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この世の法則を提示して、愛にもその法則があるとしました。
じゃあこの世ってなに?
カントは時間と空間という枠組みから認識するというルールを拵えた。
そこからここでは本能について考えてみたいと思います。
所詮、人間は動物的な本能に逆らえないといわれたりする。
下半身に人格はないとか。
たとえば、男子諸君ならば始皇帝のように何千人という美女を獲て
酒池肉林のハーレムを夢見たりするものです。
しかし、現実にそうなったとしてはたしてそうするか?
「そりゃするよ」と即答する方はそれでもいいのです。
そこでハタと考える人がいたら続きを読んでみてください。
据え膳食わぬは男の恥といいますが、はたしてそう割り切れるのだろうか?
だとしたら何もわざわざ「恥」という言葉を持ち出して背
中を押す必要もないのではないか?
また、女性であっても白馬の王子様を夢見たりします。
けれども、アイドルに憧れてはいても実際にそのアイドルが目の前に現れて
ちょっとそこのシティーホテルでベッドインと言って、はいはいとついていくか?
なんとカントは戸惑うのではないかと考えた。
臆病? いえ、カントはそれを道徳の法則として、人間の尊厳としての
自由と考えました。
当然、する自由もある。しかし、しない自由もある。
つまり人間は本能だけで左右されるものではない。
本能的な欲求は存在します。しかし、それに対する抑制が働くわけです。
ここが他の動物と違うところです。
この世で善悪をジャッジするは至難の業です。
それは合理論では無理ともいえる。経験論でも無理。
独善に陥るのがオチですが、がしかし私達は理性や良心というもので
それをジャッジすることはできる。たとえそれが独善であっても。
人間は恋愛という不条理な行為を行う生き物です。
心理学等ではそれを本能と結びつけて考察しますが、
どうも合点がいかないことがいくつかある。
ひとつは本能としての種の保存。
男は種を撒き、女はそれを育てるという役割がある。
しかし、恋愛はそれを目的にするものではない。それはあくまでも結果でしかない。
種の保存が最大目的ならばもっと効率よくあるべきだ。
性的快楽というならば、これほどに感情に左右されることはないはずだ。
尊厳と自由
このカントの言い分にも一理はあると思うのです。
その証としては、
【人はパンのみにて生くるにあらず】新約聖書「マタイによる福音書」第4章
人間の基本的欲求には食欲・性欲・睡眠欲の三大欲求があげられるが、
内発的欲求として好奇欲(知的、活動的)や感情的な快不快に反応する情緒的動機や社会的欲求などもあげられる。
【武士は食うわねど高楊枝】
見栄というのも確かに存在はするが・・・
無論、本能自体を否定するものではありません。
たとえば、猿に自慰行為を教えると死ぬまでそれを続けるといわれます。
動物世界での発情期のオスは見境がない。メスは優勢遺伝にこだわりますが。
また、基本的に一夫多妻制でもあり、鳥類などは一夫一婦制でもある。
人間はどちらにもあたらない。ここには個人差があるけれど、いわゆる本能だけに支配されているわけではないの
証でもある。
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