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スタッフの田舎を訪れる。
彼女の田舎は、農家である。
大連市内から、車で一時間余り。
彼女の実家の周りをひとり散策する。
周りには、何もない。
トウモロコシを収穫し終えた畑だけが
一面に広がる。
小一時間散策した後、
彼女の実家に戻ると彼女の母親と姉が昼食の用意をしていた。
“いつもはこんなに作らない筈?”
のたくさんの素朴な家庭料理。
もちろん野菜から肉に至るまで自分の家で取れた物である。
暖かい気持ちに包まれる。
いつも接待でエビやらカニやらアワビを食べている私にとって、
こんな料理が食べたかったと気付かせられる。
収穫したトウモロコシの実を取ったあとの
トウモロコシの芯や根を燃やし、
炒めて作った料理の数々、モノを無駄にしない。
これが本当のエコなんだな なんて、しみじみ思う。
彼女の両親は、素朴な人。
今まで、言葉にならないほど苦労してきたことが、
顔に
手に
にじみ出ている。
このところ、忙しさに任せ、
いろんなことを忘れかけている私にとって、
思うことの多い日であった。
中国の田舎は、日本のそれと違って、
何もない。
本当に何もないのである。
就職のチャンスさえもない。
だから、現金収入もわずかである。
田舎の学校を卒業した彼女達が、都市に出てきたところで、
工場で働くのがやっと。
オフィスの事務職なんかに就けることなど、
ゼロに等しい。
どんなに能力があろうとも、
本人がどんなにがんばりたいと思っても、
チャンスは、ゼロに等しい。
中国には、都市生まれの高学歴の人間でも
仕事に就けなくて、何年もブラブラしているのが、
統計できないほど、たくさんいるのだ。
そんな全く何もない状況から考えれば、
どんな辛くて苦しい仕事でも、寮に数人で泊まろうが、
とにかく何でも我慢できるのかも知れない。
自らがこの現実を目の当たりにした時、
甘ったれている自らを思うと、
非常に心が苦しくなるのである。
自分は、
恵まれている。
恵まれ過ぎている。
のである。
何かがないと出来ないとか、
自分の専門外だとか、
条件がどうだとか、
それは、甘えきった自分を更に甘やかせ、
自分の“やらない自分”から逃れるために
“やれない自分” に
理由を無理に作って、
自分をごまかす言葉に過ぎないと強く思うのである。
私は、他人はどうであろうと、
私自身が、自らを正面から見続けることだけが、
自分の生きる道だと強く感じるのであった。
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タンピン大連 dl_keika@ヤフーメール
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