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愛、恋愛には心と体という抜き差しならない問題がある。
早い話が容姿の介在です。
若さ、美しさ、ですね。
この見かけに私達は惑わされる。
若くてスタイル抜群だと性格が悪くてもモテる現実があります。
それをフォローするとすれば、経済力と能力ぐらいです。
それを危惧して異を唱えたがプラトンだ。
このプラトニックラブの言い出しっぺのプラトンは
本能的なものを否定して理想的なものを追求しを訴えた。
「人間は現実よりも理想を求める」
そこにイデアなる永遠不滅が存在するとした。
しかし、ここでプラトンは大きな過ちを犯すのだ。
プラトニックラブは確かに存在するのですが、
それを提示するために心と体を分けてしまった。
図式でいうと
体<心
厳密にいうと体は心に支配されています。
よく、下半身(本能)には人格がないといいますが、あれは嘘。
心が東京本社とすれば、体は長崎支社です。
現代の私達は鎖国時代の幕末に生きている。愛の開国、文明開化は
なされていない。
下半身の独立性で「長崎が雨だった」と歌って濡れたからといって
日本全国が雨とも限らない。また、
江戸の仇を長崎で討つの諺を拡大解釈しているにすぎない。
かといって、長崎は愛の世界の唯一の門戸であります。
これを封印しちゃうところに不自由さが生じてしまうわけです。
プラトニックラブがだめというのではなく、
これによって肉体(本能・性)を区分してしまったのが痛恨のミスリードとなる。
正しい公式は、
心≧体
となる。
この定理の証は
【蓼食う虫も好き好き】
この諺の蓼(タデ)という苦みのある植物でもそれを好んで食べる虫のいる。
という意味です。類似の証として、
【デブ専】類似考察にはメガネフェチ、フケ専などがある。
【だめんず・うぉ〜か〜】男を見る目のない女≒男の趣味が悪い女の意。
アバタもえくぼ。ってことですね。
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