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中国人友人の家に招かれ久々の家庭料理に舌鼓。
彼との付き合いは約3年。
ここに越してきてからのはじまり。
きっかけは家庭に据え置きの飲料水。
もともとあった飲料水機に貼られてあった飲料水店の電話番号。
なんと言っても、いの一番に必要なのは「水」だから。
だからすぐに電話をしたのが始まりってわけ。
人を信用するっていうのは、そうすぐにはできないよね。
まして異国の地なんだから。
だから、
彼が水を運んできた時、何の話もなく、
ただ、金を払ってのそれだけだった。
2年半を過ぎてからの
ある時、今日は話をしてみようと思っていたから、
「今日、時間が有れば一緒に食事でもしませんか?」って、言ってみたら、
「8時すぎならだいじょうぶです。」と中国語で。
何となくびっくりした顔つきと、ホントですか?という心持が入り交ざった不安げな
顔つきを向けていた。
僕は当然その様なことは想定内だったから、何も慌てなかった。
彼とて逆にそうだと腹の中では分かっているようだった。
彼との最初の食事から本当に打ち解けた心の話ができるようになった。
そんなこんなで時が過ぎ、ある時、彼の家に行きたいと申し出たら、
「本当に来てくれますか?」と言うので
「お邪魔してもいいですか?」と念をおしたら、
彼は「私の面子がたつし、とても嬉しい」と感激振りをアピールした。
庶民生活の一端を担っている彼の家庭での生活ぶりを観測するのも
僕にとってはとても貴重な社会勉強。
彼は午後8時に仕事が終わり、その足で私を迎えにきてくれた。
タクシーで彼の家に向かった。
7〜8分で到着。
案内されて家の中に入った。
その瞬間、彼の家庭の温かさが瞬時にして伝わってきた。
物事何でも同じ。
積み重ねの中で初めてその家庭のニオイ、カラー、そして雰囲気が養われる。
一朝一夕で事は成しえない。
まだビールを一口も含まないまま、
この温かい家庭の雰囲気に酔ってしまったようだった。
日本では家族がそろって夕食をとる家庭は以前よりずいぶんと少なくなってしまった。
それが当り前と考える子どもも多くなってきている。
家庭、家族の本質をあえて捨てざるを得ない日本の社会、
孤独化していく子どもたちの正視眼するその先には
殺伐とした砂漠の世界しか目に留まらないのが正しい見解かもしれない。
彼の奥さんが作ってくれた東北料理の味がとてつもなくおいしかったのは、
奥さんを気遣う彼の心と娘に与える彼の愛情の深さ、
それらすべての相乗効果がそういう結果をもたらしているのだろうと思った。
どんな家でもいい、どんなテーブルでもいい、どんな椅子でもいい、
どんな皿でも、どんなコップでも、どんな箸でも・・・・・。
本当にたくさん話をしたし、たくさん笑ったし、・・・・
何はともあれ
気さくな気持ちになれることっていうのが
実はホント!大事だと思う。
それが中国や他の外国もしかり。
言葉を超えた心と心のコミュニケーション。
ETと同じだね。
僕はこれからも一番大事にしたいと思っている。
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