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デカルトの落とし穴



時代は一気に16世紀に飛びます。
この間、人類は様々な試行錯誤く繰り返します。
その結果、デカルトは懐疑することを第一と考える。
この疑う知性は現在も呪縛となって私達の足枷にもなっている。

つまり、愛さえも疑うのだ。

彼の目的はワタシも体?
彼女の目的はオレの金か?

その証として、オレオレ詐欺なんていう単純なコロッと騙される。
あれは被害者がボケ気味の老人だからじゃない。
愛するもの、大切なものを人質にするからだ。
それほどに、愛は冷静さを失うものなのです。

デカルトは疑うことで真実を見出そうとしました。
その理性的判断というプロセスで愛を立証してみたいと思います。

第一プロセス
たとえ世間が他人がなんといっても、自分が納得しないと絶対に認めない。
第二プロセス
様々な問題や疑惑を整理し理解しやすくするために細分化して考察する。
第三プロセス
その場合に単純で簡単なものから考察吟味に優先順位をつけて、核心の本丸に至る。
第四プロセス
最後に見落としはないかと確認チェックする。

念の入ったことで、結構なことだと思う。石橋を叩いて渡る思考法のようだ。しかしこれは試験のマニュアルのようでもあり、落とし穴がある。
それは、最終的にそれをジャッジするのは自分自身という点です。
そこから導き出される真実は個人の能力を超えることはない。

つまり、本人がそれで納得できれば「火もまた涼し」となる。
ましてや恋愛は盲目ですから・・・

思い込みの罠があるわけです。

いや、それでもいいのでしょう。世の中はすべて思い込みで動くものだ。
しかし、それを踏まえればデカルトの推奨する懐疑の考察は無力化するとも言える。

もうひとつ、問題を細分化するのは効率的なことですが、細分化しすぎて、
その問題の本質を見失ってしまうケースが多々あるものです。
これを「知の暴走」といいます。

例えば彼が他の女性の優しくしたとする。
それだけで浮気していると勘ぐる女性は多いものです。
下手すれば、それだけで話がこじれて破局ということもある。
えっ? 冷静な判断力?
そんなあ・・・(汗)
一番疑わしいのが私達自身ではないのでしょうか。
それに恋愛の場合はその冷静さを欠いている。
また、そこに冷静があるとしたら既にその恋愛は醒めているのかもしれない。

さすがにデカルトもその辺りを気にして
誠実なる「神」という存在を持ち出しました。
確かに私達は不完全な生き物だが、神を信じる心があるということは
必ず神が存在するとデカルトは考えました。
従って、神の延長線(性質)上にあればその判断は間違いない。とした。

なんとなく、キリスト教的な力業のような気もします。

というわけで、デカルトの懐疑の考察法はさほどの効果はないようです。
その証としては、
【人を見たら泥棒と思え】解説不要
【岡目八目】第三者は当事者よりも情勢が客観的によく判断できる。
【人生欲と道連れ】解説不要
【つい魔がさして・・・】過ちの動機


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与太郎
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