|
>>>>>>> 小手先で、真反対の主張をどうにも出来はしない。 原発は、『トイレのないマンション』といわれて久しい。 ユーラシア大陸プレートの端で、沈み込む太平洋プレートに常にストレスを掛けられて いる火山列島の何処にも肥溜めを作る『安定した地層』など見つけられはしない。 過疎にあえぐ年寄ばかりの未来のない田舎町が、肥溜めにされるだけだ。 だがこの狭小な火山列島の何処に肥溜めを作っても、 若い世代はこの先とんでもない未来を背負う事になるだろう。 この肥溜めからあふれ出すのは、臭わない死の灰だからだ。 地球温暖化を恐れるなら、核汚染も恐れなければならない。 地球温暖化が恐ろしいのは、人類が生存できない環境になるからだ。 決して地球がなくなる訳でも、全生物が死滅するわけでもない。 ならば、核汚染も又同じだ。いや、温暖化以上に恐ろしい。 全ての生物は、ウイルスまで含めて、遺伝子を持っている。 これが破壊され複製できなくなった時に何が起こるかは、 東海村の臨界事故の際に専門知識を持たないまま、危険作業に従事して被爆し、 亡くなられた二名の方の壮絶な治療の記録を見ていただきたい。 プルサーマルや高速増殖炉は、 ウランよりも毒性の強い長崎原爆の主原料、プルトニウムを使用する。 僻地に肥溜めを作って、大都市は安心かというと、決してそうではない。 原子力発電所への燃料移送の為、プルトニウムは夜間、都市のど真ん中を、 子供達が眠る民家の脇を走り回る。 石油に代表される化石燃料は、温暖化だけでなく、枯渇の心配がある。 現在お前が使っている電力も原子力が賄っているのだと、脅されてきた。 だが、エネルギー界には革命が起きている。 技術がもたらした革命だ。 太陽光・風力発電と燃料電池だ。 実は、産業革命が資本主義を推進して来た事に匹敵するだけの影響力がある。 化石燃料も原子力も個人ではどうにも出来ない。 ここに国家権力が絡み、勿論、巨大資本がそれを操ってきたのだ。 原子力にどれ程の国家予算が投入されてきた事だろう。 原子力産業は消して、税金をジャブジャブと出し続けるこの『蛇口』を閉めようとはしない。 太陽光や風力(巨大な水平翼ではなく、場所をとらない垂直翼)は個人で扱える。 個人が自分の生活に必要なエネルギーを国家や巨大資本に支配されず自由に取得できるのだ。 電気自動車が普及すれば、移動手段も手に入る。 日本は、工業製品の輸出のために、食料の自給を手放してきた。 しかし、時代が急転直下しようとしている。 日本に唯一有利なのは、人口増加に歯止めが掛かっている事だ。 あたかも、国民がその日を予感しているかのように…。 地産地消は、食料だけの問題ではなくなるだろう。 近代の貿易立国は、欧米列強の植民地政策抜きには考えられない。 今、その作られた格差が急速に狭まりつつある。 と、同時に、その信じられない速度を生み出している人口爆発が 凶器に変わりつつある。 世界に嵐が吹き荒れる中を、この小さな島国は乗り切れるだろうか…。 かつて、『不沈空母』と言った薄らバカがいたが、 沈まなくても核汚染してしまえば、誰も乗り込んで入られなくなる。 日本人は皆、地震に津波に火山に、台風に山津波に、多大な犠牲を払いながらも
この国土だけは失わずに来た。 だが、核汚染は、日本人から日本固有の国土を奪い去ってしまう。 |
全体表示
[ リスト ]




日本の国土には無数の活断層が存在し、これに比例するように「地下水脈」と
いうものが縦横無尽に走り回っています。つまり断層で出来た地下の亀裂が
地下水の通り道となっているような状態です。
このような国土の構造下で地下に高レベル核廃棄物を埋蔵するという発想自体が
異常であり、非論理的なことと断言できます。
特に「使用済み核燃料」を溶かして密閉させた容器「キャ二スター」という代物
の非安全性(危険性)は、すでに証明されています。原子力産業・・・元々は
単なる一企業(電力会社)の「商品(電力)開発」の手法に過ぎません。
単なる株式会社が、地域住民に非難訓練を強いるような発電方法を堂々と行って
いることが異常なのです。
2010/2/23(火) 午後 7:31
TAKUさん
専門家と称する人達がまるで信じられません。
TAKUさんの言われるように、将に『非論理的』!
『本音と建前を使い分ける』事が日本の伝統…?!
でもこれは強大な権力を、のらりくらりとかわしてゆく為の手段。
本音しか持たない自然相手には通用しない。
書類を整えるための検査の『想定』通りに、
自然現象が起こる保証は無い。
野生動物も自然の一部であり、同じ事がいえると思う。
確かにシー・シェパードは問題がある。
でも、野生動物の『調査』を殺して肉を取って冷凍庫に保管する事で行えるものなのか?
殺してしまって行える生態調査??!
そもそも、研究者が想定していたのは年10頭前後だそうだ。
どち等にも確実に存在するのは、
国民の税金をジャブジャブと垂流す蛇口の存在であり、
それに群がる既得権益者たちの姿だ。
『話せば判る』のは論理の通用する相手だ。
『非論理的』な奴等を相手にするにはどうしたらよいのだろう?
シー・シェパードは、此処で実力行使に走ってしまった。
だが、これでは奴等の思う壺だ。
では、どうすればよいのだろうか?
2010/2/24(水) 午後 6:57 [ デジコム ]
こんにちは。
いわゆる「専門家による調査報告」というものがいかにいい加減な
ものであるか?これは時には「いい加減さ」を通り越して「犯罪的」
である場合もあります。
水俣病が発病した当時、(株)チッソは熊本大学に河川の水質調査を依頼し、
これを行った大学の研究チームは、川の水から多量の有機水銀を検出しています。
更に、この有機水銀が生物の中枢神経をいかに破壊するかという事柄についても
綿密な実験を行い、その結果はレポートとして残されていたにも関わらず、これ
が世間に公表されることはありませんでした。
当時の水俣市では(株)チッソの存在は「市の財政を支える重要な会社」であり、
多くの市民が(特に大学卒業者が)この企業への就職を望んでいたという社会的
な背景があり、そして実質的にもチッソから大学へと多額の寄付金が渡っていま
した。当然、大学側はチッソの不利となるような情報を公開するわけがなかった
のです。
2010/2/24(水) 午後 7:30
結果として、その時点でこの「奇病」の原因は闇に葬られることになり、その後
更に多くの犠牲者を生み出すことになります。
これは「科学の敗北」として記録されるべき重要な「悪行」だと痛感しています。
いかなる技術も「人間の犠牲」を要するものであっては、存在する意味がありませ
んし、また、知識というものは常に弱い立場の人間を救うために磨かれているのだ
と、俺個人はそのように確信しています。
追伸
「シーシェパード」の問題は、「捕鯨の是非論(生態系科学問題)」とはかけ離れた
問題だと俺は認識しています。彼らの行動様式を観察した結果として暫定的な結論
ですが、彼らはNPO法人などによく見られるある種の「集金団体」であり、その
派手で過激な行動の意味は「人目を引く」ことにあり、いわゆる「宣伝効果」を
狙ったものであると推測しています。
(調査捕鯨の是非論については、当方はデータ不足で論じることができませんが)
2010/2/24(水) 午後 7:30
熊大が、メチル水銀に付いて綿密なデータを取ったにも関わらず公表しなかったというのは何時の時点の話でしょうか?
熊大は奇病(当時)の公認昭和31年5月後、8月に水俣市奇病対策委員会から調査依頼を受け、11月には重金属の中毒による疑い、魚介類の大量摂取、発生元はチッソが疑わしいことを報告しています。厚生科学研究班も32年10月にはチッソから出る重金属による中毒を報告しています。しかしこの時点ではマンガン、セレン等を疑っていたようです。有機水銀説は外国の文献に気付いた熊大研究班による34年7月発表が初めてのようです。非協力的なチッソに対して、排水溝の下のヘドロや排水を採取して測定を行ったようです。(←新聞記事見出しによる水俣病関係年表1956-1971)もっと前に特定出来ていたのでしょうか?
2010/2/26(金) 午前 1:22 [ デジコム ]
手元にある資料によれば、新日本窒素肥料(現チッソ)水俣工場附属病院長の細川一氏が
水俣保健所に「原因不明の中枢神経疾患」を報告したのが1956年、5月です。その後、
水俣市は熊本大学医学部に原因究明を依頼し、いわゆる「水俣奇病研究班」が組織されます。
熊大奇病研究班がはじめて水俣市を訪問し、事実上の調査を開始したのは同年8月であり、
この時点ですでに(原因物質が特定できずとも)発病原因が工場廃液であることを推測し
ています。
熊本大学が原因物質を有機水銀とし、これを公式発表したのは1959年7月のことです。
1957年から1959年の2年間に渡り、熊大研究班とチッソ技術陣は無数の会合を設
けていることが記録に残されています。誰と誰が何を話し合っていたのでしょうか?
その後、チッソ側は同研究班の発表を覆すために独自に生体実験を行いますが、この結果は
大学側の主張を裏付けるものとなり、この実験記録は完全に隠蔽されることになります。
2010/2/26(金) 午前 3:13
熊大研究班がどの時点で「有機水銀」を確信していたのかは定かではありませんが、少なくと
もこの2年間の内のどこかで研究班は「それを確信」し、またチッソも同様に「それを確信」
していたということです。つまりこの時点で市民に成されるべき「警告」が成されず、その
「原因不明状態」は、その後もダラダラと続くことになり、国家(厚生省)もこのダラダラ
状態に甘んじることになります。つまり「波風立てるのは得策ではない」という判定に至る
何らかの「力学」があったことを示しています。
当方の見解を述べれば、仮に大学とチッソの間に何の癒着もないのなら、大学はもっと早い
時期に、そして積極的に独自の調査報告をメディアで発表していたであろうということが一点。
それを行うのが科学を旨とする「大学」の存在意義です。そして同時に本来ならその時点で大学
こそがチッソに対して「抗議」を示す立場であったということが一点。
2010/2/26(金) 午前 3:14
悪人が自分の悪事を隠すのは「当然のこと」であり、これをいくら批判しても切りがありません。
問題は悪事を告発すべき立場の人間が、その悪事をダラダラと容認してしまったということでは
ないでしょうか?
2010/2/26(金) 午前 3:14
当時、マスコミと言えばまだ新聞であったと想います。
以下、新聞記事見出しによる水俣病関係年表1956-1971 より
(熊大の作成ですが、推測・憶測ではなく、実在した報道内容)
56年08月25日付(熊日)中間報告で熊大が伝染病を否定。
56年11月26日付(熊日)中間報告で熊大は、伝染病ではない事が確認されたとして、
研究を中毒に絞り、チッソの廃液との関連性に焦点を絞るとしている。
57年01月27日付(熊日)東京で国立公衆衛生院、同予防衛生試験所の国の機関が熊大、水俣保健所と会合。貝毒を疑う。
57年01月29日付(熊日)毒物の特定が急務となり、魚介類を食べないよう呼びかけているが、
熊大学長は入院患者に研究費を回している事、社会問題として援助の必要性を訴える。
2010/2/26(金) 午後 10:54 [ デジコム ]
57年02月14日(熊日)熊大は水俣病を魚介類が媒介する中毒性脳神経症として、重金属に着目し
チッソの廃液・泥を調べている。これに対しチッソはマンガンを使用していないし
マンガン中毒であれば工場内でも発生するはずだと反論している。
熊大は下りた予算で新鋭の海水分析器を購入。
57年04月17日付(熊日)熊大、セレン検出
57年07月09日付(熊日)公衆衛生学会で国立公衆衛生疫学部長と熊大は水俣病を中毒とし
水俣市内の窒素肥料会社の廃棄物・廃液に汚染されていると見て海底土壌を調査。
高濃度のマンガン、セレンを検出したと発表した。
57年07月13日付(熊日)通産省が他の窒素肥料工場で発症例が無く排水が原因とはいえないと
クレーム。更に原因究明を続けるとする。
57年11月30日付(熊日)東京で公衆衛生院等と熊大が会議。
水俣湾内の汚染された魚介類を多量摂取することによって発症する中毒で
原因物質は、マンガン、セレン、タリウムが疑わしいとされた。
2010/2/26(金) 午後 10:56 [ デジコム ]
58年07月09日付(熊日)厚生省科学研究班が初めて名指しでチッソの廃棄物が原因であると結論。
廃棄物がどのように有毒化するかを究明するとして、各省庁に協力要請。
58年08月31日付(熊日)各省庁課長級による協議会発足
58年09月18日付(熊日)米国から2医師が来て診察。マッカルパイン博士だとすると
有機水銀中毒の症状と酷似している事を伝えていると思われる。
59年07月19日付(朝日)熊大が有機水銀を原因物質と特定した事をスクープ
59年07月23日付(熊日)熊大が有機水銀が原因物質と正式発表
2010/2/26(金) 午後 10:57 [ デジコム ]
熊大は初期に高価な水銀を大量に垂流す事は在り得無いと、水銀の可能異性を排除していたらしい。
為に、当時の他の重金属を検出する方法では、水銀が蒸発してしまい、検出できなかった。
熊大の研究班は医学部主体で、化学工業の工程に疎かった。
外国の文献の発見が遅れた。…等の問題はあると思います。
当時の検査技術、検査機器、そしてコンピュータは使われていなかった事、無機水銀が有機水銀に変化する過程が不明であった事、又、水質汚濁防止法は成立しておらず、塩化ビニールを大量生産していたチッソが操業停止になると日本中の製造業に影響が出ると恐れた通産省が、厚生省の機関が出した結論を蹴るという時代です。
58年9月外国人医師の来日後、熊大は水俣病の病理所見はハンター&ラッセルにより報告された有機水銀中毒例とのみ完全に一致すると研究班報告会で報告します。
59年2月熊大は、水俣湾内の水銀の測定を開始します。
2010/2/27(土) 午前 1:46 [ デジコム ]
水俣病の拡大は、チッソが排水先を変えて水俣の鎮静化を図ろうとし、為に地域を拡大した事、68年にアセトアルデヒドの製造設備を運転停止するまで、水銀を立たれ流し続けた事が原因と考えます。
60年以降、国の省庁縦割りの弊害で原因究明もバラバラになり、挙句何の成果も報告も出さないまま協議会が消滅します。
しかし、熊大は黙々と研究を続け、チッソが協力を拒み、試料提供を拒否する中、手元の採取試料からメチル水銀を発見します。この試料がチッソのスラッジから採取したものだったのです。
熊大は科学者として、また、当時の一地方大学として、奮戦したと思います。
癒着は考えられませんが、何か根拠が在っての発言でしょうか?
熊大が医学部中心で工学部主体ではない事、国立大学で文部省の管轄であったことは、彼等に有利な点かも知れません。
しかし、千葉の五井チッソ工場で、写真家ユージン・スミスが襲われ片目を失明するほどの暴力に襲われていることを考えると、チッソ城下町でよく頑張ったと想います。
2010/2/27(土) 午前 2:47 [ デジコム ]