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積み重さなれていく哲学という知の積み木。
そのなかでヘーゲルは古典的ギリシャ哲学に終止符を打ったとされる。
それは宇宙の秘密を解明したという。
正確にその解明法を発見したということです。それが弁証法だ。
では、その弁証法で愛の謎を解き明かすとすれば
まず「愛」を規定し、固定化し固執してみる。(1)
次に、その愛の規定に対する矛盾する規定して、愛を規定することが
片手落ちであることを認識する。(2)
二つの相反する愛の規定を総合的に判断して
その対象の完全な規定を理解する。(3)
この三段階の思考プロセスを弁証法というのですが、さっぱり解りませんね(汗)
ヘーゲルの弁証法はこの三段階のプロセスから一端解決させて、さらに
そこからの新たな矛盾を解決させていく作業を繰り返しいくそうです。
弁証法は濾過紙のようなもので、それを何度も繰り返すうちに
純正の真理に近づけるというものです。
では、その弁証法で愛の真実を解き明かしてみましょう!
(1)愛は素晴らしい。愛は地球を救う。人を愛することは素晴らしい。
(2)とはいっても、愛だけでは生きていけない。
お金がなければ生きてはいけないし、結婚したら誰でもかれでも愛せない。
好き嫌いもあるから誰でも彼でも愛せない!
と、ここまではスムーズですが、(3)の矛盾解決の段階でつまずいてしまう。
ただ、大上段に最初から画一的な愛の本丸を攻めようとするから
無理があるのかもしれません。もっと身近な個人的な愛で探ってみましょうか。
(1)正夫が好き。愛している。
(2)でも正夫は安月給のサラリーマン。一緒になっても大丈夫?
となって、(1)と(2)の対立が生まれて葛藤します。そして、
(3)子供ができるまでは夫婦共稼ぎでガンバルから大丈夫!
私達の愛は障害を乗り越えたわ。この愛は真実なのよ。
で、まずはメデタシメデタシです。真実の愛に一歩近づきました。
この後に、彼女は正夫のイビキや浮気疑惑、そして正夫のリストラなどと
自分の真実の愛の矛盾を弁証法で解決させて真実の愛を手に入れる。
という具合です。
参考になりますかあ?
とにかく、人間はトラブルやアクシデントがあってこそ、
それを(矛盾を)乗り越えようとして進歩する。
どこに進むのかというと真実、真理に近づけるのだとヘーゲルは考えた。
なるほど、障害のある恋愛ほど萌えるといいますものね。
人間は常に満たされる平穏を求めています。が、それは逆に退屈にも変わる。
人間が頭脳をフル回転させて行動を起こせるのはピンチのときです。
それはプレッシャーだったりストレスだったりトラブルやアクシデントとして
私達に訪れる。これは誰も避けられるものではない。
そういう意味で、恋愛はまさにピンチのパンドラの箱だ。
なんでそんな厄介なものを私達は欲するのでしょうか?
ヘーゲルは物質の正体は「重さ」であるが、
人間の精神の実態・本質は「自由」であると言い切ります。
すべては自由によって成り立っていて、そのために行動しているのだと。
ここにも「自由」というキーワードが登場しました。
前項で人間が本能的欲求だけでは動かないとしましたが、
その人間のみにインプットされた知的本能があるとすれば、それは自由の渇望であるのではないか。
これが人間の行動原理の目的になっている。
ということは、恋愛もまた自由を求める手段なのではないかと
仮定してみるのです。
えっ?なんで? 恋愛は束縛でもあって、結婚はまさにそれではないか!
と異論を唱える方々もいるでしょう。
結婚は制度ですからここではスルーしますが、
恋愛は自由へのパスポートであると考えられなくもない。
つまり、この堂々巡りのような弁証法をどこまで続けるのか、という点です。
ここにも最終段階、決着があるといいます。
そのゴールは「和解と宥和」なのだと。
人間は対立しながらも(他者や問題、矛盾などに)
お互いを赦しあうにところに到達するのだといいます。
これを相互認証という。
ここに神が存在する。そこに自由があり、人間は自由によって解放される。
人間の究極の欲求は解放されたいのだ!
つまり、人間の生きる目的は自由である。
ではなぜ恋愛が自由を獲るためのパスポートなのか?
それは、愛するもの存在が自己の封印を解いてくれるからです。
自分のことをほおっておいておける熱中や熱狂がそこにあるからだ。
私達を不自由にしている要因は、自分のことを第一として考えてしまう
生物生存の摂理にほかならない。
生きるためという宿命に私達は縛られている。
それを解き放つのは熱狂という刺激なのです。
恋愛にはそれがある。
その証としては
【死んでもいい】
明治期に西洋から入ってきた「Love」という外来語をどう訳すか?
日本人は苦心したすえに「愛」という言葉に置き換えた。
それがまだ普及する前に、知識人たちの間でそれを自分流にどう訳すかが
座興のクイズとなっていた。夏目漱石は「月が綺麗ですね」と訳しましたが、
二葉亭四迷は「死んでもいい」といった。
愛には熱狂がある。それは自由に向かっている。
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