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バッハの時代

西洋近代音楽の父、ヨハン・セバスチャン・バッハ。
今から321年前・・・1685年3月21日、バッハはドイツのアイゼナッハで生を受けた。

亡くなったのは1750年、享年65歳。
芸術家にありがちな短命・・・というほどのコトはない。
それどころか、音楽の父としてだけでなく、実生活でも大いなる父であったバッハには子供が20人。
のちに一族からは約200名いものぼる作曲家も誕生している。

そもそもバッハは、なぜ音楽の父・・・と呼ばれるようになったのか?
それは、音楽史上の大発明として今日も継承されている平均律の考案者でもあるからだ。

このオクターブを12の半音に当分する調律法は、19世紀後半には世界的に用いられるようになり・・・
つまり、音楽の世界共通語を作ったのが、このバッハ・・・というワケ。

だが、バッハが平均律を広める以前にも、音楽はあった。
なんせバッハ自身が音楽家の家に生まれているのだから、職業として成り立つほど音楽は確立したモノになっていたはずだ。

9歳で両親を亡くしたバッハは、兄の家で音楽教育を受けたが、生活は決して恵まれたものではなかった。
食費を切りつめてオルガンの大家の演奏会に出かけるコトも多く・・・。
静まり返った会場で腹のムシが鳴くのをこらえるのは、さぞ辛かったコトだろう。

やがて教会のオルガン奏者となったバッハは、その才能をイッキに開花させていくが・・・。
その新しい様式の音楽は、教会の伝統をやぶるモノとして長老たちの避難の的となる。

どんな分野でも新しいモノが誕生するプロセスには、必ず古いモノとの対立や確立するまでの葛藤がある。
きしくもバッハの生きた時代・・・イギリスでは産業革命が起きていた。

音楽の父、バッハについても・・・産業革命についても・・・。
300年後の私たちにとっては歴史の変わり目のひとつとして確実に認識されている。
学校の歴史でも、そう習ったし・・・。

しかし、実際にその時代に生きていた人にとっては、どうだったろう?
はたして、とれくらいの人たちが「今が歴史の変わり目である」というコトに気づいていたのか?

現代は、情報革命の時・・・だと言われている。
確かに、デジタル機器をはじめとして、目にする物は変わってきてる。
でも、その本当の意味を理解している人・・・
あるいはその新しい物によって本当に恩恵を受けている人は、どれくらいいるのだろうか?

バブルという言葉が流行ったおかげで、何でもかんでもバブルと切り捨てている人も中にはいるようだけれど。
時代は絶対に元へは戻らない。
知ってしまったコトは、知らなかったコトには・・・もう、できない。

バッハは新しい音楽のカタチに、いち早く気づいてしまった。
そんなコトに気がつかなければ、教会の長老たちにイジメられるコトもなかっただろうに・・・。

でも気がつかなければ・・・。
315年前、ドイツのアイゼナッハで生を受けたバッハという男がいたコトを
私たちは誰ひとり知らなかっただろう。


参考資料:「今日は何の日」PHP研究所=刊
     「世界歴史人物事典」木村尚三郎=監修 集英社=刊
http://www.digitake.com/

周期的に巡ってくるマイ・ブームは・・・エジソン。
100年前の人たちは、同世代に生きるエジソンをどう見ていたのだろう?

初の発明品「自動投票機」により特許をとったのは22歳。
以来、数多くの発明品を発表し続けたエジソンは・・・
「メンローパークの魔術師」とか「発明界のナポレオン」あるいは「ニュージャージーのコロンブス」
・・・とも呼ばれていた。

子供向けの伝記をみる限り"努力の人"という印象が強いんだけど・・・
その人間像に迫る本を読んでみると、決してクソ真面目で暗い男ではなかったようだ。

確かに、先生と意見が合わずに小学校をほっぽり出され・・・
14歳の時には自分で作った新聞を売り歩いて生計を立て・・・
汽車の客に殴られたコトがきっかけで耳が不自由になった・・・のは本当の話。

でも、本人はいたって楽天家。
しかも、ワーカ・ホリックの"変わり者"といった方が実像には近いかも知れない。

本人いわく・・・「耳が不自由だったおかげで集中して本が読めたし、どこでも寝られる」

ベルと争った電話機の発明も・・・特許権はタイミングを逃したものの
すぐに改良型の"よく聞こえる電話"を出したのは、自分が聞こえないと意味がないと考えたからだ。

さらに、そうとうな意地っ張りで・・・
実際に普及したのはエジソン型の電話だったが、ベルに特許をとられたコトを根に持って・・・
巻き返しをはかるために開発したのが有名な蓄音機だったという話もある。
エジソンは電話のオプション・・・つまり、留守番電話を開発するために蓄音機を開発したというワケ。
ちなみに蓄電池の開発は、電気自動車のために着手もの。

とにかく当時の人は、そんなエジソンに「不可能はない」と考えていた。

オーソン・ウェルズが、かつて迫真の演技で宇宙戦争のラジオ・ドラマを読んだら・・・
それを聴いた人たちが本当に宇宙人が攻めてきたと思いこみ、パニックが起こったという話があるが・・・

冗談好きだったエジソンは・・・
水と空気と土を使ってビスケットや肉、ワインを作る機械を発明した・・・と言ってニュースになったり
夜空の星は、実はエジソンが風船につけた電球を飛ばしている、と本気で信じていた人も多かったらしい。

もともと、新聞を作っていたエジソンは、どんなコトを言えば話題が集まるかよく知っていた。
いわば、マーケティングや広告屋としての活躍も大きい。

一方で・・・
まだ自分で理論もつかめていない発明について、本気で熱く語り・・・
周囲の期待にプレッシャーを感じながら、完成するまで研究所に寝泊まりしていた・・・という一面もある。

いずれにしても・・・大いに人生を楽しんだ84年間だったろう。
エジソンが開発した技術だけでなく・・・エジソンの生きる知恵も学びたいものだ、ね。


参考資料:「快人エジソン」浜田和幸=著 日本経済新聞社=刊 ほか
http://www.digitake.com/

大空にとどくまで

ウィルバーとオービルは、4つ違いの実に仲のいい兄弟だ。

家族は父と母、ウィルバーの上にふたりの兄、そして妹の7人家族。

巡回牧師だった父の教育方針は
「牧師の子供だからと言って、牧師になる必要はない。子供たちには、それぞれ好きな道を歩ませる」と、いうことだった。

機械いじりが大好きだったウィルバーとオービルは、そんな父のもとで、すくすくと成長していった。

幼い頃、学校に行く途中で、隣の家のミシンが壊れていることを知ったウィルバーとオービルは、学校に行くのも忘れて隣の家の納屋にこもってミシンを分解しはじめた。

ウィルバーとオービルが、なかなか家に戻らないどころか、学校にも行っていないことを知った両親や先生たちは2人を探して走りまわり、村を上げての大騒動となってしまった。

ウィルバーとオービルが隣の家の納屋で見つかった時、理由を知った父親は決して2人を怒らなかった。
それどころか、職人にも直せなかったミシンを2人がみごとに直したことを知って誉めたたえたという。

学校を出た2人は、自ら制作した印刷機を使って地元に新聞社を開く。

当初、新聞社は順調に業績を伸ばしていったが、やがてそこに目をつけた大新聞がのりこんで来たために倒産に追い込まれてしまった。

次に彼らが開いたのは自転車屋だった。2人の作った自転車は飛ぶように売れ、商売は軌道にのった。

そして、彼らは自転車屋で儲けた金をつぎ込んで、子供の頃から夢を実現させるべく本格的な研究をはじめる。

その後、彼らが何を作り出したのか? それは説明する必要もないだろう。
2人はライト兄弟なのだから。


参考文献:「学研まんが伝記シリーズ ライト兄弟」野沢 正=監修 学研=刊
http://www.digitake.com/

恋すればこそ

外科医ウイリアム・ステュアート・ハルステッドは悩んでいた。
手術の腕には自信があった・・・かどうかは定かではないが、彼の悩みはもっと素朴なもの。

そう、恋をしていたのだ。

お相手は看護婦のハンプトン。
愛する女性を助手に従えて行う外科手術は、きっと心強いものだったろうし、少しくらいは「いいところを見せてやろう」と思ったかもしれない。

しかし、ステュアート医師にとって耐えきれないことがひとつあった。
それは手術助手を務める彼女の手が血のりで汚れてしまうことだ。

19世紀末まで、外科室は現代では考えられないほど不潔きわまりないものだったという。

1864年になってフランスの細菌学者パスツールが、ワインが酸っぱく腐敗する原因を空中の微生物が原因・・・と、つきとめるまで、医師たちは細菌の危険性にはまったく気づいてはいなかった。

1890年。ステュアート医師は愛するハンプトンのために、ひとつの道具を考案した。
彼が考え出したゴム製の手袋は、手にピッタリと馴染んで作業の弊害にもならない。もちろん、ハンプソンの美しい手もむやみに汚れずに済む。

手術用ゴム手袋は感染予防の必需品として瞬く間に広がったが、開発の裏には、こんな愛の物語があった。
もちろん、その後、ステュアートとハンプトンが結ばれたことは言うまでもない。

ひょっとすると、空中の微生物の存在を確認したパスツールもワインに恋していたのかもしれない。


参考文献:「教科書に載らない雑学系230の疑問」テリー伊藤=監修 成美堂出版=刊
http://www.digitake.com/

アメリカ陸軍の兵士、ジェイコブは足首をくじいてアラスカ基地に引きこもっていた。

軍から支給されていたジレットのカミソリと替え刃、シェーヴィング・クリームは、本国を出発した直後までは非常に快適なものだったが、このアラスカ基地では大変厄介なものとなった。

毎朝、ブ厚い氷を割って来ては溶けるのを待つ。髭をそるために、こんな重労働をしなければないらいのは、カミソリが水なしでは使えないためだ・・・と彼は思った。

戦争が終わると、ジェイコブは電気モーターで動かす"ドライ・カミソリ"の製作に乗り出した。

開発当初の"ドライ・カミソリ"のモーターはパンケースほどもあり、とても実用的とは言えなかったが、5年もの間、小型モーターの開発に没頭したおかげで、1923年についに特許を取得。

ここに、いわゆる"電気カミソリ"が誕生した。
自宅を抵当に入れてまで、この開発をあきらめなかった男の名は、ジェイゴブ。ジェイコブ・シックだ。

普段、当たり前のように使っているものに対して、素直に疑問を感じることから、新しい発明が生まれることは珍しくない。

私がかつて仕事を通じてお会いした、ある食品メーカーの社長さんもそうだった。

その社長さんは、誰もが焼きたてを食べることが当たり前だと思っていたモノをあえて冷凍食品にして販売し、大成功をおさめている。

開発中には「そんなモン、何でわざわざ冷凍にするんだ? 売れるはずない」と、ずい分言われたらしい。
しかし「何でわざわざ電気を使って剃る必要があるんだ」と言われたジェイコブ・シックと同様、自分の感覚を信じて開発に没頭し、みごと成功。

結果、焼く場所がない野球場や居酒屋などで大ヒットし、現在は家庭用冷凍食品としても販売されている。

あなたが、この間食べた"たこ焼き"、ひょっとすると冷凍だったかもしれませんよ。


参考資料:「はじまりコレクションII」チャールズ・パナティ=著 バベル・インターナショナル=訳
     フォー・ユー=刊
http://www.digitake.com/

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