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中村重工業同志どの
こんなもんでいいですかな?
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世界の艦船解説
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・・・ちなみに、1941年第二次大戦のライン演習作戦でドイツ第三帝国海軍の戦艦「ビスマルク」をカテガット海峡で視認しているゴトランドですが。
1/1250ではこんなサイズです。
参考までに
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先週末は観艦式ということでみなさんミリタリーにいい意味で十分に浸かった濃い一日をお過ごしになったことでしょうね。
お仕事ですが、どーやら繁忙期に入ったようでだんだんとお疲れになってまいりました(笑)
こんばんは、くじら座元帥であります!
働けるっていいことですねー
なに?「働いたら負け」?
誰ですかそんなこと言っているのは!
働くことによって有意義を見出し、働くことによって疲れることも人生には必要なことですよ?
…とはいえ、働き過ぎは良くはありませんね。
日本語は難しいですが・・・「程々の」という言葉があるように、「良き加減に」お仕事をすることと致しましょうね。
仕事が嫌になったわけでは・・・ ハハハハハハ… ![]() ちまたではハイスペックシリーズのF-22ラプターが大好評を博しているようでありますね。
しかしながら吾輩のもっぱらな視点は極度の財政難によって購入ができていない「艦船キットコレクションvol.7 エンガノ岬沖海戦」の伊勢・日向にあります。
1/2000スケールながら精密な造形で人気を博しているというのです。
伊勢・日向のウォーターラインバージョンは、呉に帰還後に浮き砲台として活用されるための偽装を施した姿という塗装になっています。
この姿があんまり好評でないそうでして、通常塗装のフルハルタイプを買おうと、わずか5グラムの差を見分け(いや、計り分け?)てまでフルハルを買い。自作のウォーターラインハルを貼り付けて愉しむという酔狂な方たちがいるようでもあります
で、わが海軍工廠は・・・と言いますと。
極度の財政難によるため現在建造はある程度行っているものの、塗料がなくなるとストップ。
接着剤がなくなるとストップ
・・・という状況となっています(汗)
しかしある程度の建造は行っていますので安心して下されよー
さて、「本題」とまいりますかね。
「航空戦艦」
それは航空母艦の「補佐」の役割を持ちつつ、単独遊撃も可能な対水上戦力と陸上砲撃戦能力を併せ持つ艦船のこと。
※大東亜戦争中の伊勢型は航空母艦の喪失により「やむなく他艦種から航空母艦への改造」された艦であった。
戦前・大戦中・戦後とも正式な「航空戦艦」が登場したことは一度もなく、唯一実戦投入された「伊勢型航空戦艦」も戦艦からの改造であり、公式艦種種別も「戦艦」であった。
ちなみに、近年アメリカ海軍の作戦指揮書などに「伊勢型」のことを「ハイブリッド・キャリアー」として紹介している文面などが見つかったことにより、世界で最初の「ハイブリッドキャリアー」なのではないか?という研究が始まっているという。
ワシントン海軍軍縮条約ではおもに「戦艦」の新規建造を禁止することと、航空母艦に搭載する備砲(赤城だと舷側(砲廊式)20センチ単装砲)も搭載を規制するという内容となっていたために、その条約内に含まれていない単艦で砲撃・航空攻撃が可能な「航空戦艦」を建造しようと各国検討を始めたものの…
結局は前述した「伊勢型」のみが竣工した。
戦後になってからは、レーガン大統領閣下の600隻艦隊化計画によりアメリカのアイオワ級戦艦がハリアー複数機と対潜哨戒ヘリを搭載する計画案もあったが現実のものとはならなかった。
どこぞのプラモデルでは製品化されたみたいですけどねー♪
これに対して新造時から「航空戦力を有する艦船」があった。
それが「航空巡洋艦」である。
「航空巡洋艦」はコンセプトこそ航空戦艦と同じであるものの艦が小さいがゆえに現実に建造され、敵水上・潜水艦隊や航空偵察などに使用された
巡洋艦は艦も基準で5000t〜8000t弱までで、砲・雷・航空機を運用するに適した艦型であったことから航空施設を有する巡洋艦として計画された。
現在は航空母艦の補助としての役割から「強襲揚陸艦」が航空巡洋艦の役割を担っていますが・・・
「巡洋艦」と名がつくからにはそれ相応の火力を持っていないと80年続く「航空巡洋艦」の名前と栄誉が傷つくのではないでしょうかね?
海上自衛隊にも航空巡洋艦の名残とも言える艦艇がまだ存在していまして…
ご存知だとは思いますがw
ええ、そうですよ?
ご存知!「くらま」
・・・であります。
正確にはカナダのイロクォイ級ヘリコプター駆逐艦(現:ミサイル駆逐艦 1969年竣工)の系譜に連ねているので駆逐艦の分類に入るのですが。
姿形は第2次大戦当時の航空巡洋艦では十分に通じる艦影ではないでしょうか
「いずも」は20mmCIWSとseaRAMだけなので「巡洋艦」とも「駆逐艦」とも。 ましてやイタリア海軍の軽空母「ジュゼッペ・ガリバルディ」より貧弱な武装なので「航空巡洋艦」の中には入らないのではないかと思います。
「ヘリ空母」としてならば話は別になりますが…
で、気になる疑問がひとつ。
「航空母艦」と「航空巡洋艦」の違いは何か? ということであります。
「空母」は攻撃型艦載機・救難機・電子戦機・偵察機などを多数保有しそれらを戦力化する母艦。
・・・かなぁ?
別に沿岸海域での戦闘だったらドイツ空軍みたいに沿岸に基地を作れば空母なんていらないし。
でも矛盾が生じることもある。
「イタリア海軍」である 彼らは軽空母と称される航空打撃艦隊を2隻保有している
沿岸国なのに空母を保有しているのだ。
それを言えばイギリスのインヴィンシブル級やクィーンエリザベス級もそうなのだが・・・
「航空巡洋艦」は対地砲撃・対空砲撃・対水上砲撃・対水上水中雷撃などの汎用攻撃力に加え、水上機を保有することにより輸送連絡任務や偵察活動を支援し艦隊全体の索敵ネットワークの構築と収集を行う戦略的に価値のある艦艇のこと。
・・・でしょうかねぇ?
しかしその航空巡洋艦もロシア海軍の「重航空巡洋艦」と称している事実上の空母「アドミラル・クヅネツォフ」のみですからねー
航空巡洋艦が航空巡洋艦として「ある」存在意義は失われたのかもしれませんね・・・
さて、現代にも通じる航空機を搭載する巡洋艦の始祖は一体何という艦であったか。
今回の記事のポイントはそこです。
ではご紹介しましょう!
大日本帝国海軍よりも先に建造した世界最初の「航空巡洋艦」
「ゴトランド」を。
当時の写真がなくて画で紹介しているわけではありませんよ?
アングルの問題であります。
1930年起工
1934年就役
1960年退役
基準排水量:4700t
満載排水量:5550t
全長:134.8 m
全幅:15.4 m
吃水:5.5 m
機関:重油専焼水管缶4基
+ギヤードタービン2基
軸数:2軸
出力:33000英馬力
速力:28ノット
乗員:約470 名
兵装:ボフォース Model 1930 15.2cm(55口径)連装砲2基
同15.2cm単装砲2基
ボフォース Model 1928 7.5cm(60口径))連装高角砲1基
同単装高角砲2基
25mm連装機銃1基
25mm単装機銃4基
8mm単装機銃4基
53.3cm三連装魚雷発射管2基
機雷80〜100個搭載可能
(1944年:ボフォース Model 1930 15.2cm(55口径)連装砲2基&同15.2cm単装砲2基
ボフォース Model 1928 7.5cm(60口径)連装高角砲1基&同単装高角砲2基
ボフォース 4cm(60口径)連装機関砲4基
25mm連装機銃1基&同単装機銃4基
20mm連装機銃2基
8mm単装機銃4基
53.3cm三連装魚雷発射管2基
機雷80〜100個搭載可能)
航空施設
航空機 最大水上機11機(計画)、常用8機、射出機1基(1944年に撤去)
5500t級といえば帝国海軍では「大井」や「川内」などのいわゆる二等巡洋艦世代が思い当たる。
が、ゴトランドの竣工は1930年で 川内型の那珂でさえ1925年に就役していることからもう少し設計が遅かったら軽巡由良のようにカタパルトを搭載した航空巡洋艦が生まれていたかもしれない。
水上機を射出して訓練に励むゴトランド
ゴトランド ときいてどこかで聞き覚えがある方はそうそういないと思うのですが、潜水艦マニアならピン!とくるかもしれませんね。
そうなんです!この艦船はスウェーデンの艦船なのです。
スウェーデンといえば王室があるところですよねー
つい最近美男子すぎる皇太子が結婚した国でもあり、現国王のカール16世グスタフ陛下は「かぶりもの」がお好きであることでも有名な国であります。
ホットドックのかぶりものをしているのがカール16世。
一人おいて髪の毛クリクリのチョーイケメンがヴェルムランド公爵カール・フィリップ王子殿下。
・・・銀河英雄伝説のカール・グスタフとは関係ないと…思いますよ♪
米海軍の正規空母と合同演習に参加するゴトランド級潜水艦
2004年スウェーデン海軍は本艦をアメリカ海軍に貸与し、対潜水艦戦の研究をした。
上の写真は2005年の訓練で、現在横須賀に配備されているロナルド・レーガンと訓練を実施した。
1934年頃のゴトランド。
本艦の水上機はホーカー・オスプレイで第一次大戦と第二次大戦の軍縮期に大量生産された名機である。
主な採用軍はイギリス空軍
ホーカーには原型となる「ホーカー・ハート」があり、そこから様々な派生形が誕生した。
1927年の採用試験では525馬力のエンジンで296km/hを記録した
帝国海軍の九三式中間練習機が214km/hなのでそれよりも速いということになる。(九三式は1934年製)
ちなみに、零式水観は370km/h。
ちなみに、愛知E16A瑞雲の最高速度は448km/h。
ゴトランドのカタパルトから発艦するホーカー・オスプレイMk.1
オスプレイは正確に発音すると「オスプリ」というそうである。
写真の2403号機は原型機ハートの尾翼を改良したMk.1+とも言える改良型
これも原型機。
艦尾のトランサムに取り付けられているクレーンで揚収中のMk.1+
時代は更に進みMk.Ⅲになると・・・
流線型的な感じになってくる。
この姿がオスプレイMk.Ⅲでこの姿が一番量産された。
これ以外にも改良が重ねられたMk.Ⅳもあり、全体で138機生産された。
そのオスプレイMk.Ⅳの設計図。
この艦、第2次大戦の時は中立国であったので戦闘には参加していません。
それが唯一の救いかどうかは知りませんが、無事に30年の艦歴を全うして解体されました。
そうそう。
このフネも1/1250で製品化されているんですよ♪
値段は12ユーロほど。
え〜っと、1ユーロがいま・・・
結構な値段しますね
![]() 以上、航空巡洋艦の始祖のお話でした
デハっ!
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昨日、キョマカイちゃん殿のブログで佐世保港の近況をお伝えしていましたが・・・
そのコメントに、吾輩が
「補給艦ましゅう・補給艦はまな・護衛艦しまかぜ・護衛艦じんつう。
それに、護衛艦くらま もいるじゃないですか〜!
どこが全然いないんですぅー?」
・・・と、コメントしたんですが。
「どこにそんなにいました?」
とキョマカイちゃん殿から質問されましたので、キョマカイちゃんどのが昨日アップした画像に解説を付け加えてその答え合わせを致します♪
これが昨日キョマカイちゃんどのがアップした4番目の画像。
一番大きな「ましゅう」がデデーン! と接岸しています
この後ろに護衛艦を含めた4隻が隠れているのであります♪
じゃ、答え合わせを。
ポップでどこに何がいるのかを書き込んでみましたが・・・
いかがでしょうかね?
やはりましゅうが大きいぶん、後ろの3隻は隠れてしまってどれがどれだかわからないでしょうかねー
じゃ、もうちっと拡大してみましょう!
拡大してしまったので、不鮮明になってしまいましたが・・・
各艦の特徴的な装備が見え隠れしているのがお分かりになるでしょうか?
護衛艦しまかぜのOPS-11Cだったり
護衛艦くらまの特徴的な飛行甲板と艦尾のVDSフィッシュの切り欠きなども鑑みる事ができますねー
何かありましたらば削除いたしますので
以上。
キョマカイちゃん殿への答え合わせでした〜
デハっ!
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要塞島・・・というより、「軍艦島」に近いんですが(笑)
こんばんは、くじら座元帥です。
北九州の端島。
通称「軍艦島」が世界遺産に認定されて盛り上がっていますね〜
ブロ友の「アドミラル・三軒茶屋さん」も、1/2000でこの軍艦島の最盛期の姿を模型化しようと日夜励んでいますよね!
で、今回紹介するのはそっちの軍艦島ではなく・・・
実際の軍艦機能を模した島 である「フォートドラム」
をご紹介します。
この島は、大東亜戦争から70年の節目である今年に話されるべき、島でもあります。
フォートドラム こと、「エル・フレイル島」はフィリピンのマニラ湾に浮かぶ小さな岩礁であった。
1909年当時フィリピンを統治していたアメリカ軍がマニラ湾南側の防衛を強化する目的で、エル・フレイル島を含む湾口出口付近の小島4つを「マニラ・スービック湾沿岸防衛施設」として整備することになった。
同年4月に陸軍工兵部隊が島を平坦にし、その上に鉄筋コンクリートを流し込み「要塞化」した。
全長110m
全幅44m
干潮時のトップデッキの高さは12mにもなり、「装甲巡洋艦」のような姿になった。
主兵装は上の写真にもある「35センチ(14インチ)連装砲」を2基設置し、副砲には「15センチ(6インチ)単装砲」を上下に2門配置したものを両舷側に配置していた。
1941年のルソン島上陸作戦により日本軍に初めて認知された。
この時上空を偵察飛行していた偵察機は「マニラ湾に戦艦が侵入した」と報告をした記録が残っている。
1942年1月2日初めて日本軍の空襲を受けるも損害は軽微
同年2月 九六式15センチ榴弾砲の激しい攻撃を受け
3月中旬には四五式25センチ榴弾砲も砲撃に参加するも、外側のコンクリートが損傷するだけで砲自体に損傷はなかった。
4月10日にバターン防衛線が崩壊しても、レジスタンスとして抵抗を続けた
しかし、5月6日のコレヒドール要塞陥落の報によりついに降伏した。
1944年5月から同要塞島の守備についたのは、同年10月24日に沈没した戦艦武蔵の乗員65名であった。
1945年のマニラ戦でアメリカ軍の降伏要請を拒否した彼らは、35センチ砲が明け渡し直前に破壊されたことにより主砲での攻撃は不可能となったため、小機銃や迫撃砲で応戦するしか無かった
そして同年4月13日
アメリカ軍は同島に対して上陸作戦を敢行し、残存兵力を要塞の奥深くに誘導した
そして、通風筒から5000ガロンのガソリン混合燃料と272キロ(600ポンド)の爆薬と時限装置によって同島を爆破した。
同島の防爆扉は数百フィートの高さまで吹き飛び、14日間燃え続けたという
当然、同島で決死の抵抗をしていた武蔵の元乗組員は全員焼死した。
同島はその後アメリカ軍からも破棄され、戦後も博物に指定されることなく現在は廃墟となっている。
現在同島はフィリピンの近隣市町村が管理しているものの、状態は悪く上陸することもできない。
まさに戦争の恐ろしさを後世に残し続けている遺産。と言える
現在、アメリカの一部模型業界からこのような同島の模型が発売されているという。
もともと米墨戦争(アメリカ対メキシコ)や南北戦争に従事した、ドラム准将の名前がついた島なので英雄を重視するアメリカでは放っておけないのであろう。
しかし戦争とはむごいものであることには変わりはない。
それは何時の時代になっても・・・である。
ただ、「平和とは黙っていればやってくるものではない」。
「血を流し、呻き、苦しみ、困難と立ち向かいながら、恒久平和へと続く大きく重い門を一つづつ叩き続けなければ「その道」は開かれない」。
誰がその道を開くのか?
それは自分自身がやらなければならないのだ。
「わたしは分からないからその話には加わりたくない」などとぬかしておっては「平和」は遠ざかってしまう。
「平和」とは簡単なようで一番むずかしい、厄介な問題なのである
それをどう切り開くか。
私達は見続けなければ・行動し続けなければならないと感じる
そういう「遺産島」であると吾輩は考えている・・・。
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