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〜〜2015年秋 〜〜
また久しぶりの更新になってしまいました。
皆さん、お元気ですか、すけさんです。
どこからでしたっけ
そうそう、パラティーノの丘を見て、その下に広がる古代ローマの広場
フォロロマーノへ向かったんでしたね。
思い出を整理しながら、フォロロマーノの遺跡を順番に見ていきましょう
フォロロマーノに入ってまず最初に目に飛び込んできたのが
この大きな凱旋門
フォロロマーノの中で最もコロッセオに近い場所にあります
皇帝ティトゥスの凱旋門
凱旋門といえば、パリの凱旋門が有名だけど
こちらはさらに遥か昔に建てられたローマに残る最古の凱旋門
皇帝ティトゥスの戦勝記念として紀元81年に建てられたそうです
ちなみに皇帝ティトゥスの皇帝在位は79年〜81年と短いがその評価は高いが
在位中の79年に噴火したヴェスヴィオ火山でポンペイの街が壊滅するなどの大災害にも見舞われた不運な皇帝でした。
●マクセンティウスのバジリカ
バジリカとは古代ローマ時代の公共の集会施設のこと
建設は皇帝マクセンティウスから皇帝コンスタンティヌスに引き継がれ
312年に完成
古代ローマの人々は、ここに集まり、様々な活楽しんでいたのでしょう
●皇帝アントニヌスと妻ファウスティーナの神殿
今も綺麗に残るこの神殿は
皇帝アントニヌスが妻ファウスティーナを偲んで141年ごろに建設したもの
11世紀には教会に転用されて現在に至るのだそうです
●ヴェスタ神殿
火の神ヴェスタを祭った神殿
1930年に部分的に修復され、円形神殿の名残が見られます
紀元前2世紀にはすでに存在していたとのこと
さすがに所々の崩れや痛みは目立ちますが
それでも2000年以上も前だといのに
古代ローマの建築技術の高さがわかります
●エミリアのバジリカ
こちらもかなり崩れてはいますが、バジリカ(集会場)です
ここでは税の取り立てや裁判が行われていたといいます
●クーリア(元老院)
共和制時代に最高会議が行われていたフォロロマーノの中枢
国会議事堂のようなものでしょうか
現在の建物は20世紀に復元されたものだそうです
●サトゥルヌスの神殿
幸福な時代を築いたという伝説の神サトゥルヌスを祭った神殿
紀元前5世紀ごろに建設されたもので
現在は8本の円柱が残っています
紀元前200年とか500年とか
そんな建造物がゴロゴロしているローマ
日本人の木造建築文化からするとわけがわかりません
●皇帝セヴェルスの凱旋門
そしてゴール地点というかフォロロマーノの出口へ
こちらは203年に建てられたセヴェルスの凱旋門
東方遠征の戦勝と即位10年を記念して建造されたそうです
なんというか、歴史の重みと古代ローマの生活文化に圧倒されっぱなし
日本が稲を作って生活していた時代に
遥か海の向こうのローマではこんなにも進んだ文明が存在していたんですね
そんな古代ローマの面影を色濃く残すフォロロマーノを抜けて
次はローマの中心部に向かいたいと思います
改めて写真を見ると、ほんとに天気がよかったんだなぁ
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〜〜 2015年秋 〜〜
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また久しぶりの更新になってしまいました
パラティーノの丘の下に広がる古代ローマの広場
フォロロマーノへ向かいます
※パラティーノの丘からの眺め
ここがフォロロマーノです
少し細長い敷地の中に集会場跡や裁判所跡など
古代ローマの様々な遺跡が建てられていました
「フォロ」は英語の「フォーラム」の語源になった言葉で
古代ローマの公共広場、集会場などを表します
ということで、フォロロマーノは簡単に言えば「古代ローマの広場(集会場)」
古代ローマの政治の中心であり、市民たちの集まる広場であった場所なのです。
※パラティーノの丘からの眺め
崩れている個所はあるものの、当時の面影を残して今も存在しています。
これが木造建築の中で生活してきた日本と石造り文化のヨーロッパの大きな違いではないでしょうか。
では早速、フォロロマーノの中を見ていきたいと思います
次回へつづく
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〜〜 2015年秋 〜〜
真実の口に手を突っ込んだ後
パラティーノの丘、フォロロマーノの観光に移動しました
※パラティーノの丘 入口
フォロロマーノに入るための入口もいくつかあったのですが
とりあえずコンスタンチヌス凱旋門あたりまで戻ってきました。
この入口から入り
まずはローマ建国の地、パラティーノの丘から見学していきます。
※丘の上に向かう
パラティーノの丘、これは隠語でも何でもなく、まさに丘です。
そして古代ローマを語るうえで
この丘というのが重要なキーワードになります
古代ローマでは、パラティーノの丘の他にも
カンピドリオの丘とかアヴェンティーノの丘と呼ばれる七つの丘があり
これらの丘を中心に街が形成されていきました。
この丘の解説も含めて、ローマ建国の物語を簡単にお話していきましょう。
※パラティーノの丘
パラティーノの丘を語るとき
それは古代ローマ建国の時代まで遡ることになります。
時代は紀元前753年
ある国に、ロムルスとレムスという二人の男の子が誕生しました。
この二人の子を認めなかった王は
二人をカゴに入れ、ティベレ川に流してしまいました
そのカゴが下流までドンブラコ、ドンブラコと流れてくると
付近を通りかかった雌の狼は、不思議なカゴを見つけました
二人をくわえて巣まで戻り、自分の乳を与えて育てていったのです
それからしばらくして
雌狼に育てられた二人の子供を見つけたのは羊飼い
羊飼いは二人を自分の家に抱いて帰って育てていきました
改めて、羊飼いに育てられて成長していったロムルスとレムスは
大きな力をつけ、自分を捨てた国の王に復讐を果たします
そして、今のローマの丘に、自分の街を造ることにしました
ロムルスはパラティーノの丘に自分の家を
レムスはアヴェンティーノの丘に自分の家を建てました
平和が訪れるかと思いきや、ここで起きたのは兄弟げんか
ロムルスはレムスを殺し、ロムルスがこの国の王となったのです
この国は、建国者ロムルスの名をとって、ローマと名付けられたのです
※丘の上へ
これが、パラティーノの丘が古代ローマ建国の地といわれるゆえんです
30〜40mくらいの丘なので、10分も歩くと頂上に着きました
とにかく天気がよくて、観光客の中には半袖の人もチラホラ見えます
そして、丘の上は広く開かれた広場が広がっていました
※パラティーノの丘
丘の上は、結構な大きさがあり
かつての石造りの屋敷跡や城壁の跡がきれいに残っています
※展望台より
丘の上の展望台から次に向かうフォロロマーノが見えます
そして、すぐ先に見えるのは、さきほど訪れたコロッセオ
2000年前には
崩れる前のコロッセオや凱旋門の風景が当たり前にあったんですよね
そして、そこに立って眺めている自分たちがいる
なんか不思議な感じです
続く
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〜〜 2015年秋 〜〜
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あまり混まない午前中のうちに行きたかった真実の口
フォロロマーノを後に回してきました
コロッセオから、いい散歩コースになります
※今振り返れば、フォロロマーノに行ってからでもよかったかな
※ボッカ・デッラ・ヴェリタ広場
イタリアを旅していると、街の至る所に「広場」があり
市民の憩いの場、交流の場になっているのがわかります
有名なところだと、ローマの休日でアン王女がジェラートを食べた
「スペイン広場」などですかね
そしてここは真実の口のある教会の前
ボッカ・デッラ・ヴェリタ広場です
※ボッカ・デッラ・ヴェリタ、イタリア語で書くと「Bocca della Verità」
「Bocca=口」
「Verità=真実」
ということで、日本語で言えば「真実の口広場」というようですね
※サンタ・マリア・イン・コスメディン教会
サンタ・マリア=聖母マリア様を祀る教会
なので、教会にはサンタ・マリア○○教会というのが、とっても多い
コスメディンは英語でいうところのコスメ=化粧・装飾ということらしい
聖母マリア様のための装飾・化粧教会とでも言えばいいのでしょうか
この中に真実の口があるとのこと、わくわくしてきます
※真実の口
20分くらい並んで、やっとご対面
日本でも、各地に同じようなものがあるけれど
やっぱりオリジナルに会えるととても嬉しい
いざ自分の番が回ってくるとどうやって撮ろうか緊張します。
待っている人がいるので、時間は30秒から1分程度しかありません
この真実の口
有名にしたのは、やっぱり映画ローマの休日なのでしょう
グレゴリー・ペック扮する新聞記者と
オードリー・ヘプバーン扮するアン王女
嘘つきが口に手を突っ込むと、噛み切られてしまうという伝説があり
グレゴリー・ぺックが真実の口に手を入れ噛み切られたフリをします。
これを見たオードリー・ヘプバーン扮するアン王女は、驚き叫んでしまう
というシーン
アン王女の記事ネタを探しながらもアン王女に惹かれている
グレゴリー・ペックの心情を表したようにも感じます
イタリアから帰ってきてから、ローマの休日を見たのですが
やっぱり面白い映画ですね
映画を見終わってから知ったのですが
この脚本てドルトン・トランボだったんですね
反戦映画脚本を書いたことで、映画界から追放されながら
ペンネームで書いた脚本
「映画界から名前を消すことはできても、才能を消すことはできなかった」
と言われた名脚本家です
※真実の口
話があちらこちらに飛んでしまいましたが
そんな真実の口をイタリア旅行の記念に楽しんできました
そうそう、ここは基本無料で真実の口も内部も見学できるのですが
警備員(順番整理員)さんがおり、手前にお布施(お賽銭)のBOXがありました
他の人はほとんど入れてないんですけど
「ボンジョルノ」って二人分2ユーロを入れて写真を撮ろうとしたら
警備員さんがカメラを持って写真をとても丁寧に撮ってくれ
とても記念写真が撮れました
スリやぼったくりの多いローマですが
こういうのは嬉しい出会いです
※サンタ・マリア・イン・コスメディン教会
写真を撮ったところで、中でミサを行っているのに気が付きました
そうか、今日は日曜日でした
早々にカメラをしまい、少し見学して教会を後にしました
さあ、次はフォロロマーノだ
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〜〜 2015年秋 〜〜
コロッセオからチルコ・マッシモに向かいました
といっても、ここはほぼ通過点
ここから真実の口に向かう途中の場所です
※チルコマッシモ
広い楕円形状の大きなトラックを囲むように
奥手前、左右に大きな道路が走るこの場所
現在のローマでは
市民のランニングや散歩コースとして親しまれている場所なのだそうです
※チルコ・マッシモ
では、この場所にはかつて何があったのかということなのですが
チルコ・マッシモ
ラテン語ではキルクス・マキシマムスといいます
キルクスとは「古代の戦車競技場」のこと
マキシマムスとはMAXとかいう言葉があるように「最大の」という意味で
「古代ローマ時代最大の戦車競技場」のことです
その戦車競技場「チルコマッシモ」の跡地がここにあります
※チルコマッシモ正面から
ここから写真奥にある「真実の口」のある教会に向かいます
※記念撮影
ベンチのある高台で記念撮影
後ろに見えるのはフォロロマーノにあるパラティーノ丘
そこは後で向かいます
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