2003年5月6日 倶利伽羅峠付人「おで様 起きてください」 おで「むにゃむにゃ・・・もうりんごは食えんよzzz・・・」 付人「もう出発しますよ」 おで「な、なんだとお〜!!まだ飯を食べてないぞ」 付人「仕方ありませんよ、写真がないんですから」 おで「またアホな管理人のせいか」 付人「はい」 おで「じゃあ鴨のじぶ煮は?」 付人「ありません」 おで「小さな加賀懐石は?」 付人「ありません」 おで「新鮮な海の幸の海鮮丼は?」 付人「ありません」 おで「ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!!」 付人「ほらほら、これでしばらくは石川県ともお別れですよ」 おで「さらばじゃ石川よ、また遊びにくるからのお」 所変わってここは“倶利伽羅峠(くりからとうげ)の道の駅” すけさん旅行記 〜 倶利伽羅峠と奥の細道 〜
奥の細道でも次のように書かれている倶利伽羅峠 「卯の花山 くりからが谷をこえて 金沢は七月中の五日なり。〜〜」 道の駅にはこんな像が作られていた 倶利伽羅峠の戦いの火牛の計の像 倶利伽羅峠 古くは平家との戦において木曽義仲の名を全国に知らしめた戦の地である 平安末期 平家討伐の命を受けた木曽義仲は倶利伽羅峠で平家の軍勢を迎え撃った 対峙したままこう着状態となった木曽軍と平家軍 ある一計を案じたのは木曽義仲であった 時は草木も眠る丑三つ時 木曽軍は牛の頭に松明と刀をくくりつることを命令する そして荒々しい牛の大群を平家の陣に向かって突撃させたのであった 敵が攻めてきたと慌てる平家軍 人間に全速力の牛の突進をとめられるはずがない これは敵わぬと悟った平家軍は走って後退 しかし、逃げた方向にあったのは地獄谷と呼ばれる断崖絶壁 後ろから次々逃げてくる兵士に押され 平家軍は次々に谷へと落ちていく こうして木曽義仲は味方の損害をおさえて戦に勝利したのである これが世にいう「倶利伽羅峠の戦い 木曽義仲の火牛の計」である ●倶利伽羅峠の地図はこちら(yahoo地図より)
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=36.39.57.568&el=136.43.53.274&la=1&sc=5&CE.x=403&CE.y=302 |
中部-石川県
[ リスト | 詳細 ]
2003年5月5日 兼六園付人「とりあえず一通り見てきましたね」 おで「わしも疲れたぞ そろそろ次に行かんか?」 付人「では最後にちょっとだけ 残ったところを紹介します」 おで「わしは団子でも食ってるから、あとは頼んだぞ」 付人「ずるいですよ 私もお団子が食べたいです」 おで「うるさい さっさと行ってこい」 ・前田利家公の像
“前田利家”は大河ドラマ“とし家とまつ”で主役もつとめた人物である 織田信長の悪友であり“槍の又左”などとよばれ、主に北陸方面を任された 織田・豊臣・徳川の個性ある天下人の下で生き延びて前田家加賀百万石の礎を築いた人物 僕にとっては武将としての能力はもとより、先見の明に優れた政治家という印象がある ・日本武尊(やまとたけるのみこと) 日本神話に登場する英雄 手に持つ剣は三種の神器のひとつ“草薙剣(くさなぎのつるぎ)” 以前に熱田神宮の記事でも紹介しましたね スサノオがヤマタノオロチを退治したときに出てきた剣を ヤマトタケルが蛮族討伐に向かう際に授けられたもの 話すと本が一冊書けてしまうので、とりあえずここまでにしましょう ちなみにこの像の正式名は“明治記念之標゛ 西南戦争で戦死した郷土の軍人の霊を慰めるために建てられたのだそうです ・松尾芭蕉 奥の細道句碑 ここにもありました奥の細道の句碑 ・・・以上 さあ金沢城に行って昼寝しようっと ●僕の関連記事 ・金沢-8-兼六園1「六勝」北陸旅行記-8- http://blogs.yahoo.co.jp/dnnyh656/23031108.html ・金沢-9-兼六園2「造園ブーム」北陸旅行記-9- http://blogs.yahoo.co.jp/dnnyh656/23094921.html ・金沢-10-兼六園3「水流」北陸旅行記-10- http://blogs.yahoo.co.jp/dnnyh656/23165819.html ・金沢-11-兼六園4「徽軫(琴似)灯籠」北陸旅行記-11- http://blogs.yahoo.co.jp/dnnyh656/23284247.html ・金沢-12-兼六園5「曲水」北陸旅行記-12- http://blogs.yahoo.co.jp/dnnyh656/23495908.html ●兼六園の地図はこちら(yahoo地図より)
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=36.33.39.220&el=136.39.53.549&la=1&sc=3&CE.x=235&CE.y=342 |
2003年5月5日 兼六園
・すけさん旅行記 遣水(やりみず)と曲水(きょくすい) 日本庭園を見ると、中央に池があり、そこに注ぎ込む川が作られていることが多い この川を“遣水(やりみず)”といいます。 またクネクネと曲がりくねった遣水を曲水(きょくすい)といいます。 これだけ大きいと遣水といわずに、そのまんま川ですね 遣水と曲水は平安時代の庭に多く見られるので、後日改めて書こうと思います 兼六園の水の流れは、まるで小川のごとくさらさらと池に流れ込んでいます あと一ヶ月もすると 流れに沿って菖蒲が花を咲かせることでしょう ●僕の関連記事 ・金沢-8-兼六園1「六勝」北陸旅行記-8- http://blogs.yahoo.co.jp/dnnyh656/23031108.html ・金沢-9-兼六園2「造園ブーム」北陸旅行記-9- http://blogs.yahoo.co.jp/dnnyh656/23094921.html ・金沢-10-兼六園3「水流」北陸旅行記-10- http://blogs.yahoo.co.jp/dnnyh656/23165819.html ・金沢-11-兼六園4「徽軫(琴似)灯籠」北陸旅行記-11- http://blogs.yahoo.co.jp/dnnyh656/23284247.html ●兼六園の地図はこちら(yahoo地図より)
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=36.33.39.220&el=136.39.53.549&la=1&sc=3&CE.x=235&CE.y=342 |





