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喜怒哀楽の「楽」
喜怒哀楽の表現を私達は怖れていると記しました。
喜には嫉妬を、怒には衝突を、哀には傷心を・・・
そして、この「楽」にさえも怖れをもっている。
それは、「予感」だ!
TBS『水戸黄門』のオープニングテーマで高らかに宣伝され擦り込まれている。
人生楽ありゃ苦もあるさ〜♪
そう、世の中は変化する。上がれば下がるのです。
これは易経からマキャヴェッリ、そしてマーフィーに至るまで
思想、宗教、哲学、民族、文明文化を越えて実感できるこの世の真理だ。
楽の後には必ず苦がひかえている。
まるで、自分の影を怖れるように、私達は「楽」の現状を怖れていたりする。
思いもかけないトラブル、アクシデント、厄災、裏切り・・・
が、故に様々な予防線を張っていたりする。まことに健気です。
ところが、
そういった考えがイメージがその最悪の事態を引き寄せていると
『ザ・シークレット』の引き寄せの法則では警告を発しています。
「夫が浮気をしませんように」と祈れば、本当に夫が浮気してしまう。
「明日6時に起きられますように」と祈れば、目が醒めれば10時半!
「ダイエットに失敗しませにょうに」と祈れば、失敗は確定。
否定的であってもマイナス思考はペケだと。
また、我慢も効果は薄い。
なんでこんな会社で、こんな相手と、こんな環境で・・・
それで疲弊して閉塞してひっくり返ってしまう人が実に多い。
困ったものですよね。
また、「楽」ってイメージも
個人主義の特化から「自分だけ」というのもあって、
それが故にか、ズルとか、堕落とか、エゴとか、
後ろめたさも付随しているようです。
根本的な解決策としては
この「楽」の在り方、考え方を見つめ直さなければいけない。
どういうのが、楽しいのか?
人間はどうしても比較する思考法に寄りかかってしまう。
苦るんでいる人を観て、その比較から「自分はまだマシだ」と楽を感じる。
その逆もありますが、こういった方法論には落とし穴があるものです。
否定はしませんが、絶対じゃないんだな。
「半額商品しか買えない」と嘆く人に、
「ルイちゃんをみなさい」といっても
「バカにしないでよ!」と逆ギレしたりする。
しかし、それはまたルイちゃんに失礼な話ではあると思うのだけれど、
なんにせよ、自分のことが精一杯ですから仕方がありません。
話を戻して、
どうもこの「楽」ってものは自身の外因的な環境や比較というよりも
しごく内面的な感情なのではないだろうか、と思ったりします。
体が楽しいというよりも心が楽しい。
つまり、セックスの快感は脳が感じるけれど脳も臓器なので体です。
旨いものを食べて楽しいのも舌とか、まあこれも脳だ。
豪邸に暮らすよりも、三畳一間の神田川で真木よう子と銭湯にいくのも嬉しい。
これは体か?心か?
その心は
精神と魂に分けられる。
それは、精神的に楽しい。というよりは
魂が楽しい。そんな感じかな。
精神は肉体と魂の周旋屋ですからね、意外といいかげんなのです。
あてにならない。
私達が正当な「楽」ってものを得るとは
体や精神の楽というよりも、己の魂が「楽しい〜」という状況なんだと思う。
えっ? それがわからない?
そんなことは自分で考えなさい。
自分のことです。
自分の魂に向き合うのだ。
これは自分にしかできないことであり、マニュアル本はないよ。
じゃないと、苦が近づいてきますよ。うひひひっ(誰だお前は?)
喜怒哀楽は一応これで最終回。
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