2008年初夏
豊烈神社
山形市内を歩いていると目に入った神社
“豊烈神社”
“豊”という字が入っているので、豊臣秀吉関係の神社かなと思いのぞいてみると
祀られていたのは
天保の改革を行ったことで有名な水野忠邦
その創建は、水野忠邦が当時城主だった静岡の浜松城に藩祖である水野忠元を祭神としてことにはじまった。
その後、天保の改革で失脚し、山形藩に移封されたことに伴い、ここ山形にも豊烈神社を建立したのだそうです。
実在する人が神となって祀られる例は数多くありますが、ここもそのような神社の一つでした。
では、なぜ幕府の老中までつとめた水野忠邦は山形に来ることになってしまったのか。
時は幕末 ペリー来航の20年程前となる1830年(ペリーの来航は1853年)
時の将軍は、徳川12代徳川家慶
水野忠邦「殿、幕府の財政はピンチでござる。いまこそ改革が必要なのです」
徳川家慶「うむ、そうせい」
こうして天保の改革がはじまった
水野忠邦「ひとーつ。江戸に人多すぎ。江戸に住む農村出身者は、故郷に帰って農業に就くこと」
農 民「まじっすか!?」
水野忠邦「ふたーつ。商人の独占販売禁止。物価の高騰は許さない。経済は自由であるべき」
商 人「そんな殺生な」
水野忠邦「みっつ。江戸、大阪の周りは幕府の直轄地にして治安を維持するべき」
大 名「それはさすがにやりすぎだろ。反対」
水野忠邦「よっつ。借金の金利を引き下げるよ。」
金貸し 「もうからないなら貸さないよ。貸し渋りだ。」
町 人「ぐえっ・・・・・」
さらには腹心の遠山景元は
遠山景元「忠邦の兄貴。それはちょっとやりすぎじゃありませんかね。俺はいち抜けた」
庶民男 「遠山さん、かっけーーー。惚れたぜ」
遠山景元「この金さんの桜吹雪、散らせるものなら散らしてみやがれ〜〜〜!!!」
庶民女 「きゃーーー、金さん、こっち向いて〜〜♪」
遠山の金さんとして人気者となる。
こうして江戸の町の恨みを買った水野忠邦は失脚
山形藩へと移封を命ぜられたのです。
そんな水野家を祀る神社でございました。
とはいえ、改革の失敗は水野忠邦だけの責任ではなく
すでに幕府の権威も失墜している中で、旧態依然の組織や大奥の妨害
身体が弱かった徳川家慶公の次の将軍争いなどの権力争いもあったことも事実である。
ちなみに、大河ドラマで有名になった篤姫は、徳川家慶公の次の将軍
13代徳川家定公の妻となったお方です。
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へ〜〜!
そんな方がおられましたか!
今の時代はそんな方が少ないかも!笑。
お忙しいのに山形に行かれたのですか?
お仕事がらみ?
15年前ゴミを車ごと量るなんて事ビックリしました。
日本ではそんな事していませんでしたから。
今は日本でも同じなのですね。
でもここは不法投棄はないですが、日本はありますね。
生きた犬まで捨てますから!
傑作ポチ”凸
腰痛は年数度出ます。
パソコン前に座り続けはいけませんね!
最近の日本が心配ですが、どうぞよろしく
お願いしますね。
2010/10/26(火) 午前 7:00
水野さん、かわいそう。江戸時代も末期なら彼じゃなくたってどうしようもない経済状態だったことでしょうにね。
授業では「水野忠邦、天保の改革。失敗に終わる」ってザックリ習うだけだけど、すけさんの記事を読むと同情したくなるわー。
2010/10/27(水) 午後 3:08
>のんびりさん
日本史の授業だと天保の改革と水野忠邦がセットででてきて、二、三行で終わってしまって、すぐに幕末のペリーの黒船とかにいってしまうのですね。
2010/10/27(水) 午後 7:11
>こにゃくうさん
江戸末期の幕府の廃れっぷりははんぱなかったですからね。誰がやっても改革はならなかったでしょうね。水野忠邦もそんな犠牲者の一人かもしれませんね。
2010/10/27(水) 午後 7:12