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勘違いマニュアル

「マニュアルがないので、
 どう進めていいのかわからない」

・・・と仕事の不満を言う人がいる。

マニュアルは確かに便利なものだ。
一般的には実に合理的にできてる。
合理的にできていてこそマニュアルだ。

・・・が、そもそも
マニュアルは何のためにできたのか?

その考え方の発祥はアメリカ。

人種もバラバラ、教育レベルもバラバラの人たちを集めて
何か仕事をさせなければならない。
その必要性から出来たのかマニュアルだ。

単一民族の島国、日本には・・・
もともと必要がないものだった。

ところが・・・
急激な社会情勢の変化によって
世代のギャップが生まれ、
かつ国際競争力もつけなきゃならないということから
導入されたのがマニュアルという考え方だ。

さらに・・・
コンピュータ機器をはじめとして
さまざまな新しい道具が次から次へと投入されてくる。
そうした道具を使いこなすために必要なのが、やっぱりマニュアル。

しかし、ここで大きな勘違いが起きた。

マニュアル万能主義とも言えるこの勘違いは
対人関係さえマニュアル化しようとしてる。

はっきり言って・・・それは無理な話。

一定の繰り返し作業や機械を相手にする場合など
想定される動きが見えければ・・・マニュアルは成り立たない。

つまり・・・
千差万別、万差億別の人間相手に成り立つマニュアルなどないのだ。

マニュアル化できる作業は
言うなれば単純作業と言ってもいい。

複雑だからこそ、マニュアルがほしい・・・
という人もあるかも知れないが
複雑だからこそ、人間らしい人間が必要なんだ。

マニュアルを読めば誰でもできる仕事なら
・・・あなたは必要ない、といつ言われてもおかしくない。

物の道理がわからなければ・・・冷たい機械以下。

人間がロボットを目指しても・・・
本物のロボットには絶対勝てない。

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エンパイアスタイル・・・とは、何のスタイルのことか?

18世紀末頃の話。
女性の間でウエストの部分が張り出したドレスに変わって
胸の大きさを強調したギリシャ風のドレスが流行・・・
これがエンパイヤスタイルと呼ばれたもの。

エンパイヤスタイルの利点は
ファッションとしての新しさだけではなかった。

それまで不自然に身体を締めつけていた
コルセットから女性が解放されたのだ。

しかし・・・
獲得した自由は、また新たな不自由さを連れてくるもの。

ウエストが自由になったのはいいが
今度は強調された胸をどうにかしないと
何とも案配が悪い。

1903年にイギリスのモーガンは
コルセットを改良した胸当ての発明。

が、せっかくコルセットから解放された女性たちに
コルセット型の胸当ては受け入れられなかった。

コルセット型の胸当ての発明から10年・・・
アメリカ人女性のマリー・フェルブ・ジャコブは
2枚のハンカチをリボンでつないだ女性の胸用下着を考案。
今から93年前の1913年2月12日、
その特許を取得した。
・・・ブラジャーの誕生である。

今度は、そのカタチがあまりにも新しすぎて・・・
当初はなかなか普及しなかったが
1920年代に入って人気が出はじめ、今日に至っている。

ブラジャーの普及、定着で・・・
今度はファッション業界が大きく様変わりをはじめる。

ブラジャーをつけることを前提にすることで
ドレスのカタチが大きく変わってきたのだ。

21世紀の今・・・
あらゆる意味で世界中が大きく変わろうとしている。

何かひとつが変わると、
それに伴って次々に変わるべきものが出てくる。

変革の時こそ・・・ビジネス・チャンスの連続なんだ。


参考資料:「歴史の意外なネタ366日」中江克己=著 PHP文庫=刊
http://digitake.com/

思いたったが吉日

10数年ぶりに電話をくれた同級生がいた。

父親が亡くなり「自分もいつ死ぬかわからない。思いついたことは、すぐやろう」と決心して、とりあえずいつかは連絡しようと思っていた旧友に電話をかけまくっている・・・という。

父親が亡くなったとは言え、我々の世代の平均寿命を考えれば、少々大げさな話に思えなくもないが、確かに平均寿命は、あくまでも平均であって、突然、病魔におそわれるということはないまでも、交通事故をはじめとする重大事故に明日あわない保証はない。

自分に40代、50代、60代、70代・・・場合によっては80代まであると思いこんでいるから、ついついノンビリ構えて、大切なことを後回しにしてしまうということは、よくあることだ。

ちばてつやという漫画家がいる。
『あしたのジョー』などで知られる漫画界の大御所である。
当然のことだが大御所にも新人の時代はある。

ちばてつやがデビューしたのは昭和32年(1957)、高校2年の時だった。
東京・神田神保町にの裏通りにあった小さな出版社の社長に見い出してもらい、処女作を出版。
彼が生まれて初めてもらった原稿料は12,315円。この時の感激は生涯忘れ得ぬものとなった。

その出版社からは2作目の注文も受けていたが、2作目が完成した時には、出版社は倒産。
とんとん拍子でデビューを果たしたちばもその後は、さまざまな苦労を経て漫画家の道を歩むことになる。
しかし、自分を最初にプロと認めてくれた、小さな出版社の社長への恩は片時も忘れなかった。

それから10数年後、週刊誌の掲載漫画家としてメジャーとなったちばは、後にテレビアニメ化されるヒット作『ハリスの旋風』の執筆に入ろうとしていた。

この時、ある名案を思い立ち、ちばは、当時のお礼をかねて、かつての恩人である社長を捜した。
だが、この時、恩人は、すでにこの世の人ではなかった。

『ハリスの旋風』の主人公の名は言わずと知れた、石田国松。
ちばの恩人である出版社社長の名は、石橋国松という。


参考資料:「モデルは誰だ」素朴な疑問探求会=編 青春出版社=刊
http://digitake.com/

女の意地

1962年2月末、一通の手紙が舞台女優の元に届いた。

「私たちは次回作の主役をあなたに演じていただきたいと希望しております・・・」

手紙を広げている彼女の名は、ジュリー・アンドリュース。差出人の名は、ウォルト・ディズニー。

ディズニーランドを成功させ、映画界においても大きな影響力を持つディズニーからの誘いに、彼女は大変な魅力を感じたが、映画界へのデビューとなる作品の役柄が"空飛ぶ乳母"であることには少なからず抵抗を覚えていた。

ディズニーが企画していた作品のタイトルは『メリー・ポピンズ』。

トラバース原作中のメリー・ポピンズは、中年女性として描かれていたが、
劇中の楽曲を重視するディズニー・スタジオでは、この企画においても音楽作りを優先して作業が行われていた。
楽曲ができてくるにしたがって歌える女優が必要になり、ブロードウエイ・ミュージカル『マイ・フェア・レディ』で主演したジュリー・アンドリュースが候補に上がった・・・というわけだ。

ディズニーからの手紙を受け取った時、彼女はブロードウエイで舞台に立っていたが、この舞台を終えた後、出産のためにしばらく休養をとることになっていた。

その休養中にディズニーの招きでハリウッドにある彼のスタジオを訪れ、作品についてのこと細かなプレゼンテーションを受けた彼女は、ディズニーの熱心な説明と作品内容の素晴らしさに心を動かされ、もう"空飛ぶ乳母"になることへの抵抗はなくなった。・・・が、今ひとつ気がかりなことがあった。

ちょうど『メリー・ポピンズ』の制作と同時期に自分が舞台で主演した『マイ・フェア・レディ』を映画化する話が進んでいたのである。
もし、映画版『マイ・フェア・レディ』の主演に自分が抜擢されたら、絶対にそっちをやりたい・・・と彼女は強く願っていた。

その年の11月に無事、女児を出産したジュリー・アンドリュースは、翌年の2月。ディズニーからの手紙を受け取った、ちょうど1年後に再びディズニー・スタジオへやって来た。『メリー・ポピンズ』出演契約のために。
但し、契約書には『マイ・フェア・レディ』の主人公役がまわってきた場合には『メリー・ポピンズ』の出演契約を解約できるという一文が書き加えられることになった。

その後『マイ・フェア・レディ』の主演は、オードリー・ヘップバーンに決定し、ジュリー・アンドリュースはディズニーの希望通り『メリー・ポピンズ』で映画デビューを飾ることになる。

1964年のアカデミー賞最優秀作品賞には、ヘップバーン主演の『マイ・フェア・レディ』がオスカーに輝いた。
『メリー・ポピンズ』も主要13部門にノミネートされるという大健闘をはたし、ジュリー・アンドリュースは、この作品でヘップバーンを押さえ、みごと最優秀主演女優賞を受賞した。


参考資料:「ウォルト・ディズニー〜創造と冒険の生涯」ボブ・トマス著 玉置悦子/能登路雅子訳 講談社刊
http://digitake.com/

教師嫌いの私は学生時代に友達だけでなく、先生も大いにイジメた。

ヘンな自慢話をするつもりはないが・・・
私にしてみれば、たかが学生ごときにやり込められるような先生を信頼して教わる気にはなれなかった。

実に生意気でイヤな生徒だったと思うが・・・
中には、こっちが思っている以上に、真剣に受けとめてくれて・・・
職務以上に付き合ってくれた先生も少なくはない。
そんな「先生らしくない」先生たちとは、いまだに定期的なつきあいが続いている。

さて、昔ある中学校に新任の英語教師がやって来た。

クラスには、ちょうど私のように小生意気でズル賢い生徒がいたようで・・・
新任の教師をからかってやろうと、授業中、あら探しばかりしていた。

ある日、とうとう"決め手"を見つけたその生徒は、新任教師に向かって言った。

「先生は間違っています。辞書には、こう出ています」

こういう時の生徒の得意顔は容易に想像がつく。
こうした場面になると、後から後からヤジを飛ばす生徒なんかも出てくる。
・・・私の時には、そうだった。

ここで先生が慌て出すと、もう教室はパニック。
教師の威厳はいっぺんで地に落ち、ヘタをすると次の授業から、ビクビクしながら出てくるハメになる。

しかし、その新任教師は生徒が騒ぎ出す前に、フンと鼻を鳴らした。

「では、その辞書は誤りだ。私が言った通りに直しておけ」

この言葉には、さすがの小生意気な生徒も言葉を失い・・・以後、生徒たちは先生の教えを守ったという。

この時の新任教師の名前を夏目金之助という・・・漱石が教壇に立っていた頃の話である。

生徒の質問内容が具体的にどんなモノであったのか・・・
漱石の教えた内容は、はたして本当に辞書より正しかったのか・・・
それはハッキリしないが、そんなコトは問題ではない。

教師は生徒に勉強を教える「プロ」である。
そして「プロ」としての必要最低条件は・・・相手に「信頼」されるコトだ。
「信頼」のおけない相手には誰も仕事を頼まない。

学校の場合、生徒が先生を選ぶというコトは難しいから・・・
当たり前のように先生は先生と呼ばれているけれど、それはある意味で「特殊な世界」でのみ通用する話。

教科書に書いてあるコトが全部正しいんだとしたら・・・みんな本だけ読んでいればいいんだから、ね。
マニュアル通りで通用すれば・・・仕事に悩む人など世間に誰ひとりいないはずだ。


参考資料:「漱石の言葉」長尾 剛=著 PHP=刊
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