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仕事と自立

自分には「才能」がない
・・・と嘆く人へ
「才能」がないんじゃない、
「現実」を知らないだけじゃない?

貴方には「才能」がある
・・・と言われた人へ
「才能」があるんじゃない、
「苦労」を買って出ただけじゃない?

すべてを否定する必要はないけど
ひとつの物事を逆から見てみることは
つねに必要だろう。

思い込みだけで暮らしていけるほど
人生は短くないし・・・
違う側面からの見方で
簡単にひっくり返ってしまうような考えでは
仕事の企画としては不十分すぎる。

「自分の不名誉になるようなことを
 表明することは
 自立のための第一歩である」
・・・ニーチェ

つまり・・・
自立しなくてもいいのが趣味で
趣味を仕事にしようと思ったら
自立するために、まず
できることより
できないことをハッキリさせることなんだ。

できるつもりで引き受けて
やっぱり、できませんでした・・・じゃ
仕事にはならないし
仕事関係の信頼なんて生まれないからね。

できもしないことを
つい「できます」と言ってしまうのが
自立してない素人なんだ。

仕事を持って自立するんじゃなくて
自立しないと仕事は持てないんだと思うな。

http://digitake.com/

大富豪の夢

この世の中は、どうも金持ちほど金が増えるようにできているものらしい。

銀行の金利も今はたいしたことないが、100万円預けた時と100億円預けた時とでは、利子のつき方は月とスッポン。

勝海舟は、寒村だった神戸に海軍操練所を設けて人材育成に力をそそぐとともに、やがてはこの神戸が日本を代表する貿易港になるとにらんで周囲の土地の買い取とって後に大儲けをしたが、いかに安かったとはいえ、最初に土地を買い占めるだけの金がなければ、始まらない。

石油関連機器事業から身を起こし、航空機、衛星など広範な事業に成功したハワード・ヒューズは、アメリカで今世紀最大といわれる伝説の大富豪。
先頃はレオナルド・ディカプリオ主演の「アビエイター」という彼の伝記映画も公開された。
彼が残した資産は、1976年に彼が死んでから次々と売却されることになったが、最後の資産が売却されるまでには、死後20年もかかった。

マフィアが財源を出資していたラスベガスをいわば街ごと買い取って、マフィアを追放したのもハワード・ヒューズの仕業なら、一方では、愛人を主役に自ら監督となって映画を制作した。

こうして、豊富な財力と類い希なる知恵をもち、幅広い分野で活躍した彼には、もともと4つの夢があった。

「4番目の夢は世界一の大富豪になること。3番目の夢は世界一有名な映画プロデューサーになること。2番目の夢は超一流の飛行家になること・・・」

どれひとつ挙げても一人の人間が一生かかっても、なかなかできそうにないことだが、4つの夢のうち、この2番目から4番目までをハワード・ヒューズはすべて実現している。

だが、1番目の夢だけは、ついに果たせなかった。

ハワード・ヒューズ一番の夢、それは「世界一のプロゴルファーになること」だった。


参考資料:「有名人 ウソのような本当の話」ユーモア人間倶楽部=編 青春出版社=刊
http://digitake.com/

『MADE IN JAPAN』を読み返した・・・
ソニーの盛田昭夫元会長が1987年に書いて、話題を呼んだ、あの本。

最も私が読み返したというのは、その劇画版で・・・『大宰相』のさいとう・たかをが書いたモノ。

ソニーの生い立ちとも言えるこの話の中で最も印象深いのは、世界各国を相手に文化の違いから思い悩む・・・国際化を迫られた"日本"の姿。

日本の契約書にはよくある「双方が合意できない場合には、誠意をもって協議の場をもつこと」なんていう言葉の意味がアメリカ人には理解できないらしい。
「合意できない相手と、どうして誠意をもって話せるんだい?」・・・言われてみれば確かにそうだ。

ドライなマニュアルのうえに成り立つ欧米のビジネスは、効率的で一見無駄がないように思える。
しかし、それに従って動く人間という生き物はどうか?

私は何も欧米型のビジネスを批判するつもりはさらさらない。
むしろ、育ってきた環境が違いすぎる世代のギャップを考えれば、同じ日本人同士であっても基本的なマニュアルに従ってコトを進めることができないようでは組織の存続はあり得ない・・・とさえ思っている。

だから、欧米型と日本型・・・どちらがいいとも言えないし、双方にイイところもあれば、悪いところもあるのは当然の話だと思う。

ただ、ひとつハッキリしているのは、日本をはじめ世界の人々が、何故、盛田会長の言葉に耳を傾けるのか・・・というコト。

それは、言うまでもなく盛田会長が成功者だからだ。

何をもって成功者と言うのか・・・という点も論議が分かれるところだろうが、少なくとも、自分がやろうとしたことを成し得た人は成功者に違いない。

最近は外国のビジネスマンの中にもカラオケが得意な人が増えたようだが、日本企業が力をもっていなければ、何もカラオケにまでつき合って、日本企業と仲良くなろうなんて人間は現れなかったに違いない。

ビル・ゲイツが以前来日した時、日本の某大手メーカーでミーティングがあって、昼食は何がいいかと聞かれた彼がハンバーガーと答えたおかげで、役員があわててファーストフードへ走った・・・という話は、前にも書いたよね。

盛田会長が亡くなった直後、テレビはさかんに生前の姿を映しだしていた。
コロンビア映画を買収・・・なんてところをやっていたところが多かったように思うが。

何千億円もかけてハリウッドの映画会社を買い取るなんてことは、そりゃあ金持ちでなければできない。
けれども金より先に、まずビジョンがなければ絶対にできることではないだろう。

金は目に見える力には違いないけれど・・・、ビジョンを持つ人のところに集まる傾向がある。
いっぺんに金持ちにはなれなくても、ビジョンを持つことは今スグ・・・資格なしに誰にでもにでもできることだよな。

ビジョンがなければ、その実現にいったい何が必要なのかさえ・・・見えてこない。

参考資料:「劇画版 MADE IN JAPAN」さいとう・たかを&盛田昭夫=著 朝日新聞社=刊
http://digitake.com/

俺がやらなきゃ・・・

ここ数年、気のせいか・・・
住宅街を歩いていると、よく新築工事をしているな。

金利が安くなってるから
大きな買い物にはいいんだろう。

それとも・・・
不景気が当たり前だとわかって
半分ヤケクソになっているのか?

・・・まぁ、そんなワケはないか。
ヤケクソでも何でも大枚何千万と用意できれば
それはそれで大したモンだ。

さて・・・
自動車業界のリーダーがトヨタやホンダなら
建設業界のリーダー的存在は何と言っても鹿島。

創業は古く・・・今から166年前の1840年。
天保11年というから・・・当然、江戸時代。
歴史の教科書に出てきた、天保の改革が行われた前年にあたる。

しかし、歴史が長い・・・というだけで
業界をリードする立場になれるものではない。

鹿島にこの人あり・・・
と言われた建設業近代化の立て役者、
鹿島守之助が、今の鹿島の基礎を作ったと言っていい。

名字を見てもわかる通り・・・当時の鹿島組は同族会社。
が、この鹿島守之助が鹿島組に入った経緯は
何も組長の長男だったから・・・というわけではない。

鹿島守之助・・・旧姓を永富守之助という。
つまり、養子なのだ。

1922=大正11年・・・
永富守之助はニューヨークからヨーロッパに渡る船上にいた。

外交官としてドイツ駐在を命じらていたが
当時は船を使ってアメリカ経由で行く必要があったためだ。

その船に、たまたま乗り合わせていたのが
当時の鹿島組組長、鹿島精一。

異国の地で巡り会った同郷人たちは、たちまち意気投合した。
以来、交流を重ね・・・守之助は鹿島精一の娘婿となる。

エリート外交官の道を捨て、
その先の夢だった政治家になる志を
守之助に捨てさせたのは・・・
鹿島精一の片腕、石川六郎のこのひと言。

「役所は、あなたがいなくても大丈夫だが
 鹿島に、あなたは欠かせない」

その期待を背負って・・・
守之助は近代建設業にとっても欠かせない人材となった。

新しい血を迎え入れようとする柔軟な発想もスゴイけど
自分を活かす道を見極めた鹿島守之助も、やっぱりスゴイ。

長いローンを背負ってまで
家を建てるべきかどうかは別として・・・

ひとたび自分の家を持とうと思ったら
自分にしか建てられる人間はいないんだよな。


参考資料:「20世紀日本の経済人II」日本経済新聞社=編 日系ビジネス人文庫=刊
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三つ子の魂

今月・・・11月17日は、本田宗一郎の誕生日。
かの大エンジニアにして大実業の本田宗一郎が生まれたのは明治39年のこと。

当然のコトながら、どんな大人物にもこんな赤ん坊の時代はある。
その後の行く末を決めるのは、いったい何なんだろう・・・?

本田宗一郎が"井深のアニキ"と敬愛したソニーの創始者、井深 大は、幼児教育に造詣が深いコトでも知られている。
井深の幼児教育論から言えば、幼児期の体験は、その人の考え方や生き方に大きな影響を及ぼす・・・
ことに3歳までの体験が大事だと言うから、まさに三つ子の魂百まで、である。

今でこそ日本を代表する世界企業ホンダとソニー。
本田と井深は、それぞれの会社が、まだホンダとかソニーとか呼ばれる前の時代から親しく交流の持っていた。
井深は著書の中で、本田のことで最も強く印象に残っているのは、本田自身の子供時代の話だと書いている。

まだ、ヨチヨチ歩きの宗一郎は、自宅から一里ほど離れたところにあった米屋の精米機を見るのが大好きだった。
当時の精米機は電気式ではなく石油発動機式で、石油の油臭さの中、エンジンが回転するポンポンという軽快な音をたてていた。
いつもは祖父にせがんでおんぶして見に言っていた宗一郎は、
ある日、祖父が留守だったためにひとりで4キロもの道を歩いて米屋に向かった。
途中、田んぼに転がり落ちて、あわやというところを通りかかった若い女性に救われた・・・そうだ。

この話を聞いた井深は持論が正しかったコトを確信した・・・という。

加えて、本田宗一郎の実家は鍛冶屋だった。
母親のお腹の中にいる頃から聞いていた鍛冶屋の音・・・そして同じようなリズミカルな機械音が、
本田にとって生涯心に残る音となり、やがてそれを追求するようになったとしても不思議はない。

感性は理屈ではない。
コギャルに限らず、所詮人間は好きなモノは好きで「なぜ?」と聞かれても、とって付けた理屈程度のコトしか言いようがない。

ところで私は母親のお腹の中にいる時に、母親がタイプライター打ちの内職をしていて、
いつも耳元ではタイプの音を聞いていたようだ。
「だから、アイツは夜な夜なキーボードに向かうようになったんだ」・・・と言われたコトがある。

そして最古の記憶は幼稚園の頃。
家の前をグルグルと三輪車で走っていると、母親が近所のオバさんと立ち話をしていた。
その足下まで走って、何の気なしに「人間って、いつか死ぬんだよね?」と母親に尋ねたら、
いともアッサリと「そうよ」と言われたコト。
・・・それが、ものすごいショックだった。

最近の子供は産まれる前から、ふんだんにビデオに撮られていて、繰り返しそれを見る機会がある。
こう繰り返し同じ情景を見せられていると、はたして記憶しているのが本当に自分が見た記憶なのか、
親から聞かせられたコトなのか、それともビデオで見たコトなのか・・・わからなくなってしまうんじゃないかと思う。

それは、それでウマイこと自分なりに消化していくだろう・・・けど。

さて、あなたの最古の記憶は・・・何ですか?

参考資料:「今日は何の日」PHP研究所=刊
     「わが友 本田宗一郎」井深 大=著 ごま書房=刊
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