2008年初夏
山形の市内を散策する
駒姫の菩提を弔う専称寺
権謀術数を用いての心理戦を得意としていたことから
“羽州の狐”と呼ばれた最上義光には娘がいた。
その名を“駒姫”といった。
その美しさは東北一とも謳われた。
ある時のこと
最上義光「おいらは狐。羽州の狐。最上義光ずら。娘の幸せがおらの幸せずら」
豊臣秀次「おれ、関白、豊臣秀吉の養子。駒姫たん、かわゆすなぁ」
最上義光「駒姫は、おらの自慢の娘ずら」
豊臣秀次「おれ、関白。駒姫たん、手籠にしたい。俺によこせ」
最上義光「ダメずら」
豊臣秀次「おれ、関白。お前の家、つぶすぞ」
最上義光「仕方ないずら。幸せにしてくれずら」
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豊臣秀次が京にもどってしばらくして
豊臣秀吉「わし、秀吉。秀次、お前なんか疑わしいから切腹じゃん」
豊臣秀次「おれ、関白・・・・・・失脚!?」
そして駒姫も・・・・・・
豊臣秀吉「わし、秀吉。側室も全部処刑じゃん」
最上義光「おいらは狐。羽州の狐。駒姫だけでも助けてくれずら」
豊臣秀吉「そんなのだめじゃん。残しといたら、わしの命が危ないじゃん」
最上義光の嘆願もむなしく
駒姫も側室の一人ということで京都三条河原にて処刑されてしまった。
最上義光「猿、許すまじ。狐の執念深さ、覚えていろ。コーーーーーン」
義光の怒りと悲しみはすさまじく
これが後年の関ヶ原にて、最上義光が徳川側についた理由ともいわれている。
この専称寺は、元は天童市にあったものを
最上義光が、駒姫の菩提を弔うために山形に移建したものでした。
現在の本堂は1703年に再建されたものである。
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