介護家族

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母の笑顔

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 今日は「認知症の人と家族の会」のアルツハイマーデー記念講演に行ってきました。私の住んでいる所は未だ支部がないので1ヶ月遅れの記念講演でした。

 私は県支部設立準備会・呼びかけ人の一人です。そのため朝から準備に出かけました。そして介護体験を話してきました。久しぶりの社会活動です。私自身、神経を集中して何かをすると言う事は未だできません。でも、内側に籠ってしまっている介護家族のために、私の経験した事が少しでも役にたってくれたら。来てくれなくても、そのような方々と接しているケアマネージャに、内側に籠らせないようにしてもらいたいと思い、体験を話してきました。

 でも、今日は少し疲れているので、このときの様子はまた後日書きます。今日は私が話した時の原稿をアップしておきます。

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タイトル:母の笑顔 ー頑張らない介護に気がつくまでー

現在の状況ですが、私一人でアルツハイマー型認知症の母親を介護しております。現在は入院中ですが、要介護2で、アルツハイマーの中期から後期という診断がなされております。
簡単に母の病歴を紹介しますと、発症は1995年頃と考えられております。ただ比較的緩やかに進行してくれたおかげで、初診は2001年の7月です。その時に要支援からスタートし、現状は要介護2の認定をうけております。ただ昨年から進行が進み、昼夜逆転などを経て、現在は入院しております。
先ほど、比較的進行が緩やかだったと申しましたが、その時の状況がどのようであったかと申しますと。利用していたサービスはディサービスのみで、これは介護保険適応範囲いっぱいまで利用していました。ディサービスが無い日は、駅前まで歩いて行き、帰りはバスに乗って帰る事もできました。その他には、電話でこまめに連絡は入れなければなりませんでしたが、一泊くらいなら家を空けていても大丈夫でした。ただ、買い物は、毎回お金をこちらが準備して行ってもらい、家で火を使うのはお風呂だけにしていました。また集合住宅に住んでいましたので、玄関にはこのように表札とタイヤを置き、わかるようにしておきました。
このように長い間、比較的安定してくれていたのですが、昨年の3月から症状が悪化してきました。私が、少し帰宅が遅れた時に、お風呂の水をあふれ返してしまったのです。先ほど私は集合住宅に住んでいると申しましたが、階下の方には大変なご迷惑をおかけしました。
さらに数ヶ月後には、早朝、部屋を抜け出し、そのまま部屋がわからなくなるという事がおきました。これは、私がまだ目覚める前で全く気がつきませんでした。
このように混乱期が始まった母。当然の事ながらクレームがはいりました。
最初に水をあふれかえした時は、母は小さくまるまり、何度も「ごめんなさい、ごめんなさい」と言っている目の前で「ちょっとぼけているんじゃないか!」と罵倒されました。この時、私は罵倒された事以上の感情を持ち、それを押さえるのが精一杯でした。
悪い時には悪い事が重なります。母が間違って、早朝に入ろうとしたのは、この階下の部屋でした。ある日、私の部屋にやって来て言います。「あんたに今日は一言、言わんとあかん。僕に言わせたらあんた、ほったらかしや。管理していない。ぼけてるの一緒にいればわかるやろ!あんたも非常識や、菓子箱一つ持って来て詫びに来るのが常識や!」と。幸いこの時は、母を玄関に出さないでいたので、このやり取りは聞いていないはずです。
 確かにご迷惑はおかけしました。私の対応に全く非がなかったかと言えば、冷静に考えてそうではないでしょう。しかし、このように感情的に言われると、普通ならできるはずの対応も出来なくなってしまいました。
それからですが、私の今までの介護は間違っていたのではないかと悩み、そして母がこのような厳しい目にさらされているのかと思い、守らねばならないと思う様になりました。そして、寝る時は母の隣で寝て、時間があれば一緒に散歩やドライブをするようになりました。しかし、常に心のどこかに、空虚さがこみあげ、それは散歩やドライブと言うより、さまよっていたと言ったほうが良かったでしょう。
さて、このような生活をしていき、私の精神状態がダイレクトに母に響いたのでしょう。母は夜眠れなくなりました。睡眠薬を処方していただきましたが、体質的にあまり合わないようです。せん妄が出て、暴れ、そのまま朝を迎える事が多くなりました。
母の病気の事、最初は頭で理解しても、それが続くと崩れて行くものです。このころの私は、母から見ると、全く別人の鬼気迫った顔をしていたのでしょう。「あんた誰?息子じゃない!」と言うようになりました。このような母を見ていると、私自身、感情が押さえきれなくなり、叩いたり、物をなげたり、つい母に当たってしまうようになりました。そしてとうとう、母の首に手をかけてしまいました。でも、手に力が全く入らないのです。そして母は、こんなに力が出るのかと思うような力で、私の手を振りほどいて、真夜中に部屋の中を逃げ惑い叫ぶのです。「兄ちゃん。助けに来て!この男に殺される。死にたくない!」と。
 このような事があり、私自身の危険行為はここでおさまったのですが、私は自分の心の底に棲む鬼を見たようになり自己嫌悪に陥りました。それでも母に付き添いました。5月に白内障の手術のため入院した母のために泊まり込んだり、病院で朝の7時前から夜の9時半すぎまで付き添ったり。
 ですが、退院した後、母の苦しみは深まりました。ほんのささいな事で自傷行為をするのです。自分で自分の頬を力を込めて叩くのです。「ばか、ばか、ばか、おかしくなっているの自分でわかるんや!」と、本当に悔しそうな顔をして。
この自傷行為が激しくなり、病院に相談すると入院する事を提案されました。それでも、私は「ああ対応すれば自傷行為をくいとめられるかも」と、最後まで言っていました。ですが、主治医の「あなたも人間なんです。完璧にやれる訳ではありません!」の一言で入院させる事に決めました。私自身がとっくに限界を超えていたのです。
入院した後の母は、すぐに落ち着きと笑顔を取り戻しました。空虚さでなにも出来ない私に、面会の度に”天使のような笑顔”で迎えてくれたのは母の方でした。
さて、最近の母ですが、面会に行くたびに、病院でできたお友達や職員の方に、こう言います。「この人誰やと思う?」「私の息子」と。時には息子が兄貴になったり、彼氏になったりしますが。
最近母が私と同じ年だった時の写真を引っ張り出し、あまりにそっくりな顔をしていたので驚き、私自身は「一卵性親子とか双子」とか言っていますが。
これも入院してから後の写真です。まあ、本当に子どのようなエンジェルスマイルをしています。
私は最近思う様になったのですが、認知症は山歩きをして、山から谷に向けて下りて行くものだと。ひとつ間違うと、それは険しい崖を「痛い痛い、怖い」と叫びながら転げ落ち濁流に飲み込ませてしまいます。ですが、私は思うのです。同じ谷を下りるのなら、一緒に手をつないで、階段なければ作ってあげ、ときには自分の手を踏み石の代わりにして、一歩一歩下りて行って、そしてたおやかな川の瀬で一緒に水遊びをしたいと。
このように私は一線を踏み越える事無く留まりました。そして思うのです。介護とは一人で頑張ってもできるものではない。そして、一人で頑張ろうとしている介護者には、一人で頑張らせてはいけない。一番大切な事は介護される人の心に寄り添い、笑顔を絶やさないようにしてあげる事だと。そのために、一人で介護されている方を社会資本のセーフティネットに拾い上げ、介護家族の逃げ口を作り、利用できる具体的な施策を何通りも準備しなくてはならないと。
これは、私達介護家族だけではできません。ここに来ておられる医療ならびに福祉関係者の方々だけでもできません。その他行政の関係の方々、大学関係の方々、そして地域の皆様。全ての方々が力を合わせて作り上げて行かないといけないものだと思います。そのためにも、ともに考えて行きたいと思います。
皆様、今年、京都であった殺人事件を覚えておられますか?昨年私たちの身近であった心中事件を覚えていますか?
先ほど、私は認知症を山歩きに例えました。それも谷を下りる山歩きに
この谷には、深い悲しみと苦しみが、埋もれています。
それ故に、私はこう思い、語りたいのです。
私には夢があります。この悲しみと苦しみが埋まった谷を”今を生きる”と言う喜びが響きあう谷にしていきたいと。

ずっと一緒に笑いたい

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 最近NHKの教育番組をよく見ます。先ほども見ていました。番組は「きらっと生きる」です。若年性認知症になった奥さんを介護されている方を取材した番組です。

 この方は、井上正さんとおっしゃられます。若年性認知症になられたのは奥さんの公恵さんです。公恵さんは2001年に発病したそうです。この2001年の7月に私は母を初めて病院に連れて行き、認知症と診断されました。(発症はさらにこの6年くらい前です。)井上さんは奥さん。私は母と異なりますが、似たような時期から介護を始めたことになります。また、この井上さんもお一人で介護をされておられます。

 この番組は「私の妻は若年性アルツハイマーです。障害者が今の社会で存在する価値は何なのでしょうか?」と言う、井上さんがNHKに送った一通のメールから始まります。そして現在の井上さん夫妻の様子が映し出されました。

 番組に映し出された井上さんの奥様の笑顔はとても素敵なものでした。そして井上さんご本人もとても穏やかな表情でインタビューに答えておられました。井上さんは、インタビューの中でこのように言っておられます。

          「自分一人で抱え込む必要はない」
          「自分が楽になれば、奥さんも楽になる」
          「笑顔をできるだけ保つのが自分の役割」

 このように言う井上さんですが、やはり追い込まれた経験がおありでした。大量に睡眠薬を飲み自殺未遂。そして奥さんの首に手を・・・

 私も似たような経験をしました。頭の中はいっぱいいっぱい・・・。(母に四六時中くっつく様になったのには訳があります。その事で私は追い込まれてしまいました。母と一緒にと考えた事もあります。)私の精神状態ををダイレクトに受け止めた母は、不安定が増し、睡眠薬のが効かずに譫妄状態。思わず母の首に手が。「殺されると。兄ちゃん助けにきて・・・」と言って真夜中に部屋中逃げまくる母。。。

 その時の苦しみ、わかります。だからこそ、テレビに映る現在の井上さんの奥さんの笑う姿を見て、私も一緒に笑いました。目と鼻をぐちゃぐちゃにして。

 きらっと生きるの今回のタイトルは“ずっと一緒に笑いたい”です。これは、井上さんが苦しみの中で見つけた言葉でしょう。そして、私の思いと一緒です。

 追いつめられ、ぎりぎりの線を踏みとどまり、そして、思う言葉なのです。

              ずっと一緒に笑っていたい

 そのためにも、一人で抱え込んではいけない。自分が楽をしなくては、大切に思う人も楽にはならない。そう心に思うのです。

 一度、井上さんにお会いしたい。何も話さなくていいから。ただただ、お互いに顔を見合わせたい。。。


参考までに番組紹介です。
http://www.nhk.or.jp/kira/04program/04.html

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 太田さんの講演会について記事に書いてきましたが、太田さんがこのように講演をするようになったのは主治医の菅崎医師の力が大きいと思います。講演を聞いていても、はっとするような事をおっしゃっておられました。今回は、この菅崎医師の講演内容からはっと思った事を記事にしてみようと思います。

 太田さんがこのように講演をするようになったのは、菅崎医師の勧めもあっての事です。また、太田さんが認知症だと言う自覚があってこそ、この講演が成り立っています。と、言うことは、どこかの時点で、菅崎医師から太田さんに認知症の告知がなされたと言う事です。

 では、どのようになされたのでしょうか?実は菅崎医師は告知をする前に、事前の準備をなされていたのです。それは、自動車の運転を納得して止めてもらうもらうと言う事です。認知症が間違いないとされた後も、太田さんは普通に車を運転されていました。(でも、まわりから見ると普通ではなかったのです。)そこで、菅崎医師は、太田さんの奥さん、作業療法士の上村さんとともに、医師生命いや命をかけて、太田さんの運転する車に同乗されたのです。そして拡幅工事をしている道を右折してと指示を出されました。右折先には門が閉じた図書館が。そこで菅崎医師は、元に戻ってと指示を出されました。そうすると、太田さんは、対向車線の方に車を進めたそうです。そこで、路肩に寄って、今起きた事を説明して、車を運転する事をあきらめてもらったそうです。

 このように、命をかけた事前準備をおこなって、菅崎医師は太田さんに認知症の告知をなされたそうです。ですが菅崎医師は言います。しっかりとした準備がない告知であってはならない。またそれは宣告であってはならないと。菅崎医師は認知症の診断告知をする時は、次の様にしなければならないと言います。

          消極的になってはいけない。
          むやみに告知をしてはならない。
          告知後の責任を覚悟した上でおこなう。
          責任の重みを分散できる環境が必要。
          告知の必要性や意味を十分検討する。
          時期を選ぶ。
          希望のもてる告知の方法を考える。

 この告知の問題は非常に重要だと思います。場合によっては本人を深い絶望の縁に立たせてしまう事もあるでしょう。でも、菅崎医師の言われる様に慎重におこなえば、認知症の本人も介護する家族にも病気を受け入れる時間が持てるでしょう。

 私は母に病気の告知をしませんでした。肝心な話になると、母に外に出てもらい医師と話をしていました。その結果、母は何年もの間、おかしくなっている自分に苦しみました。「ばか、ばか、ばか」と悔しそうな顔しながら言い、自分で自分の頬を力を込め叩きました。何度も何度も。そして私も、精も根も尽き果てたような状態になってしまいました。

 この事を思い返すと、本当に母につらい思いをさせたと思います。もっと早い段階で、傷つかないような形で告知をしていたら、結果は変わっていたかもしれません。お互いが傷つきながら今日に至らずにすんだかもしれません。

 この認知症の告知の問題は、どの段階で認知症とわかるかに依りますが、これから先どのように進んでいくのかを考える時に避けては通れない問題であると感じました。




 

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 太田正博さんの講演会の雰囲気を記事にしましたが、今回は太田さんご本人のことをご紹介します。

 太田さんはテレビ等でもご紹介されているとうり、若年性認知症です。太田さんがいつごろ発症したのかと言うと、平成13年ごろだと言うことです。この頃、新しい職場に異動されたました。そこで仕事をしても何もできない状態になったそうです。その時の事を回想して「仕事をしても何もできない、苦しい世界」「自分の身に何がおこったのかわからなかった」とおしゃっています。その時の上司の方は、“何となく違う”と感じていたそうです。

 実は、認知症の早期発見はこの“何となく違う”と言うのがポイントです。これには私もうなずきました。私も母の発症は11年前だと言っています。この11年前に何が起きたのかと言うと、私のお金を100万円ばかり使い込んだのです。(おまけにそれまでの借金が100万円ばかり、それに百貨店のカードからの借り入れなどがありました。)それを問いただすと、「生活できなかったんだもん」あっけらかんに笑って言います。それで仕事を辞めさせたのです。その後、お世話になった人への恩返しと言って、昔のお客さんの所で清掃の手伝いをしたり、別のところでお手伝いさんみたいな事をしましたが数ヶ月も続きませんでした。その時、「今までの○○さんとは違うみたいだ」と言われたそうです。また付け加えておくと、仕事を辞めさす前の母のノートを見ると、「仕事が今までの様にできない」と苦しい心の内を書き残していました。
 この事を考えると、仕事ができなくなり、今までとは何となく違うと人に感じさせるようになった場合、認知症が発症したと疑った方が良いポイントになると思います。

 太田さんの話に戻ります。平成14年に初受診をし、アルツハイマー型認知症の疑いが発覚しました。この頃の太田さんは、鬱状態になり引きこもっていたそうです。平成17年3月のMEDE判定(多面的初期痴呆判定検査)にて中程度の機能低下と判断され、現在まで維持されているそうです。(平成14年10月時点で長谷川式 28/30)また講演活動は平成17年の4月から始められたそうです。

 このように太田さんのこれまでのプロフィールを見ると、現在中程度の認知症なのかなと思われます。十分理解能力や意思伝達能力が残されています。

 それでは、太田さんは私たちに何を伝えたいと思っているのでしょうか?太田さんはこの講演会の中で、次の介護家族の手記に対して、こうコメントしています。

ー手記ー
『母は、「あの人は嫌い。ああせぃ、こうせぇと言って、私を馬鹿にして指示する」と言い始めました。その方はできるだけ母を正常なかたちに誘導しようとしたのでしょうが、母には苦痛だったようです。』

ー太田さんのコメントー
「絶対にこう言うふうに言わないで下さい。こう言われるのは嫌です。」
「一緒にやていくようにして下さい、閉じこもる事はしないで下さい。」
「できるようになるかもしれないと思う事が、エネルギーになっています。」
「見て、してあげる事だけがケアではないと思います。」

 このコメントから、太田さんは、認知症になった人にも、できる様になると感じるようにする事が大切である事。そして、指示をするのではなく、一緒になってできる事をするのをちょっとだけサポートする事が大切であると言っているのではないかと思います。

 母もレクで体操をするときや、計算ドリルに書き取りをするときなど、最初は渋っていても「兄ちゃんと一緒にやろうね」と言って、側でちょっとだけ背中を押してあげると、喜んで色々な事をします。太田さんの言いたかった事を実感します。


 

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 土曜日に太田正博さんの講演会を聞きに行ってまいりました。講演会の時の資料と、その時のメモと、講演集を見ながら記事を書いて行きたいと思いますので、何度かにわたり書いて行く事にします。

 実はまだ、資料を整理していないので、今の段階ではまとまった事は何も書けません。それでも、この講演会を聞いた感じだけはお伝えできると思いますので、この講演会を聞いたときの会場の雰囲気をまずはお伝えします。

 今回の会場は結構大きなホールで行われました。定員は420名となっています。ほとんどの席が埋まったところを見ると、やはり400名近くは来られていたのではないかと思います。来られてる方々は、介護家族、医療・福祉関係の方々も当然来られておりましたが、今、認知症と関係が無いような方も来られておりました。

 私のまわりに座っていた方も、学生さんや、認知症ってどのようなものかと思って来られている老夫婦の方々でした。学生さんはもしかしたら、このような事を専攻している学生さんかもしれません。

 さて、実際の講演のほうはどうかと申しますと、これが、タイトルの『認知症と明るく生きる』のとおり、笑いが飛び出して来る講演会でした。

 鼎談と言う形でおこなわれるこの講演会、認知症の太田正博さん。作業療法士の上村(かみむら)真紀さん。医師の菅崎弘之さんの3人でおこなわれます。聞いていると、この3人のトリオ漫才と言う感じです。当然主役は太田さんなんですが、突っ込みに上村さん、大ぼけに菅崎さんと言う案配です。

 この3人の方を見ていて感じた事は、医師、作業療法士、認知症の患者と言う関係が無いと言う事です。普通ならば、この3人の中で医師が一番偉くて、作業療法士が患者さんに直接指示して、と言う関係がありそうなものですが、それが全く感じられません。それぞれが、それぞれの役割を演じているような感じがしました。(このような言い方はただしくないのかもしれませんが。)

 このように、笑いが飛び出して来る講演ではありましたが、こう言うふうに講演ができるようになるまでは、並の苦悩ではなかった事は察する事ができます。

 太田さん自身がお語りになられたのですが、“当初は怖いと感じ、何かしたいのだけれどもできずに、布団をかぶって引きこもり、何がどうなったのかわからない”と言う状態だったそうです。

 太田さんをサポートするケアスタッフのご苦労も並ではなかったはずです。その状態から、明るく講演をこなすようになるまでの話を聞いていても、ものすごく丁寧に対応をなされています。

 最初の頃のサポートと告知(この事はまた別の記事にします)を上手くすれば、認知症の初期はかなりの社会参加ができるのだと言う事をつくずく感じさせてくれました。

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