小説『砂の帝国』

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第十二章 森と湖

 運河が明らかになるに連れ、砂の帝国の全容が明らかになっていった。そしてそれは当初フンボルト達が考えていたものよりも数十倍のスケールを持つ、まさに砂漠の帝国と名づけるにふさわしい巨大国家であったのだ。
 このような巨大な帝国が、例え交通の要衝に有ったにしても、砂漠のほぼど真ん中と言えるこの位置にあったとは、信じられないような奇跡であった。しかも、いくら大量の物資を取り扱ったからと言って、それを運河で運ぶとは…。まさに信じられない事実であった。 

 砂漠にはワジとよばれる河が有る。普段は干上がっていて砂漠の他の部分とさして相違無い。しかし、その部分は土地の最も低い部分で、砂漠やその上流に雨が降ると忽ち激流となって砂漠の中を暴れまわり、やがて砂漠に消えて行く。この激流に飲まれて亡くなった砂漠の隊商の話はあまりにも有名である。 この河はあくまでも雨が降った時にだけ洗われる河である。常に水を湛えているわけではない。ワジは瞬間的にだが激流となる。しかし、この広大な砂漠はこの激流をも飲み込んでしまうのである。

 一体古代人たちはどうやって運河に水を張ったのだろうか。そう考えるとマッコーリの言っていることがフンボルトには荒唐無稽に思われる。


 暫くすると、作業員達は無数の切り株の群ににぶち当たった。初めは何かの遺跡の柱の土台部分だと思われた。しかし、地中に張り出した根の部分が明らかになり、切り株であるとわかったのだった。遺跡の柱かと見まごう程の巨木の切り株であった。しかも、それが次々と出てくるのである。
 懸命に掘りつづけたが、三十数本分を掘り出したところで、この方面への発掘は一次休止とした。理由はきりがないからである。実際後から後から際限無く出てくるように思われた。そしてそのどれもが直径6フィート以上の巨木の切り株であった。

 フンボルトたちはまたもこの砂の帝国に驚かされた。つまりは、この辺りには巨木の生い茂る広大な森があった事になるのだ。そしてこの事によって運河で運搬用に使っていたと思われるかなり大きな木造船の木材、特に一本で作られた竜骨を、いったいどこからそのような巨木を運んできて作ったのかという疑問が解けたのであった。この砂の帝国の周囲には深い森林があり、木材はそこで賄っていたのである。砂の帝国は、現在のような砂に囲まれていたのではなく豊かな緑の森林に囲まれていたのである。砂丘に立ち、見渡す限りサンド・ベージュに覆い尽くされた大地を眺めていると、フンボルトには緑に覆われた大地など想像も出来なかった。
 シベリアのタイガや、カナダの森林地帯のようなものだったのだろうか。切り株の太さから見て、その高さは優に90フィートはくだらない。これ程の巨木ばかりを、近いとは言え市中に運び入れるのはやはり、並大抵の事ではなかったであろうと思われた。

第十一章 テレビ局

 砂漠の中に巨大宮殿を発見したと有って、テレビ局の連中が大挙して押しかけ、砂漠の中に忽然と街が現れたかのような賑わいになった。

 フンボルトに言わせれば、
 「あの野郎ども、何処でもかでも踏みつけやがって、
  挙げ句の果てはカメラが安定しないとか何とかぬかしやがって、遺跡を削り取ったんだぞ。
  ぶっ殺してやる。」
という事になるのだが、さりとてテレビ局が大々的に報道してくれたおかげで、フンボルトの出資者達は大いに満足したし、更にこの遺跡の継続的な発掘や保護に金を調達するのも楽になるのだという事は、フンボルト自身にも十二分にわかっている事ではあった。

 次から次へとやってきて、入れ替わり立ち代り、異口同音に繰り返されるキャスターと称する素人の質問に、うんざりしながらも、手際よく答え、適当に笑顔も忘れないマッコーリも、彼等が去ると、無口になった。しゃべり疲れた事も勿論あるが、それよりも心に鈍く圧し掛かるものが在った。
 マッコーリは、コーヒーを入れたカップを手に、手近な椅子を引いてテントの中のテーブルに着いた。ぼんやりとコーヒーを眺めながら、先程のキャスターとのやり取りを反芻していた。
 明らかに染めたとわかる濃い金髪を何かできっちりと固めたヘルメットのような髪を、どんなに風が吹いても角度を変えない外巻きカールに跳ね上げて、濃いブルーのアイシャドーの奥から深いグリーンの瞳が瞬きもせず見つめてくる。プラスチックで固めたような唇は日焼けした肌に浮かび上がるようなピンクに光っていたが、以外にも滑らかによく動いた。
 「巨大な宮殿には、鮮やかな壁画が残されていたのですね?」
 「ええ、そうです。 海か湖を描いた鮮やかなブルーのモザイクが、砂に埋もれていたために
  色彩を失わず、そのまま残っていました。」
 「この砂漠の中に、湖の壁画ですか?」
 「ええ、そうです。それと艶やかな衣装をまとった女性達の姿が描かれていました。」
 ここで、キャスターは、あらかじめ打ち合わせていた取って置きの話題に展開するために、ピンクの唇をなめた。
 「ところでマッコーリさん、この遺跡には、数々の芸術品や調度、日用雑貨などの他に
  沢山出土されているものがあるそうですが、それは何ですか?」
 突き出されたマイクに、思わず唾を飲む。
 「…、ミイラです。」
 「人間の?」
 「ええ、そうです。人間のミイラです。」
 キャスターは、眉根にぎゅっと皺を寄せ、
 「すると、ここは宮殿ではなく、墳墓なのですか?」
 「いえ、宮殿です。その、ミイラは、人間の手で作られて埋葬されたものではないんです。」
 「埋葬されていない?」
 「そうです。丁度…、丁度ボンベイのように、この広大な都市国家全体が砂に埋もれたのです。」
 「ポンペイですか? すると火山の噴火ですか?」
 「いえ、今も昔もこの辺りに火山など在りません。」
 「では、火山灰ではなく砂漠の砂が飛んできて、都市国家を埋めた?」
 「…、わかりません、調査中です。」
 「違うんですか?」
 「当時、この都市には運河が張り巡らされていた…。
  皆さんが歩いている遺跡の通りは、実は道路ではなく、運河だったと考えられるのです。」
 「運河? この砂漠の中にですか?」
 「ええ…」
 明らかに胡散臭いと疑うキャスターの不満足そうな態度…。
 「砂に埋もれた都市国家に、運河。にわかには、信じられない話です。
  砂漠の中から、世紀の発見をお伝えしたのは… 」

 マッコーリは、カップの中の茶色い液体を見つめた。
 「砂漠の中の運河…」
マッコーリは、心の内でつぶやいた。
 「運河の水は、青く澄んだ水ではなく、丁度このコーヒーのように茶色く濁っていたのかも知れない。  泥水の運河…。」
マッコーリは、カップの中身まで泥水のような気がして、喉は渇いていたが、コーヒーをすする気にはなれず、カップを机の上に置いた。

第十章 静寂の森

 フンボルトとグレア、そしてレオンが住んでいるのは緑豊かな住宅街であった。
 フンボルトの家は、細君がインテリアに凝って居間をビクトリア調にしてしまった以外は、アメリカの都市郊外になら何処にでもある芝庭付きの二階建ての建物であったが、隣の家は洒落たコテージ風の平屋で、一寸人目をひく建物だった。
 隣の住人であるウォーレンはもうとっくにリタイアして悠々自適の生活を営む老夫婦だったが、彼らはいたって慎ましやかに暮らしていた。夫の方はバードウォッチングが趣味のもう今年は七十五になろうかと言うのに元気の良い年寄りだった。夫妻はレオンのガールフレンドでも有るヨークシャーテリアを飼っていた。このヨークシャーテリアは朝寝坊で、その散歩は妻の方の日課だった。散歩と言ってもこの辺りを一ブロックもぐるりと回ればそれで事足りてしまう。妻君の方は七十になったばかりだったが、少し太っていたのでこのコンビには丁度良いくらいの運動だった。

 夫君の方はその日もいつものように朝早く、近所の森に鳥を見に出かけた。双眼鏡を紐で首から下げ、ポケットサイズの鳥類図鑑に植物図鑑をジャンパーの右のポケットに入れ、左のポケットには小さな観察ノートと鉛筆を入れていた。ウォーレンにとって小鳥達はまるで孫かなにかのような存在であった。唯その姿やしぐさを見ているだけで、この上なく幸せな気分になれるのだった。樹上で小鳥達が喉を震わせ恋のさえずりをしている時など、ウォーレンは思わず顔がほころんでしまう。もう、なじみの小鳥達も何羽もいて、彼らの方もウォーレンをわかっているようだった。ウオーレンが彼らにかなり近づいても、彼が何も危害を加える事の無いのを小鳥達は知っていて、彼らの挨拶や世間話にウォーレンがオブザーバとして参加する事を認めてもらっているのであった。だから、初めての人であったら、忽ち飛び去ってしまうような距離にウォーレンが近づいても小鳥達は逃げたりせずに、かわいい仕種で彼らの日常生活をウォーレンに見せてくれるのである。

 この日もウォーレンはいそいそといつも出かける森の中へと入っていった。ウォーレンは森に入った時、何とも言えない違和感を覚えた。何となくいつもと違う感じ。しかし、ウォーレンは小鳥達に会いたい気持ちが先に立ち、その奇妙な感覚に取り合いもせず、森の奥へと奥へと進んでいった。ウォーレンはうつむいて足元を確かめながら歩いていたのだが、
 「今日はやけに静かだな。」
と心の中で呟き、ふとその言葉の原因を探ろうと顔を上げた。
 森の中はしーんと静まり返っていた。
 木々の枝から枝を見渡してみたが、小鳥の影が見当たらない。
 「今日は見つけにくいな。」
とウォーレンは思い、更に目を凝らして当りを見回してみた。しかし、見つからない。
 「今日は自分が来る前に、何かあったに違いない。」
とウォーレンは感じた。
 たまにこんな事があるのだ。例えば心無い人たちが、犬を散歩に連れてきて、犬を嗾けたりするのだ。木の下の方ではあるが犬に吠え立てられ、しかも人間が一緒となると、小鳥達は警戒してその辺りを飛び去ってしまうのだ。大概は、またしばらくして不貞の輩どもが去った後、同じ場所に戻って来る。
 しかし、もっとひどい仕打ちを受けた場合など、彼らはなかなか同じ場所には戻ってこなくなる。例えばパチンコで撃ち落とされたりした場合である。
 辺りが静まり返っているところを見ると、かなりひどい事をされた可能性が高い。ウォーレンはその痕跡を見つけようと辺りを見回したが、それらしい跡は見つからなかった。
 「まだ、森の何処かに悪さをした奴が入るのかもしれない。」
とウォーレンは思った。
 「だから、森中がこんなに静かなのだ。」と。
ウォーレンは森中を歩き回ったが、森を荒らした人間質を見つけられなかった。そして一羽の小鳥達にも出会わなかった。
 「銃だろうか。」
銃声がすれば小鳥達は一斉に飛び立ち、安全が確認されるまで戻ってはこない。
 「しかし、銃声など聞いただろうか。」
とウォーレンは訝った。いくらなんでも閑静な住宅街に程近い森で銃声がすれば、住人の誰かが気付き、何事かと大騒ぎになるだろう。
 この森への道すがら、森の入り口の脇に立っているウィルマ夫妻に声を掛けたが、そんな話は出なかった。通りかかった時、ウィルマ夫妻はいつものように庭の丹精込めたバラ達に水をやっているところだった。軽く会釈して
 「お早よう。」
と声を掛けたのだ。ウィルマ夫妻もにこにことしながらいつものように挨拶を返してきた。何も変わった事はなかった。ウィルマ夫妻にとっては、バラ達が丁度ウォーレンの小鳥達みたいなもだった。朝早くから手入れしているのである。年は自分と同じぐらいだが、耳が遠い風ではなかった。もし、銃声を聞いていたら必ずウォーレンに声を掛け、注意してくれるはずだ。

 すると一体、この森に何が起こったというのだろうか。
 改めてウォーレンは森の中を見回した。動いているのはウォーレンと風に揺れる下草だけだった。
 この森には小鳥達はおろか、小動物達さえ見当たらない、いや、いないのだ。
 ウォーレンには事態がうまく飲み込めなかったが、森の中を戻り始めた。うつむいて足元を確かめながら、顔が強張っていくのがわかった。何か考えようとするのだが考えが浮かばなかった。時折、もしや誰か知り合いの小鳥達に会えはしないかと上を見上げて樹上を見渡すのだが、何も見えなかった。
 森を抜けると空は晴れ渡って青く、明るかった。それだけにいっそう森の静けさが際立って奇妙に見えた。行きに通りかかったウィルマ夫妻の家の前を再び通りかかった時、夫妻は朝のバラの手入れを終わり、咲き誇るバラ達をうっとりと眺めているところだった。いつもの光景だ。何も変わった事は無い。ウォーレンは一寸躊躇したが聞かずには居られなかった。
 「やあ、ウィルマさん、見事なものですね。」
 「ああ、有り難う。」
 「ところで、今朝方、森で銃声でも聞きませんでしたか。森に小鳥が一羽もいない。」
 「森に小鳥が。」
 「一羽もいないなんて・・・。」
二人とも怪訝な顔をしていたが、
 「いや、銃声などしませんでしたよ。そんな事があれば、あなたがここを通りかかった時に
  必ずお話していますよ。」
 「そうですか。いや有り難う。」
とその時、細君が何か気付いたらしく、
 「そういえば、からすが糞を落としていなかったわね。」
と言い出した。
 「そうだな。いや、いつも私たちのバラの上に糞を落として行くからすがいるんですよ。
  糞が花びらやつぼみに掛ると花が駄目になってしまうんでいつも困っていたんだが、
  今朝はそれが無かったんですよ。」
 「からすもいない・・・。いや、お手間を取らせました。
  でも、森が妙なんです。何かが起きたはずなんだが・・・。」
ウォーレンは軽く会釈してその場を離れた。

 出かける時のうきうきとした気分とは正反対に、ウォーレンの心の中は不安が渦を巻いていた。何が起こったというのか。小鳥達は何処に消えたのか。果たして無事なのか。ウォーレンは考えながらうつむいて歩いていたが、ふと顔を上げ森の方を振りかえった。
 黒々とした森があった。一見しただけではいつもと何ら代わりない森・・・。しかし、この森はもういつもの森ではない。沈黙の森なのだ。しかし、と、ウォーレンは思った。ただの一羽の死体どころか抜け落ちた羽さえも見当たらなかったと。
 「沈黙の森・・・。」
と思わず呟いた時、ウォーレンの中へ光がパーっと差し込んで来たような気がした。
 「あの子達は無事だ。きっと無事だ。そして私にメッセージを残してくれたんだ。」
ウォーレンの耳には小鳥達のささやきが聞こえてくるような気がした。
 「おじいさん、早く、早く。」
 「おじいさん、逃げて、逃げて。」

 この街のほとんどの住人がさして関心も持たず、目もくれない野生の小鳥達を、そしてその住処であるこの森をウォーレンは精一杯守ってきた。この森も開発の対象となった事がある。ウォーレンは市民に呼びかけ、中央に呼びかけてこの森を自然保護区とし自然林のまま保存する様運動した。折りしも、開発よりも自然保護に重きを置く風潮となり、その追い風も手伝い、運動の甲斐あってこの森は小鳥を初め小動物達のかけがえの無いねぐらとなって残ったのだった。であればこそ、ウォーレンはこの森とこの森の住人達をこよなく慈しんできたわけだが、この森に関心を寄せ、見守ってきた者にでなければわからない変化がこの森を襲っていたのだ。

 そしてそれは、取りも直さず、この森の住人達からウォーレンへの最後のメッセージでもあったのだ。
 「何かが来る。早く逃げろ。」
 その何かが一体なんであるのかは、ウォーレンにも検討がつかなかった。しかし、彼らはウォーレンにウォーレンと彼らだけにしかわからないメッセージを残して行ったのだ。
 「ここは危ない。早く逃げろ。」

 ウォーレンは家に向かって走り出した。

第七章 宮殿

 後に判った事だがフンボルト達は、この遺跡の中央部、最も高い位置から発掘を始める事になった。この都市遺跡には、中央部に城壁を巡らせた宮殿があった。この堅固な城壁が初めに姿を現したのである。
 宮殿は、丁度10万人収容のドーム球場ほどの広さがあって、当初はこれが全都市遺跡かと思われた。しかし、城壁の外に、広大な街が連なっていたのだ。

 砂に埋もれた宮殿の保存状態は悪くなかった。砂が乾燥をもたらし、強烈な熱線や紫外線を遮っていた。宮殿と知れたのはあでやかなモザイクの壁画が見つかったからだった。目の覚めるようなコバルトブルーの海だか湖だかに、色鮮やかな豊かな衣装を着て、軽やかに舞う乙女達の姿が描かれていた。
 「水の少ない砂漠の都市国家が、水への憧れを絵にしたのか…」
フンボルトは、思わずつぶやいた。何時の間にか傍らに、マッコーリも並んで壁画に見入っていたが、
 「ほとばしるように、リアルですね…」
と言った。

 保存状態の良いこの遺跡からは、壁画の他にも様々な彫像、調度品、装身具…ありとあらゆるものが、ほぼ使われていた当時のままの状態で出土した。そう、保存状態の良さは、この都市国家が戦場になってはいないことを物語っていた。かと言って、何らかの天変地異の痕跡も見出せなかった…。その事が、この発掘調査を、初期の浮き立つような遺跡発見の興奮から、次第に重苦しく、何とも言えぬ不安なものへと変えて行った。 作業員達は皆、一様に黙り込み、灼熱の熱砂の中に、黒々とした影となって沈み込んだ。 そう、この宮殿は、将に死の宮殿だったのだ…。

 

第八章 砂の帝国

 フンボルトとマッコーリは遺跡を砂の帝国と名づけた。
 砂の帝国には整然とした道路が整備されていた。この道路は驚くほど緻密に舗装されており、道幅もかなり広かった。それが碁盤の目のように配されている。

 発掘が進み、街が浮かび上がってきたときに、フンボルトは、この道路に降りて少し歩いてみた。道路の上に立つと、どの家も三階建て以上でかなりの高さが有り、地上は容赦無い熱照と砂を叩き付ける熱風とが常に襲い掛かってくるが、ここは日差しが遮られて日陰となり、風もなく静かで不思議な空間だった。どのような民族であるのかは未だ定かではないが、あの邸宅や宮殿に有った壁画の娘達も、あのような衣装を着けてこの道を歩いてのだろうかと、ちょっとした感慨に浸って歩いてみたのだった。

 だが歩いている内に彼は何とも息苦しいような奇妙な感覚に教われた。あまりに緻密な都市の壁に圧倒される感じだった。そのうちに道路周辺の建物が奇妙な事に気付いた。道路の両側は壁で窓が無いのだ。正確には人の背の届く範囲には窓が無いのだ。遠くの建物をみれば確かに道路側にも窓は有った。しかし、自分が歩いている周辺は緻密な壁に取り囲まれていて、おかしな話だが「天井の開けた地下道」を歩かされているようなそんな気がした。
 それほど治安はよくなかったのかもしれなかった。それで、道路側に面した窓は人の背丈よりも上に付けられていたのかもしれない。昔の中国の街にそのような造りの物があった。ここもその類かもしれなかった。だが、その中国の街の道路はほとんど路地のように狭かったはずだ。この道路はやけに広かった。
 そうするとそのころの娘達はとてもこの広い通りを独りでなど歩けなかったに違いない。街の通りを歩いていても少しも楽しい気分にはなれなかった。フンボルトは歩き始めたときのちょっとうきうきした気分がすっかり覚めてしまい、何だか少しがっかりして、また仕事に戻った。

 発掘現場に戻ってみるとマッコーリが腰に手を当ててチュニジア人の作業員に何かを指示しているところだった。顔つきが少し険しい。
 「マッコーリ、どうしたんだ。何か有ったのか。」
すると、マッコーリはむっつりとしながら、
 「何にも無いんですよ。」
と言った。
 「ええっ。もう盗掘に有っていたのか。」
フンボルトは作業員が一斉に手を止めて顔を上げるほど大きな声で叫ぶなり、走って行ってマッコーリの隣に立ち、下の作業を覗き込んだ。
 「いやだな。違いますよ。」
マッコーリは両方の眉をだらりと下げて、口の端を上にひん曲げて見せた。それが何の事だか解らず、フンボルトはまた頓狂な声を上げてしまった。
 「えっ、ええっ。」
そしてマッコーリの顔を正面から真剣な顔で見つめた。マッコーリは、ふふっと笑い出すと、そのまま笑い出ししばらく笑っていた。
 「おい、マッコーリ。」
フンボルトが怒鳴ると
 「いやいや済みません。ああ、おかしかった。おかげで、また元気が出てきましたよ。」
 「おい、マッコーリ。」
 「ええ、出てこないのはこの建物の一階部分ですよ。」
 「何だ、解るように説明しろよ。」
 「ええ、一寸こちらに来て下さい。」
マッコーリは今さっきフンボルトが歩いてがっかりさせられた道路の見えるところへ歩いて行った。
 「ほら、私たちの立っているところは道路よりもこんなに高い。ここは二階部分ですよね。
  一階に降りないと道路には出られないでしょう。
  でも、この建物には一階に降りる降り口が見つからないんですよ。」
 「見落としはないのか。」
 「ないですねぇ。さっきは作業員に再確認の指示を出していたんですよ。
  でも、どうしても見当たらない。」
 「うーんすると、木製のはしごか何かで外から下へ降りたのか。」
二人はしばらく上から道を眺めていたが、ふとフンボルトはさっきの奇妙な感じの事をマッコーリに話すとも無く話していた。
 「この建物は変な建物なんだ。外から見ても奇妙なんだ。
  一階には窓が何も無くて、その下の道を歩いていると息が詰まりそうだったぜ。」
 「窓が無い…。」
マッコーリはフンボルトの言葉を繰り返すように呟いたが、ふと、フンボルトを振り返り、
 「それじゃぁ、出入り口はどうです。出入り口は有りましたか。」
とフンボルトの方を振り返りながら尋ねた。
 「そうだ、出入り口も無い。窓どころか出入り口も無いんだ。ただ、ただ壁なんだ。」
 「すると一階部分は土台だけなのかな。」
二人は再び眼下の整然とした道路と、窓一つ、入り口一つ無い無表情で奇妙な町並みとを見下ろした。 
 「土台だけの一階…。何の為にそんなことをしたんだろう。」
マッコーリは自分自身に向かって問い掛けたのだがフンボルトは先ほど自分が思い付いたことをマッコーリに話した。
 「いや、さっき俺も考えたんだ。
  ここは豊かだけどその分恐ろしく治安の悪い街だったのかもしれない。
  或いは外の他民族にしょっちゅう、その富を狙われていたのかもしれない。」
ふっとマッコーリが顔を上げ、頭を巡らして、フンボルトの顔をを見た。そして、目を輝かせながら
 「わかった。わかりましたよ。」
と叫んだ。
 「ああ、なんだそうか、そうだったのか。そんな事に気付かなかったなんて…。」
と言うとまた笑い出した。フンボルトにはさっぱり訳が分からず、いらいらとして怒鳴った。
 「何だよ、何に気が付いたんだよ。」
おおむくれのフンボルトを見て、マッコーリはそれでもそれに気付いた事がうれしくてうれしくてたまらない様子で叫んだ。
 「運河ですよ、あれは。道路じゃない。運河だったんですよ。」
 「運河?でも、運河にしちゃあ、狭すぎやしないか?」
 「うん、そうか、そうですよ。」
 「そうだろう。」
 「いや、そうじゃない。」
 「おい、マッコーリ。どっちなんだよ。」
 「ああ、つまり、」
マッコーリは道路を指差すと、両腕を広げ人差し指を振り回しながら、
 「あれは水路、街中の水上交通用の水路ですよ。
  あの、広い通りはメインストリートじゃあなくて、街中のいわば路地みたいなものですよ。」
マッコーリは腕を下ろし、晴れ晴れとした顔でフンボルトを見つめた。そうして、再び遺跡の街を見下ろしながら、
 「おそらく、この街はイタリアの水の都ベニスに優るとも劣らない、水中都市だったはずですよ。」
と付け足した。
 「ベニスだってぇ。」
マッコーリの目には水を満々とたたえ、水面をきらきらと陽光にきらめかせている水路に囲まれた街が映っているようだった。
 確かに、運河の水路なら、窓も出入り口も無い壁、まさに水も漏らさぬ緻密な壁であってもおかしくない。窓や出入り口が二階部分、いや水上にあるのも当然だ。フンボルトの脳裏に、真っ青な地中海の空を映してゆらゆらと揺れる波の上に、黒々としたゴンドラを浮かべ、派手な帽子をかぶったゴンドラ乗りがにまりと笑う観光絵葉書のような光景か浮かび、フンボルトの頬に砂交じりの熱風が吹きつけたとき、フンボルトは思わず頭がくらくらとした。マッコーリは上機嫌で、
 「砂漠のど真ん中で、砂の海を見ながらこんな砂交じりの熱風に吹かれていたんで、
  つい惑わされてしまいましたよねぇ。」
とまるで運河を渡る涼しい風にでも吹かれているような顔をしながら、熱風と砂とにさらされていた。

 その夜、フンボルトとマッコーリはテントの中でカンテラを煌煌と照らしながら「作戦会議」を開いた。メインストリートだとばかり思っていた通りが街の路地に過ぎないとなると、もう一度発掘計画を見直す必要が有った。どこか、この路地裏水路の終端にメインストリートならぬ幹線運河が有るはずである。

 果たして発見された運河には微妙な勾配があり、それを辿って行くと巨大な運河に出たのであった。初めはそれと解らなかった。しかしある通り、運河へ出た時その対岸が現れなくなったのである。
 「遺跡はここで終わりなのじゃないか」
とフンボルトは言ったが、マッコーリは
 「いや、緻密な舗装がずっと続いています。この先に未だ何かあるという事ですよ。」
とあきらめない。
 「もう如何に何でもあきらめた方がいいのでは・・・。」
とフンボルトが言おうとした時に、作業員が飛んできた。対岸があるというのだ。その距離実に2000フィートに及んだ。これがメイン運河だったのだ。という事は、この運河の向こう岸にも、今まで発掘した遺跡と同規模の遺跡が眠っているという事を意味した。フンボルトもマッコーリもこちらの岸辺に立ち、といっても今は水の一滴も無いが、対岸の岸壁を見つめ身震いのするような恐れを感じたのだった。

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