には大分市下郡,三重県伊賀市下郡,福島県桑折町下郡,宮城県遠田郡涌谷町下郡などがある。


●請西 じょうざい
市の中央部。戦国期から見える。藩政村。地名は城在,城砦(じょうさい)が転じたものとも伝えられる。幕府領であったが,文政8年側御用取次の林忠英が貝淵(市の西部)に1万石で立藩。嘉永3年貝淵藩主林忠旭が陣屋を請西村に移し,請西藩と改称。現在,土塁のみを残した「真武根(まふね)陣屋跡」がある。

弥生時代の墳墓として注目される請西遺跡群。請西小学校。


●菅生 すごう
市の北部。小櫃川下流左岸。域内を久留里線,東京湾アクアライン連絡道が通る。鎌倉期から見える荘園(菅生荘)。藩政村。菅生遺跡(井戸跡,農具など出土,出土品は市立金鈴塚遺物保存館に保存されている)。


●戸国 とくに
市の東部。小櫃川中流右岸に位置。藩政村。馬来田駅(JR久留里線)の西方1kmに広がる水田地帯。


●中烏田 なかからすだ
市の南西部。烏田川中流右岸に位置。藩政村。江戸初期にたてられたと見られる「北 かまくら道」の道標がある。域内に館山自動車道の南木更津ジャンクションがある。


●馬来田 まくた
市の東部。藩政村。昭和30年馬来田村は富岡村と合併し,富来田町となり,昭和46年木更津市の一部となった。

『万葉集』巻第14には東歌230首が収載されているが,その中に「上総国の相聞往来の2首」があり, 馬来田の地名が見える。
・馬来田の嶺ろの篠葉の露霜濡れてわき なば汝は恋ふばぞも(3382)
・馬来田の嶺ろに隠り居斯くだにも国の 遠かば汝が目ほりせむ(3383)

今から1,300年以上前に,この地域からも1,000kmも離れた九州の地に防人(さきもり)として派遣されていた。これらの防人は任を終えて恋人や妻子の待つ故郷に無事たどり着いたのであろうか。

現在,馬来田の地名は馬来田小学校や馬来田駅(JR久留里線)に名前をとどめるにすぎない。


●真里谷 まりやつ
 市の東部。小櫃川中流の支流武田川流域とその支流域の谷田に位置。郷名として南北朝期から見える。藩政村。。千畳敷と呼ばれる土塁に囲まれた曲輪(くるわ)が残る真里谷城跡(木更津市少年自然の家の地)がある。武田氏が1552年亡びるまで,この地を中心に西上総を支配していた。


●万石 まんごく
市の北西部。小櫃川最下流の左岸に位置。南北朝〜室町期に万石郷と見える。藩政村。地名はかつて水田地帯であったこと由来するのか。


●木材港 もくざいみなと
市の西部。海岸埋立地で,木更津木材港団地の敷地。昭和50年命名。

熊本市改寄町(あらきまち)
熊本市出水(いずみ)
熊本市出仲間(いでなかま)
熊本市海路口町(うじぐちまち)
熊本市奥古閑町(おくこがまち)
熊本市河内町面木(おものぎ)
熊本市鹿帰瀬町(かきぜまち)
熊本市北迫町(きたざこまち)
熊本市九品寺(くほんじ)
熊本市神水(くわみず)
熊本市合志町(ごうしまち)
熊本市神園(こうぞの)
熊本市壷川(こせん)
熊本市護藤町(ごんどうまち)
熊本市新南部(しんなべ)
熊本市新外(しんほか)
熊本市銭塘町(ぜんどもまち)
熊本市段山本町(だにやまほんまち)
熊本市太郎迫町(たろうざこまち)
熊本市渡鹿(とろく)
熊本市八景水谷(はけのみや)
熊本市八分寺町(はふじまち)
熊本市松尾町近津(まつおまちちこうづ)
熊本市御幸西(みゆきにし)
熊本市山ノ神(やまのかみ)
熊本市良町(ややまち)
熊本市四方寄町(よもぎまち)

●市電停留所名 「味噌天神前(みそてんじんまえ)」「蔚山町(うるさんま ち)」「杉塘(すぎども)」「洗馬橋(せんばばし)」

八代市海士江町(あまがえちょう)
八代市上野町(こうずけまち)
八代市蛇籠町(じゃかごまち)
八代市栴檀町(せんだんまち)
八代市鼠蔵町(そぞうまち)
八代市催合町(もやいまち)
八代市葭牟田町(よしむたまち)
人吉市大畑町(おばこまち)
玉名市岱明町(たいめいまち)
玉名市繁根木(はねぎ)
玉名市両迫間(りょうはざま)
山鹿市方保田(かとうだ)
宇土市神合町(こうあいまち)
宇土市下網田町(しもおうだまち)
宇土市三拾町(さじっちょう)
宇土市築籠町(ついごめまち)
宇城市不知火町(しらぬひまち)永尾(えいのお)
宇城市松橋町(まつばせまち)
阿蘇市小池(こうじ)
阿蘇市竹原(たかわら)
阿蘇市役犬原(やくいんばる)
天草市魚貫町(おにきまち)
天草市枦宇土町(はじうとまち)
合志市(こうしし)竹迫(たかば)
合志市上生(わぶ)
下益城郡(しもましきぐん)富合町硴江(かきのえ)
下益城郡富合町莎崎(こうざき)
下益城郡富合町廻江(まいのえ)
下益城郡美郷町砥用(ともち)
玉名郡長洲町腹赤(はらか)
玉名郡和水町(なごみまち)
玉名郡和水町蜻浦(へばうら)
鹿本郡植木町滴水(たるみず)
鹿本郡植木町投刀塚(なたつか)
鹿本郡植木町舞尾(もうの)
上益城郡甲佐町西寒野(にしさまの),東寒野
八代郡氷川町栫(かこい)
葦北郡芦北町箙瀬(えびらせ)
球磨郡湯前町浜川(はまごう)
球磨郡あさぎり町(ちょう)神殿原(こうでんばる)
球磨郡あさぎり町柳別府(やなぎびゅう)

 江戸期,両総台地(千葉県)にあった野馬の放牧地(小金五牧,佐倉七牧)に,明治初期,殖産興業政策の一環として,東京から約7千人が入植。開墾が行われた順に1から13まで番号をふし,希望を託した地名が付けられた。

●小金五牧(こがねごまき)に出来た集落

初富(はつとみ) 鎌ヶ谷市
二和(ふたわ) 船橋市
三咲(みさき) 船橋市
豊四季(とよしき) 柏市
五香(ごこう) 松戸市
六実(むつみ) 松戸市
十余一(とよいち) 白井市
十余二(とよふた) 柏市


●佐倉七牧(さくらななまき)に出来た集落

七栄(ななえ) 富里市
八街(やちまた) 八街市
九美上(くみあげ) 香取市
十倉(とくら) 富里市
十余三(とよみ) 成田市,香取郡多古町

●平将門(?〜940)
 殿廻 とのまわり 東金市
 御門 みかど   東金市
 宮  みや    東金市
 日秀 ひびり  我孫子市
将門町 まさかどまち 佐倉市


●平将門の三男・頼胤
久留里 くるり 君津市


●源頼朝(1147〜99)
 草敷 くさじき 木更津市
仁右衛門島 にえもんじま 鴨川市


●源義経(1159〜89)
 犬若 いぬわか 銚子市
 犬吠埼 いぬぼうざき 銚子市


●日本武尊
 木更津  きさらづ


●日本武尊の妃・弟橘媛(おとたちばなひめ)
袖ヶ浦 そでがうら 袖ヶ浦市,習志野市
蘇我町 そがちょう 千葉市中央区


●天智天皇(614,26?〜71)の皇子・大友皇子(648〜72)
飯給 いたぶ  市原市


●聖武天皇(701〜56)の皇女松虫姫
松虫 まつむし 印旛郡印旛村


●坂上田村麻呂(728〜86)
小轡 こぐつわ  茂原市


●鎌倉権五郎景政  16歳で後三年の役(1083〜87)に従軍
目吹 めふき  野田市


●足利義明
五所 ごしょ  市原市


●徳川家康(1542〜1616)
求名 ぐみょう  東金市
実籾 みもみ  習志野市


●佐倉宗吾(?〜1645?)
宗吾 そうご


●明治天皇(1852〜1912)
 習志野 ならしの 習志野市

 
●松戸覚之助(1875〜1934)二十世紀梨の発見者
 二十世紀が丘梨元町(なしもとちょう)など「二十世紀が丘が付いた」7町

●栢橋 かやはし
萱橋とも書いた。市の中央部。養老川中流左岸に位置。藩政村。旧戸田村・南総町の大字。地名は,当地を流れる川に萱でできた橋を架けたことにちなむという伝説がある。萱は難しい字なので栢に改めたという。語源的には,「カヤ」は動詞「カヤル」(曲がる)の語幹で,川が屈曲点をいうともいわれる。 

●古敷谷 こしきや
市の南部。養老川支流の古敷谷川流域に位置し,周囲から山が迫る。藩政村。旧富山村・加茂村の大字。語源的には,コシキは「コシ・キ」と「コ・シキ」の見方があるという。「コシ・キ」の「コシ」は急傾斜地,山腹,「キ」は接尾語。

「コ・シキ」の「コ」は小さい,あるいは接頭語,「シキ」は河川敷,台地の意ともいう。いずれにせよ,古敷谷は地形から生じた地名とみられる。藩政時代,同地は松平氏ほか4氏の相給(1村が複数の領主に分割されて知行されることをいう)。年貢米は養老川の高滝河岸から船積みされ,8里先の八幡浦(やわたうら)まで運ばれ,同浦から海上距離9里の江戸へ送られたという。明治6年古敷谷小学校開校(富山小学校の前身)。加茂古敷谷郵便局。


●西広 さいひろ
市の北部。養老川下流右岸に位置。戦国期から見える藩政村。旧市原村・五井町の大字。当地には,868年(貞観10)に従五位下を授けられた「前広(さきひろ)神社」(『三代実録』)が鎮座する。地名のサイヒロ(西広)はサキヒロ(前広)の音韻転訛といわれる。木造の構築物としては全国で珍しい「西広板羽目堰(明治18年完成)」(市文化財)がある。

なお,西を「サイ」と読む地名には次のようなものがある。
・茨城県久慈郡大子町西金(さいがね)
・大分県宇佐市西木(さいき)
・大阪府高槻市西面(さいめ)
・京都市上京区西東町(さいとうちょう)・京都市の西石垣通り(さいせきどおり)


●宿 しゅく
市の中央部。養老川支流内田川中流右岸に位置。藩政村名は宿村。地名の由来は太平洋岸と東京湾岸を結ぶ街道の宿場があったことよるともいう。同名の地名が東金市にある。


●真ヶ谷 しんがや
市の中央部。養老川右岸内田川下流域右岸。藩政村。真ヶ谷城址。


●武士 たけし
市の北部。かつて建市・建子・竹子・武子とも記した。藩政村。旧市西村・三和町の大字。かつてこの地に,884年(元慶8)従五位下を授けられた「建市神社」があった(『三代実録』)ことから,同音読みの武士の字を当てたものともみられるが,その時期は不明である。


●玉前 たまさき
市の北西部。養老川河口左岸デルタ地帯。藩政期は玉前新田村。かつては海苔養殖等も行われたが,昭和35年頃から京葉臨海工業地帯造成のため,漁業権を放棄。なお,長生郡一宮町には玉前神(玉依姫命)を祀った玉前神社がある。全国で前を「さき」と読む地名には??????がある。


●廿五里 ついへいじ
 江戸中期の故実学者伊勢貞丈(1717〜84)の随筆によると,「同所にある東泉寺に鎌倉幕府の焼香使が毎月やってきて,お参りをした。当時の旅程で鎌倉から二十五里あったところから,それまでの地名『露乾地(つゆひじ)』を『二十五里』に変え,読み方だけは昔のままとした。このことが代々,地区に言い伝えられた」とある。また,他の説には「築比地(ついひじ)」「露比地(ついひじ)」が変化したともいわれている。つゆひじ,ついひじが何時の間にかなまって,現在の読み方になったという。なお,廿を「つ」で読み始める地名には大阪府富田林市廿山(つづやま),岐阜県美濃加茂市廿屋(つづや),岐阜県多治見市廿屋町(つずはらちょう)がある。
 廿五里派出所,廿五里橋(養老川)。
  
●土宇 つちう
市の中央部。養老川中流右岸。鎌倉期に土宇郷と見える藩政村。旧養老村・三和村の大字。語源的にみると,「ツ・チュウ」の場合,「ツ」は渡し場,「チュウ」は崩壊地形,浸食地形の意で,養老川と関連した地形から生じた地名との見方もあるという。明治期,土宇尋常小学校があった。


●鶴舞 つるまい 
市の中央部。養老川右岸氾濫原と,支流内田川の支流石川川の谷との間の丘陵ないし台地に位置。藩政村。明治元年,浜松藩の廃藩により藩主井上河内守正直が転封され鶴舞藩を立藩した所。廃藩後,鶴舞県となる。当地は夏涼しく,眺望がよく,房総の軽井沢と呼ばれている。鶴舞小学校(鶴舞藩庁跡,校庭のシイの大木は知事旧宅の所在地という),鶴舞桜が丘高校,上総鶴舞駅(小湊鉄道),市原鶴舞郵便局。鶴舞公園。

●寺谷 てらやつ
市の中央部。養老川中流左岸に位置し,丘陵・台地,これを切り開いた栢橋(かやはし)川の谷からなる。旧藩政村。旧戸田村・南総村の大字。テラヤツの「テラ」は,この地にある真言宗玉泉寺・万蔵寺に,「ヤツ」は地形に由来か。寺谷小学校。


●徳氏 とくうじ
市の南部。養老川上流右岸に位置。藩政村。藩政時代は久留里藩領。旧里見村・加茂村の大字。


●戸面 とづら
市の南端。養老川の最上流域に位置。南は大多喜町に接する。藩政村。旧白鳥村・加茂村。トヅラの「ト」は「沢の合流点」「谷間の狭くなった所」や「傾斜地」を,「ヅラ」は「連なった状態」を意味しており,戸面は養老川の浸食作用による地形地名ともいわれている。
養老温泉を含む養老渓谷奥清澄県立自然公園に含まれている。


●外部田 とのべた
市の南部。養老川中流左岸に位置。藩政村。旧高滝村・加茂村の大字。トノベタの「ト」は「険しい地形」,「ノ」は「野・田畑」,「ベタ」は「はし,へり,山麓など」の意がある。この地が,険しい山麓の近くに田畑などがあることなどから,この字が当てられたのではないかという。


●櫃挾 ひつば
市の中央。養老川中流右岸東方に連なる丘陵部に位置。藩政村。旧養老村・三和町の大字。ヒツバの「ヒツ」は「シズ」(垂)の転で「崖」の意,「バ」は場で挾の字が当てられたのではないかともいわれる。地形から生じた地名のようである。


●不入 ふにゅう
市の南部。養老川と古敷谷川が合流する付近に位置。藩政村。旧高滝村・加茂村の大字。歴史学では,不入とは荘園への検田使や収納使の立入りを拒否する権利をいうが,この地には荘園がなかったことから,地形地名に起源するのではないかともみられている。不入の付いた地名には荘園と関係のある不入斗(いりやまず)のほか,鳥取県倉吉市不入岡(ふにおか)などがある。→不入斗

●奉免 ほうめ
市の中央部。養老川中流右岸。藩政村。奉免は中世,神社領などに租税を免除する際に用いた語という。当地には熊野神社(熊野大権現),苗鹿神社,曹洞宗満蔵寺,天台宗来迎寺などがある。→市川市奉免町(ほうめんまち)

●分目 わんめ
市の北部。養老川下流左岸に連なる丘陵の北端に位置。藩政村。旧海上村・三和町の大字。ワンメの「ワ」は輪・曲,「メ」は狭くなった所の意とみられる。この地には旧養老川流路の痕跡があることから,地形地名ともいわれている。

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