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皆様

あけましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。

お母さんは大晦日に、お蕎麦を美味しく頂きました。
兄ちゃんに手伝ってもらわなくても、ペロリと1人で食べました。

ここまで元気になれたのも、皆さんが暖かく見守ってくれたおかげです。
兄ちゃんは相変わらずお母さんにオイタばかりをしているので、皆の応援が力になっています。

今年は去年を取り戻すように元気に過ごしたいと思っています。
皆に笑い顔を沢山お見せできたら良いな。

それでは今年一年よろしくお願いします。


つやちゃんより



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皆様。

2011年も、残すところあと一日。

今年は母、つやちゃんの肺炎・腎炎での入院生活に始まり、尿路結石の手術と、
気を抜けない状況を送りました。

おかげさまで、つやちゃんは体力を回復し、穏やかに過ごしています。
そして私も、そんな姿を見ながらオイタをするために、せっせと会いに行っています。
今年ほど穏やかに何事もなく生活できる事の幸せを感じた年はありませんでした。

この一年なんとかやり抜けたのは、皆さんの応援があっての事でした。
この場で、この一年の皆さんの応援にお礼を申し上げます。

ありがとうございました。そして来年もよろしくお願い致します。


あしたがあるさ




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あなたに

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メッセージを一通頂きました。
メッセージへの返信が、設定のためか上手くいかないので、
ここに、あなたに、そして多くの仲間へ、私の気持ちを込めてメッセージを綴らせてもらいます。



メッセージありがとうございました。

母が認知症を発症したのは15年前でした。当時は病気だと言う事をわからず、怒鳴ってばかりだった事を思い出します。母は女手一つで私を育てて大学まで出してくれたのですが、そんな母に対してできなくなっている姿を認めたくなかったのでしょうか、怒鳴り手を挙げては、自己嫌悪に陥る日々を繰り返していました。

認知症と診断された後も、夢であって欲しいと現実から逃避し、挙げ句には朝起きたら死んでいてくれないかなとさえ思った事もあります。近所に迷惑をかけて、面前で「ボケている。すぐに病院か施設に入れろ」と言われた事もあります。この時は、毎日死ぬ事ばかりを考えていました。それでも何とか踏みとどまっていたある日、母が私の目を見て「死ねと言うのか。死のうと思ったけれど、生きるのが楽しくて死にきれなかった」と言った事がありました。この時私は足下から支えていたものが崩れた様になって、母の首に手をかけてしまいました。その時に自分の限界を感じて、病院->施設介護となったのですが、今でもこの時の事は、慚愧の念に耐えません。

ただ、私がこの闇のなかを歩いていた時に、それこそ私等到底できない位にお母様に尽くされた方々が、罪に問われたり、最愛の者を残して自死されていかれました。私が今ここに残っているのか、その意味を自問していると、弱いと言う事が本当の強さなのではないのかと思えて仕方が無いのです。遅いと言う事も、自分に勇気がないと言う事もありません。

今、お母様と一緒に生きておられるのです。その事を大切にしてください。

ふっと、新しいブログをもう一つ立ち上げようと思った兄ちゃん。

午前中いっぱい、ばたばたとしながらも、記事を一本書き無事に?、この「つやちゃん日記」の別館とでも言う、兄ちゃんの独り言ブログを立ち上げました。

内容はと言うと、兄ちゃんに関する事を何でも書いて行きます。
と言っても、この数年間、不治の病に冒され、カメラが欲しいとのたうちまわっているので、カメラ関係です。(笑)

ですが、マニアックにならず、カメラやデジタルグッズの事など知らなくても、気軽に呼んでもらえるように心がけます。

ブログ名は、ずばり、

           「介護のちときどきカメラ」

ときどきカメラではなく、カメラの間に介護だろと言う突っ込みはなしにして、宜しくお願いします。

             [介護のちときどきカメラ ]

             http://carecamera.blog.*******.jp/

  • ******は shinobi と入力してください

 
url書こうとしたのですが、跳ね返されるので、このような形で



           

不定期更新になりますが、宜しくお願いいたします。



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 これは、私のブログへ来て下さる方の記事に対して、私の経験を基にコメントしようとしたものです。自分の世界に入った上に長くなったので改めて私の記事にしました。かなり感傷的ですがおつきあい願います。

 私は5階建ての市営住宅に住んでいます。(母も一緒に住んでいました)母が混乱期を迎えた頃、お風呂の水を張っていた事を忘れて、水浸し。当然下にも漏れ出しました。階下の住人が怒るのは当然なのですが、母の目の前で「ボケている!」と感情を丸出しにされました。母は「ごめんなさい。ごめんなさい」と悲しい顔をして謝っていました。私の方は謝りに行きたくても、母の目の前で言って欲しくない言葉を言われて、自分の怒りを抑えるのが精一杯。謝りに行く事は出来ませんでした。

 そしてしばらくすると、朝早くディに行かなくてはと思った母は、私が寝ている間に家を出て一階の階段の所で待っていて、なかなか来ないので家に戻ろうとして、部屋が分からなくなり、この階下の住人の部屋に入ろうとしました。そして私は「今日は、一回あんたに言わないといけない事がある!」「一緒にいればわかるだろう」「僕に言わせたら、管理してない、ほったらかしや!」「すぐに病院か施設に入れろ」再度怒鳴り込まれたのでした。

 当時の母は混乱期が始まったとは言え、要介護2。ケアマネとは相談していても、特養等の入所には2年はかかる状態。そのことを話すと、「ゆうずうがきかない」「役人みたいな事は言うな」と怒鳴られて。。。さらに「火事にでもなったら」と言われて、「その点はお風呂以外は全て電気をつかっている」と説明したら、火に油を注ぐ結果。さらにはお風呂のお水が溢れ出た時に謝りに行かなかった事にもふれ「あんたも非常識だ。菓子箱一つ持って来るのが常識だ」と。。。謝らなかった事は申しわけない事で、反省しています。それでも、感情に任せて言って良い言葉と悪い言葉があります。私はこの方の言葉の前に、自分の理性を保つのが精一杯で謝りに行く事はできませんでした。

 決して介護をしていないわけではなかったのです。今は胸をはって、一人で介護をしているなかでは、絶対に人から罵倒されるような事はしていない。その中で多少迷惑をかけたことはあったけれども、そこまで言われる事はなかったと言えますが、その時は落ち込んで、母がかわいそうで。。。母を守ってあげようと思い、母につききりの介護をはじめるようになりました。しかしこれは、私自身を自分の殻に閉じ込める結果となりました。

 当時、私の住んでいた県で認知症の奥様を介護されていた方が、使われなくなった火葬場で奥様とご自身に火をつけ焼身自殺をはかったり、京都では認知症のお母様を介護していた息子さんが失職し仕事も見つからず、生活保護を求めましたが申請もできず追いつめられて心中を図り、自分だけ一命を取りとめたと言う事件がありました。明日は我が身。そのような恐怖が私を押しつぶす日々を送っていました。

 このような私の精神状態を鏡の様に映し出した母は、昼夜逆転の度合いが激しくなり、睡眠薬と精神安定剤を処方してもらったのですが、副作用の方が強く現れてしまいました。せん妄と言う、意識混濁の状態になったのです。その中で「息子はどこ?」と私が目の前にいることがわからなくなったり、「死ねってか!死のうとしたけど、死にきれなかったんや!」と叫んだりしました。母の状態は認知症と薬の副作用のせい。その事はわかっていました。ですが私の方はもう正常な状態ではありませんでした。「死にたいのなら、そうさせてやる!」気がつくと、母の首に手をかけていたのです。母はそんな私の手を信じられないような力で振りほどき、「兄ちゃん助けて〜、この男に殺される!」と深々と降り積もる雪の深夜に部屋中を、狂気に陥った私から逃れるために悲しみと恐怖の涙を流して走り回りました。自分を守ってくれる息子がやって来るのを信じて。

 さらにこの頃母は、白内障の手術のために病院に入院しました。私は早朝から深夜まで母に付き添いました。深夜家に帰る時に、車で交差点を曲がった時にクラクションを鳴らされ、一言こうどなったのです。「馬鹿野郎!こちっは信号を確認してるんだ。ちゃんと赤だから交差点にはいったぞ!」と。。。私もとっくの昔に限界を超えていました。

 白内障の手術も無事に終えた母は、自宅に戻りました。しかし、混乱の度合いはさらに増し、深夜逆転のまま5分おきにトイレへ行ったり、疲れ切ってまともに母の目を見る事ができなくなった私に「そんな蔑んだ目で見ないで!」「自分でおかしくなっているのわかっているんや!」と心の底から振り絞るような声を出し、「こんなボケ婆さん。こうしてやる。こうしてやる」と、固く握りしめた拳で自分の頬を叩くと言う事を繰り返すようになっていました。この母の行動は私といる時だけではなく、ディサービスへ行っている時も頻繁に現れる様になったのです。私はこのような状況に全くなすすべがなく、母の通っていた病院へ相談したところ入院を提案され、母を入院させることにしました。もちろん当時は状態が好転したら、母には家に戻ってきてもらうつもりでいました。
 
 病院へと入院した母。入院した当初は、私がガラスの向こうのナースステーションにいるのを見ると、そのガラスを激しく叩くと言うような行動をとりましたが、すぐに落ち着きを取り戻してくれました。私が会いに行く度に、「これ私の息子!」と病院のスタッフの方々や新しくできたお友達に嬉々として話しかける様になったのです。「兄ちゃん助けて〜。この男に殺される」と恐怖を感じた私に、100%の信頼の笑顔で私を受け入れてくれたのです。母を守ろうとし狂気に陥った私。そんな私を、守られるはずの母が包み込んでくれたのでした。

 その後、母は何度か骨折し、私一人で在宅で介護をするのは無理な状態になりました。そして、そのようなうちに、何件か回って入所申請をしていた特養から入所の打診があったのです。それも一番母に合うだろうと思った所から。。。結局母は、在宅に戻る事無く施設へと入所しました。それでも皆さんがご存知のように、母は終の住処となる特養で穏やかに生活をしています。

 さて、このような経験をしてきて、私が常々思う事は次の通りです。

介護に携わっていない方へ
 周りに認知症の方や介護をされているご家族の方がおられたら、見守って下さい。そして決して、この方々を傷つけるような言葉を発しないで下さい。認知症になられた方々が、もしかしたら多少ご迷惑をかけることがあるかもしれません。それでも感情的になって叱らないで下さい。本人もどうして良いのかわからず戸惑っているのです。そしてあなたの言う一言で心に深い傷を持ってしまい、さらに混乱してしまうのです。そして介護家族の方に「ほったらかし」とか「病院へ入れろ」とか「施設に入れろ」とは言わないで下さい。知らない方から見ると、何もしていない様に映るかもしれませんが、介護家族はどうして良いのかわからない状態にいたり、良い方向へ持って行こうとして努力をしている最中なのです。認知症の介護とは、長い長い道のりを、時には迷いながら手探りで、試行錯誤しながら歩んで行く道のりなのです。感情にまかせた言葉。それは時として凶器になるのです。そしてその言葉で、介護家族は狂気へと追い込まれて行く事があるのです。そして、この病気は明日あなたの身じかに起こるかもしれない病気なのです。あなたの言葉が刃として、あなた自身に突き刺さるかもしれないのです。

介護中の方へ
 決して自分の殻に閉じこもらないで下さい。介護は介護する人が100人いたら100通りあります。絶対の介護はありません。完璧でなくて良いのです。そして、なにより休みを取って下さい。休みを取る事を後ろめたいとは思わないで下さい。介護は長丁場です。そして、介護をするあなたが倒れてしまっては、介護は成り立ちません。また在宅の介護が全てだとは思わないで下さい。在宅で最後まで看取られる方もおられます。それは並々ならぬご努力があります。しかし、みんながみんな出来る訳ではありません。特に少ない人数で介護をする場合、外の世界と隔絶されてしまいがちになります。すなると、あっという間に限界に達してしまいます。病院や施設等を利用して下さい。決して、それは介護を放棄した事にも、家族を見捨てた事にもなりません。あなたがあってこその介護なのです。

 そして私が今、母との時間を過ごしている中で、心の中にしっかりと据えている言葉があります。それはどのような言葉かと言うと。。。

           「生まれ変わっても、また母の子に生まれたい」

この言葉は、前述の京都で起きた事件の被告人となった息子さんが、法廷で述べた言葉です。この方は生活保護を受けられなかった事が直接事件の引き金となりましたが、社会福祉事務所での対応(言葉)で追い込まれて行ったのです。この言葉にお母様への愛情と、自分の手で殺めてしまった事への悲しみがどれほど込められているでしょうか!私は一線を越える事はありませんでした。そして、母は穏やかな表情で毎日過ごしています。だからこそ分かるのです。この言葉の重みが。。。

 人を追い込む事無く、そして追い込まれる事無く。それぞれの家族が、それぞれの介護の仕方を求めて行けるような社会になる事を、心の底から願っています。そして私はまた、母の笑い顔を見るために、母の元に通うのです。

 
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