2012年冬 旅順
203高地
(1)旅順の地図
えっと、日露戦争について整理しようと思って更新が止まっていたわけなんですけど
何から書けばいいんだろう。
「坂の上の雲」という司馬遼太郎先生の小説がある。
まさに明治時代、日露戦争を描いた作品なのだが
日本で日露戦争や大連、旅順が注目されるようになったのは、この小説の影響がとても大きい。
「坂の上の雲」と「日露戦争」
なんのつながりがあるのか?
なんのこっちゃ?
普通はそう思いますよね。
「坂の上の雲」
その頃の日本を想像すれば、世は江戸幕府から明治政府に移り、欧米と争うことになった日本。
技術的にも圧倒的に出遅れ、地べたを這いつくばっている日本が目を覚まし、近代国家への道(坂の上に見える雲への階段)を一歩一歩と登りつめていく姿。そんな中での列強国との衝突。そして、日露戦争を終えたとき、たなびく雲の上に日本人は何を見たのか。
この頃の時代背景、心情をよく表した素晴らしい題名だと思います。
(2)203高地山頂から旅順の街を眺める
そもそも日露戦争とは、どういった戦争だったのだろうか。
歴史の教科書だけを見れば
「1904年から1905年にかけて、朝鮮半島と満州南部を中心に争われた日本とロシアの戦いで、1905年のポーツマス条約で講話した」
そんな1、2行の説明で終わってしまう。
近代史におけるターニングポイントとなった出来事でありながら、目的や動機、社会的背景について語られることも数少ないのである。
両国の戦争の目的、動機をさぐれば・・・・・
両国の戦争の目的と動機
▼日本
日清戦争の勝利によって手に入れた朝鮮半島並びに満州南部に向けて進軍してくるロシア軍を防ぎ、国際社会で日本が生き残ることが一番の動機。そのために早期決着早期講話を目的としていた。戦争に勝つことが目的ではなく、守りきることが目的であった。
▼ロシア
遼東半島や旅順、朝鮮半島へと侵攻してロシアの領土とし、太平洋側における「冬になっても凍らない港」を確保することが動機となる。よって、目的は侵攻と利益の拡大であった。
開戦前夜
(3)重砲観測所(大砲の角度距離を測る建物)
日露戦争の背景を探れば
一言で言えば、朝鮮半島をめぐる日本とロシアの対立であった。
1895年
日清戦争に勝利した日本は、朝鮮半島と遼東半島を手に入れた。しかし、そんな日本の姿勢を面白く思わないロシア、ドイツ、フランスが干渉してきたことで、日本は遼東半島を手放すことになってしまった。
その隙に満州を支配下においたロシアは、さらに南下したところで朝鮮半島を領土としていた日本とぶつかる。日本とロシアの国力を比べれば、蟻と象ほどの差もあり、日本は外交によって衝突をさけようとしていた。
しかし、譲らないロシアは、強大な軍事力を背景に、日本への圧力を日に日に強めていったのである。
そこで、日本が頼ったのが英国であった。
1902年
日本と英国の間で日英同盟を締結して、西側よりロシアを牽制することに成功する。
1904年
度重なる交渉も主戦論が支配するロシアを納得させることはできず、ついに日本はロシアとの国交を断絶した。これによって、ロシアとの戦争は避けられなくなったのである。
日露戦争の開幕であった。
両国の戦力比較
(4) 203高地の塹壕
日露戦争開戦時の日本とロシアの戦力を比較すると
歩兵 日本:13万、ロシア:66万
騎兵 日本:1万、ロシア13万
砲撃支援部隊 日本1万5千、ロシア16万
工兵等 日本1万5千、ロシア4万4千
予備部隊 日本46万、ロシア400万
この数字を見ただけでも圧倒的な戦力差があるのは一目瞭然。日本の取るべき道は、早期講話意外にありえなかった。そのような状況の中で日露戦争は開戦したのである。
両国はどのようにして、兵隊を戦場へと送っていたのか。
ロシアは陸続きの鉄道を使っての移動
日本は、船で朝鮮半島に上陸させなければならなかった。
となると、必要不可欠なことは、海の安全を確保すること。
制海権をとることであった。
兵隊を日本から輸送する輸送船をロシアに狙われれば、一瞬にして数千の兵隊が海の藻屑と消えてしまうことになるのです。
この時ロシアが持っていた港は二つ
ひとつはウラジオストク、もうひとつがここ旅順でした。
この小さな港町である旅順にいるロシア艦隊を追い出すことは、日露戦争の結果を左右するほどの重要な作戦でした。
そこで日本海軍は、陸軍に旅順要塞の攻略を要請。
これを受けて“乃木希典”大将率いる一団が旅順攻略にあたることになったのです。
旅順攻囲戦
(5)203高地 山頂に据えられた日本式280mm榴弾砲
旅順攻囲戦
旅順の戦いは、凄惨を極めた。
遼東半島の先端に位置する名も知られぬ小さな港町が、戦いの行方を左右するほど大きな意味を持つことになることを、そして、こんなにも大きな犠牲を払うことになることを誰も想像していなかった。
▼第一回旅順総攻撃(1904年8月19日〜24日)
日本軍の参加兵力51000名、東鶏冠山方面にて敗北
日本軍:戦死5017名・負傷10843名
ロシア:戦死1500名・負傷4500名
▼第二回旅順総攻撃(1904年10月26日〜30日)
ロシアバルチック艦隊が日本に向けて出航したという報告を受け、旅順の占領が最優先事項となった。日本は、本国より280mm榴弾砲を取り寄せて配備。2回目の総攻撃を行なった。
日本軍:戦死1092名・負傷2782名
ロシア:戦死616名・負傷4453名
▼第三回旅順総攻撃(1904年11月26日〜12月6日)
「203高地の早期占領、その後203高地山頂からの砲撃による旅順市街並びに港への砲撃」する作戦を決定する。
日本軍:戦死5052名・負傷11884名
ロシア:戦死5308名・負傷12000名
(6)203高地から旅順市街に照準を合わせた280mm榴弾砲
両軍共に日露戦争最大の犠牲を払った旅順攻囲戦
203高地を奪取した日本は、旅順市街並びに旅順港に向けて大砲を撃ち、ロシア太平洋艦隊を全滅することに成功する。
1905年1月1日
旅順の司令官であるステッセル中将が降伏
こうして、日露戦争における旅順攻囲戦は幕を閉じたのである。
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興味津々です^^)次回期待
2012/10/4(木) 午後 5:41
中学のときにちょこっと勉強しただけだったので、詳しく説明が書かれていて読みいってしまいました。それが203高地の戦いだったんですね。両軍ともたくさんの犠牲が出ていますね・・・
歴史的な場所に行けて凄いですね。
2012/10/5(金) 午前 0:34
>美婆さん
出来事がありすぎて、詰め込みすぎない程度にがんばります。
2012/10/5(金) 午後 4:42
>サイゼバイトさん
学校の授業では4、5行で終わってしまう出来事も、その背景はとても複雑なんですよね。第一次世界大戦なども、その戦死者や戦いを見ると本当に悲惨。それでも第二次世界大戦ほど語られることのない戦争なんです。もっともっと世界を見てみたいと思いました。
2012/10/5(金) 午後 4:43
そうだね、、、日清、日露の名前から戦った相手国はかろうじてわかるが、、、目的までは書いてなかったと思う。
歴史の勉強ってどの時代も「○○○年に△△の変」とか、年号と事件しかないから、興味無いよね〜(^_^;)
すけさん、わかりやすいよ。
でもしかし、、、戦争だけは本当に不毛だ。
亡くなった方の数を見るだけでぞっとする。。。
2012/10/5(金) 午後 5:21
テレビで203高地の戦いのシーンを観たことがあるけど、正視できなかったよ。
悲惨な戦闘だったそうで。
勝って日本中が歓喜したものだから、203高地戦のむちゃくちゃな内容までは浸透していないね。
私が習った教科書でも。
すけさんのあげてくれた日本側の死者の数!
ロシア側に比べて、圧倒的だあ〜!
高校卒業後に知って「勝ったってそれが返ってアダになる戦もあるんだ」と知りました。
その後の日本の流れを思うと、あの勝利は良かったのか悪かったのか。
2012/10/7(日) 午前 8:22
>SNOWさん
歴史の勉強が嫌いになるのって、きっと単純に年号と出来事を覚えさせられるからなんだろうね。膨大な出来事を短い時間で教えなければならないことはわかるが、もっと興味を持たれるものにしなければ、どんどんと関心が遠のいてしまうね。戦争について、なぜ行われたのか、そしてなぜ戦争をしてはならないのかを教えるには時には生々しい事実も教えなければならないと思いました。でなければ、亡くなった人たちが報われないよ。
2012/10/24(水) 午前 1:41
>こにゃくうさん
大連旅行から帰ってきてから、明治時代や日露戦争前後の出来事の本や映画なんかを色々と見ました。どれもとても悲惨な状況が想像できます。そうなのです、日本の勝利によって「神風理論」が巻き起こり、昭和に入り軍部によるクーデターと世界大戦へと突入していく。まさに世界中が新開発した兵器の虜となった狂気の時代だったと思います。だからこそ、現代に生きる僕らは戦争をおこしてはならないと改めて思うのです。
2012/10/24(水) 午前 1:47