陀武須の鉄道模型

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去る2014年11月9日(日)、只見線の不通区間である会津川口〜只見間の鉄橋の状況を実際に見てみょうと仙台の後輩Y君、郡山の後輩T君、そして私の3人で東山温泉の宿を出発。地元のT君がガイドを兼ねて、彼の車の機動性の良さもあって会津坂下付近でC11の客車列車に追いつき、先回りして会津坂本-会津柳津間の田圃で狙うことにしました。既に数台の他県ナンバー車が駐車!、我々も急いで場所取りです。やがて通過予定時刻を過ぎても遠くに汽笛は聞こえるものの姿は見えず。待つこと更に20分・・・・。C11325は3両のブドウ色の客車を牽いてやってきました。(会津坂本を出たあたりで空転を起こして遅れたようです。この時期は落葉が多く、また今日のような霧雨ではレールは滑り易くなっています)


イメージ 1

会津坂本-会津柳津間を行くC11325牽引の快速SL只見線紅葉号
昭和44年の夏、高校鉄研の仲間と3人でテントを担いで只見線撮影行をした際にはこれと同じ325号に牽く5両の客車に乗ったのを思い出しますが。この時の325号機は戦時型ドームだったように記憶しています。また客車も旧オロ42格下げのオハ41形も入っていました。
その後も昭和49年の只見線蒸気機関車廃止前の昭和47年頃の客車列車廃止までには何回か乗りましたが常に5両のブドウ色の61系客車に統一されていましたのでブドー色の3両編成が当時の姿を忍ばせてくれます。(こんな山岳急勾配区間でもC11はオハ級5両を牽引していました)


イメージ 2

会津水沼〜会津川口間での後追い写真。霧雨の降る寒い中なので蒸気(排気)は白く良く出ています。


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会津水沼駅〜会津中川駅間の第4只見川橋梁を行くC11。国道直下の鉄橋を正面から狙うのが昔からこの場所での定番ですが、駐車スペースは既に占領され。国道にも片側を塞ぐ様に駐車していて仕方なく、遠景になりますが、国道の鉄橋上から写しました。


イメージ 4

本名駅
レールは錆びて雑草が群れ、3年の休止期間を物語る。


イメージ 5

不通区間最初の被害鉄橋 本名駅の会津若松寄りにある第5只見川橋梁。
若松側の護岸が崩壊しトラス橋への取り付け部分のガーター桁とアバットが欠落している。災害後3年を経過しているが鉄道部分を除いて国土交通省所管部分(一級河川なので)は真新しいコンクリート擁壁が完成している。


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同じ第5只見川橋梁の崩落部分の写真ですが鉄橋の延長線部分として、かつて在ったコンクリートアバットとガーター桁を想像していただきたい。


イメージ 7

本名駅の只見寄りにある第6只見川橋梁の崩落部分の写真。


イメージ 8

第6只見川橋梁。
残ったガーター桁部分を対岸のトンネル側から撮影。残された橋脚の段差から崩落した上路トラスの大きさがわかるでしょう。

3年前の大雨でダム崩壊を防ぐ為、全放水を始めたことでダム直下の上路トラス橋が押し流され崩落した。(上路トラス下端部分は低く。放水の水流が直接衝突した?)


イメージ 9

対岸の本名トンネル入り口付近の写真。
中央のコンクリート橋?の先には何も無い。
思い起こせば45年前に3人でこのトンネルを灯かり無しで歩いて抜けたことがあるんです。途中でC11の貨物列車が来て、側溝に伏せてやり過ごしましたが、蒸気の熱気と煙で何も見えず5分くらい経ってやっと向こう側の出口の明かりがぼんやりと見えてきた時、『助かった!』と正直に思いました。これ以来こんな事はしていません。

イメージ 10

崩落したトラス橋の一部が水路から姿を見せています。木の枝が邪魔で判別が困難ですが、これより一歩でも先へは危険な急斜面の為、近づけませんのでご容赦を。

イメージ 11

参考写真 水害前の本名発電所。(東北電力HPより転載2005年撮影)
画面左側に健在な頃の第6只見川橋梁の巨大な上路トラス橋が見える。


★★陀武須の一言薀蓄:
平成23年7月30日の新潟・福島集中豪雨により、会津川口 から大白川間が不通となった只見線ですが大白川〜只見間は復旧したものの災害後3年を経た今も会津川口〜只見間は復旧のメドが立っていません。この区間は奇しくも電源開発株式会社の手に拠って『田子倉発電所建設用専用鉄道』として昭和31年に完成し地元の強い陳情で昭和38年に国鉄線に編入された区間であり、工期短縮と速成もあって所謂国鉄の建設規定とは異なる規格や工法も取り入れられて作られました。この事が復旧工事への影響が無いとは言い切れず、今後の国、県、沿線市町村の復旧に対する援助額との兼ね合いもあり、ほとんど手をを付けられていない状況なのだと陀武須は思うのです。
只見線は線路規格も色々在って会津若松〜会津坂下は丙線、会津川口までは路盤は丙線規格ながら道床とレールは簡易線並み、そして只見から先、田子倉ダム下までの専用鉄道部分は国鉄規格外の専用鉄道規定で作られています。(現在は強化されている)只見〜田子倉ダム下の約7kmは今もスノーシェッドが在る廃線跡になっており、しかもダム堰直下にはかつてのターンテーブルの跡が丸い貯水池になって残っています。今の大白川へと続く只見線は只見駅からすぐに勾配区間となって旧田子倉駅(最近廃止されました)までのダムの堰の高さ110m分を含む高さを5.5kmのトンネルで抜けています。会津川口〜只見間は休止中でバス代行(なんとマイクロバス)ですが小出〜只見間は直通が日に3本と従前どおりキハ40形で運行されています。★

★★★昭和45年夏休みにテントを張って自炊しながら同級生3人で過ごした数日。
白黒写真ですが、未だ只見が終点だった会津線(当時は只見〜会津若松〜滝之原間が会津線でした)の光景を近いうちにご紹介しましょう。

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コキ50000形等コンテナ車16両(換算800トン)編成デビュー 1/45 Oゲージ

 全16両編成を運転する機会が無く更新出来ませんでしたが、去る4月26(土)〜27(日)の2日間、『静岡トレインフェスタ』が東静岡駅まえ前のグランシップで行なわれ、我が日本O
番鉄道クラブ(JORC)も毎年参加しており、今回も例年同様大型エンドレス(複線)を敷設しました。
 但しヤード長から機関車を含め20m級11両しか収容出来ませんので、本線上でプラス5両の連結を行なうこととなりました。

イメージ 1

DD51に牽引されてヤードから本線に出て来るコンテナ列車

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EF81に牽かれた16両のコキ。
前パンタのEF81に牽引させると日本海縦貫線の北陸本線か奥羽本線か? バックの風景が『海』ならかなり似合いそうです。

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DD51で牽かせると北海道の雰囲気が出てきます。(実車は重連でしたが)

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編成の途中から後部を移しましたが。霞んでしまって(本当はピントが合ってない)後部は見えません。
16両でも実車換算ではまだ800トン列車です。東海道本線の換算1200トン1300トンの列車は22〜24両。とてつもない長さです。

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中間から後部を見てやっとはっきりと確認出来ます。

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後部中間部付近から先頭を見てみました。

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機関車次位のコキです。折り帰し用に後部標識反射板を付けています。

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中間部のJRF10トンコンテナ3個積載中のコキ50000形

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中間部の西濃運輸10トンコンテナ3個積載中のコキ50000形

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JRFの新旧5トンコンテナ4個と旧国鉄冷蔵5トンコンテナ1個積載のコキ50000形
国鉄時代末期に5トンコンテナは大型化されましたが、JRFによって新規に製作されたコンテナより高さが低いままですので低く作りました。
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TR63形台車を履いたコキ60000形 コキ5500形の車体延長改造でコキ50000不足から現れた形式です。台車以外にはデッキ手摺の下半分に板が貼られています。

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会場ホール2階の客席から我がO番クラブのエンドレスを見下ろしました。丁度、コキ16両が走行中です。

★★陀武須の一言薀蓄:
現在の貨物列車はコンテナ列車です。カラフルな姿や色は全てがコキに載った『箱』なのですがこれが列車のカラフルな姿を現していることは私のような『貨車』好きには無視出来ないものがあります。武蔵野線で新形機の牽く高速コンテナ列車の軽快な走行音を聞くと今また貨物列車の新しい魅力を感じます。模型でもOゲージの大きさになると紙と木のコキでも十分な重さがあり、レールジョイントを刻む音はかなりの実感味が出ています。

コンテナ列車は未だ不満足な点がありますが、これで改装を終えます。中断していた化製品タンク車の製作再開が待っています。コンテナ作業中に発注していたインレタも届きました。次回はタキ25000形かタキ18600形をご紹介出来そうです。★

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フレートライナー準備中! 1/45 0ゲージ

 ひょんな事から友人作所有のOゲージコキ50000形高速コンテナ貨車が私、陀武須宅へ送られて来ました。全16両の内の第一陣の8両でした。
 この後、残り8両が近々に届く事になっています。譲渡では無く、当方での管理・保管という事ににしましたが、高めの車高の低下とプラ成型台車ボルスターへの1mm厚8mm幅真鍮板の補強(送られて来た時点で既に3両にボルスター折損が見られました。)を全車に行なっています。
 TR223台車は友人のプラスチック流し込み成型で実車同様、別体のコロ軸箱はクルクルと廻ります(鉛鋳造製です。)

 画像を良〜く見ていただくとコンテナ側面の凹凸ディテールは見る角度によって影が変わるはずですが、影は動きません。実はこれは実物コンテナの写真を貼り付けた『箱』なのです。これは某大手私鉄勤務でJR貨物好きの別の友人にお願いして新鶴見機関区に足繁く通って撮影して頂いたデータをこのコンテナ製作の友人に私経由で送り作成した物です。某大手私鉄の友人は既に10年程前の『トレイン誌』にHO(1/80)の記事を発表しており、当時この記事は大喝采を浴びました。

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 DD51が7両のコンテナ車を牽いて快走中。
陀武須所属の日本O番鉄道クラブ(JORC)の新年例会にて常設レイアウトにて撮影。

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 最後部を写す。
未だテールマーク(赤色反射円板)は付けていません。・・・暫定7両編成ですから。

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 JR貨物ブルーコンテナを中心に積載した1号車(5トンコンテナ×5個積載。)
7両全てコキ50000本体は木の板と角材で組んで断面に紙の帯材を張りつけた構造です。

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 全通と下関通運他の5トンコンテナ5個積載の2号車。
7両全て車高が高いのでフレーム(木の角材)の内側の車輪フランジが当たる部分を回転ツールで削り落とし、台車の回転を可能とし、台車側枠とフレームとの隙間を小さくしてあります。

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 留萌通運の5トンコンテナ他5トンコンテナ5個積載の3号車。
全車ボルスターはプラ製側枠と同一の材料で折損が見られたので1mm圧8mm幅真鍮帯材をボルスター上部前面に貼り付けて補強してあります。

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 国鉄時代からのC21形コンテナとJOT(日本石油輸送)、JR貨物コンテナ混合5個積載の4号車。

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 JRブルーコンテナ5個積載の5号車。
TR223台車はプラスチック樹脂の流し込みで作られており、車軸は側枠を貫通し、軸端の密封式コロ軸受け(おむすび)は鉛鋳造で軸端に差込接着されてクルクル廻ります。

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 10トンコンテナ3個積載の7号車。

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 日通10トンコンテナ3個積載の8号車。

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 牽引機DD51
本来は製作中のまま数年間中断中の20系寝台特急用でしたが、暫定的にコンテナ特急牽引の任に付いています。ムサシノモデル製Ojゲージの製品をOゲージに改軌した物です。今回の試運転ではコンテナ車16両編成は楽々牽引可能との結論を得ました。

★★陀武須の一言薀蓄:
飛び入り登場でタンク車工作記事はまたもや中断!暫しお待ちください。
今回移籍してきたコンテナはJR貨物になってからの物で実物画像撮影の時期も平成7年頃と思われます。未だ青いコキ100系も出始めで、国鉄時代からの赤茶色のコキ50000が主流の時代でありました。年々新型コンテナが登場していますので、年代を区切って平成5年頃の編成として楽しむのが妥当かと考えます。私、陀武須的には国鉄C20、C21形コンテナのズラリと並ぶ『フレートライナー』あたりがすきなんですが。★

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続々 竣工! タキ300形濃硫酸専用30トン積タンク車 1/45 Oゲージ

前々回に一部未完成のままご紹介したタキ300形が細部の工作を終え、塗装、レタリング、ウェザリングを終えて漸く完成・竣工となりました。

前々回の記事:続タンク車を作る。(化成品タンク車1) ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/dmf31zs/66187346.html

2007年6月の記事:
0ゲージ(1/45)タンク車3種:「木の丸棒」で0ゲージのタンク車を作ろう編
http://blogs.yahoo.co.jp/dmf31zs/50088183.html

の2編の過去記事をご覧いただければ面白みも沸いてくるかと思います。

タキ300形タンク車は「濃硫酸専用」の車と「濃硫酸及び発煙硫酸専用」の車がありますが荷重は同じ30トンです。
今回は日本鉱業株式会社所有の「濃硫酸及び発煙硫酸専用」タキ300形(4398)を製作しました。

実車のタキ300形は昭和7年〜昭和51年の長期間に約480両が多数のメーカーで作られておりますので時代を経る毎に設計変更やメーカーの特色が出て、なかなか多彩な外観を持っています。
基本的には高比重の積荷の為、タム並みのタンク体ながらボギー車で荷重は30トンに及びます。従ってボギー車ながら2軸有蓋車ワム80000形並の短い車長が特徴です。また、戦前製の車はTR20形アーチバー台車(長軸)を履いています。

イメージ 1

タキ300形(コタキ4398)30トン積濃硫酸及び発煙硫酸専用タンク車
ハンドブレーキの有るデッキ側から見た外観
日本鉱業株式会社の社紋は簡単な、所謂、『蛇の目』なので手書きし、会社名や「濃硫酸及び発煙硫酸専用」の標記はPC作成しシール用紙に打ち出した物を貼り付けています。

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拡大画像です。

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ハンドブレーキの無いデッキ側(反対側)から見た外観
ウェザリングは鋳鉄ブレーキシューの粉が降り積もった状態をリキテックス(アクリル絵の具)で表現し、最後にグンゼの艶消しトップコートを吹いてあります。

イメージ 4

拡大画像です。

イメージ 5

台車枠です。
上がTR20形台車をロストワックス複製する為の元型製作用の米国型貨車のアーチバー台車枠です。枕バネを板バネにし、枕バネ下部にU字形の補強を付け、軸箱蓋を日本型に加工してTR20形らしく見せます。
下はロストワックス複製したTR41形台車です。愈愈手持ちのTR41が無くなり、また市場からも姿を消してしまいましたので友人の分も含め相当数を作成しました。これで当分の間は大丈夫ですです。
但し、元型より2%程縮みますが元々小型の台車ですので良しとしました。

★★陀武須の一言薀蓄:
少しづつですがスローペースで作り続けています。化成品タンク車は積荷に拠る形態変化が面白く、また同形式でも全く形態の違う車もあります。黄色や白、グレーの車も作りたいと思っています。★

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タンク車を作る(化成品タンク車)一部完成とオマケ 1/45 Oゲージ

 前回。製作中のタンク車2両を途中経過でご紹介しましたが、このうちタキ2600形カセイソーダ液専用タンク車が完成しましたのでUpします。また旧作のキット組み立てのタキ3000型ガソリン専用タンク車もキットが初期の国鉄所有車タイプで少数派でしたのでこの度。一般的な側梁付きタイプに更新改造しましたので『オマケ』としてご紹介します。


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タキ2600形カセイソーダ液専用タンク車 ハンドブレーキ側
タキ2600形は昭和28〜41年に約360両が製作された30トン積カセイソーダ液専用のタンク車で他形式からの改造車も多数あります。内側にゴムライニングを施っした鋼鉄製タンクを厚さ75mmの断熱材(古くは獣毛、後にウレタンやグラスウール)を巻き、薄鋼板のキセで覆われています。私たちが見ているのはこの薄鋼板で中の実際のタンクは見えません。

インレタはHO用を自家用で拡大外注した物。また元インレタに無い専用種別、会社名は白黒反転させてシール用紙に印刷した物を使用しています。


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非ハンドブレーキ側(反対側)
日本曹達の社紋である『ウサギのマーク』はCADの得意な友人の「鍍金職人さん」からデ−タ提供して頂いた物をシール用紙に打ち出しました。

台枠部分を中心にブレーキの鉄粉が降り積もった錆をウェザリング(リキテックス=アクリル絵の具)で表現。


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ハンドブレーキ側デッキにピントを合わせて。
鏡板中央の突起部分はタンク内への作業出入りの為の蓋をボルト留めした部分を断熱材を挟んでカバーを付けたものです。


イメージ 4

オマケ画像のタキ3000型ガソリン専用タンク車 ハンドブレーキ側

タキ3000型は30トン積ガソリン専用タンク車で戦後の昭和24年から製作されました。最初の50両は国鉄所有車で側梁がありません。51両目から私有タンク車として作られ昭和39年までに総計1,500両余りが製作されています。

以前に熊田貿易で発売されたタキ3000型は初期の国鉄所有50両で側梁の無い珍奇なグループでしたので、今回、更新改造して側梁の有る一般的で代表的な私有タイプのタキ3000に改造しました。ドーム周りの手摺も追加してあります。
ガソリン専用タンク車が何故に・・・と思われるでしょうが、ガソリンは薬品原料としても使用されています。
※バックに写るのは私ダブス製作の旧作、九州石炭列車セラ編成。

★★陀武須の一言薀蓄:
実車は車扱い貨物列車からコンテナ貨車に載る専用コンテナに移行してしまいましたが、私の頭には化成品貨車で編成された化学工場行きの貨物列車が健在です。旧作の黄色い液化塩素や銀色の濃硝酸、白の液化アンモニアの専用貨車と手を繋いで走っています。未だ塗装に至っていないタキ300形濃硫酸専用タンク車の他、現在、戦前製タキ300形(TR20付き)、他数両を製作中ですので、完成次第、順次、ご紹介していく予定です。★

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