関東-栃木県

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

2007年3月18日

戦場ヶ原

イメージ 1

日光旅行、さらに奥へと進みます

ここは戦場ヶ原

はるかな昔
男体山のヘビ神様 と 群馬県は赤城山のムカデ神様が戦った場所

それはこんな物語でした



むかーしむかしのことじゃった

日光の男体山にはヘビの神様が住んでおった
群馬県の赤城山にはムカデの神様が住んでおった

日光には中禅寺湖と呼ばれる大きな大きな水がめがあったそうな

イメージ 2

群馬名物からっ風に喉が渇いて仕方のないムカデ神様
部下を集めて、こう言ったそうな

赤城「日光の中禅寺湖を奪うムカ」
部下「しかし、あそこは男体山のヘビ神様の土地」
赤城「そんなの関係ないムカ、美味しい水が飲みたいムカ、戦争ムカ!!」

イメージ 3

ところ変わって、ここは日光の男体山の神様

部下「大変です、大変です」
男体「なんだ、朝から騒がしいニョロ」
部下「赤城山のムカデ神様がこちらに向かってきます」
男体「なにニョロか、今日は忙しいニョロ」
部下「中禅寺湖をよこせと言っています」
男体「そんなのできないニョロ」
部下「どうしましょうか」
男体「戦うニョロ、ふもとの湿原で赤城のムカデを迎え撃つニョロ」
部下「あいあいさ〜!!」

イメージ 4

長い長い戦いの末
男体山のヘビ神様はムカデ神様を追い払うことができたのです

その後、戦場となった場所は“戦場ヶ原”と呼ばれ
“菖蒲(勝負)ヶ浜”で和戦会議を開き
男体山の神様は“歌ヶ浜”で祝勝会を催したのだとさ

めでたしめでたし


2007年3月18日

竜頭の滝

イメージ 1

見ていて楽しい水の旅

一人旅だからこそできる写真の練習

今回はシャッタースピードを変えて遊んでみました


イメージ 2

一本の川が上流で二股に分かれ
二本の滝となって落ち込む竜頭の滝

岩に打ちつける水が竜の頭に見えることから竜頭の滝と名づけられました

上はシャッタースピード 1/80秒
下の写真は 1/5秒


イメージ 3

せっかくなので望遠レンズに付け替えて遊ぶ
右側の滝だけを撮影

上 1/160秒
下 1/5秒


イメージ 4

さらにアップにして風景の一部分を切り抜く

上 1/5秒
下 1/8秒


2007年3月18日

中禅寺湖

イメージ 1

ここ日光は男体山の麓にある中禅寺湖
水面の海抜は、なんと驚きの1269m

なんでも2万年の昔
男体山が爆発し、渓谷がせきとめられて出来たといわれています

この中禅寺湖を見つけたのは、日光山の開祖“勝道上人”
男体山に初登頂した時、眼下に見事な水を湛える湖が見えたのだそうです

イメージ 2

勝道上人は
その後、中禅寺湖のほとりにお寺を建て
山岳修行の道場としたのだそうです

明治5年までは、東照宮から先は女人牛馬禁制とされ
当然ながら、中禅寺湖と男体山は男しか入ることができなかったのです

これが男体山の名の由来の一つかもしれません

明治5年というと神仏分離令や廃仏毀釈などで混乱していた時代
その辺も女人禁制が解かれたことと関係していそうです

イメージ 3

空がとっても気持ちいいんだけど
寒くてカメラを持つ手が固まります
コンビニで手袋を買ってしまいました


2007年3月18日

何度目の日光になるんだろう
やっと東照宮紅葉旅行記が終わったというのに
またまた日光旅行記が始まってしまいました

今回は冬の日光です


明智平(あけちだいら)

イメージ 1

天海大僧正が名づけたという明智平
東照宮の記事でも“天海様と明智光秀になんらかの繋がりがあったのでは?”と書きましたが
ここがその明智平になります

日光で最も見晴らしが良いといわれ、東照宮さえも眼下に望める場所
なぜ天海様は、ここに明智という名を残したのでしょうか?
謎は深まるばかりです

ここからはロープウェイも出ており、上からはさらに素晴らしい景色に出会えます

・・・・・強風のため、お休みでした


男体山(なんたいさん)

イメージ 2

日光の御神体でもある男体山
今日は空気も澄んでおり、その雄大な姿を仰ぎ見ることができます

男体山の山頂から中腹にかけて、ところどころ崩れた場所があるのですが
この崩れてできた沢を日光では“薙(なぎ)”と呼びます

やはり今年は雪も少ないね
せっかくスタッドレスタイヤで来たのに


いろは坂

イメージ 3

日光市内から奥日光に向かうには、九十九折の坂道をを上ります

明智平から見える向こうの坂が“第一いろは坂”です
明智平は、上り専用の“第二いろは坂”の途中にあります

「い」、「ろ」、「は」、「に」、「ほ」、「へ」、「と」とカーブごとに看板がつけられています


2005年11月10日

板垣退助

東照宮を望む神橋の袂に立つ板垣退助
「板垣死すとも自由は死なず」
と言ったとか言わなかったとか

そんな伝説を残す政治家の像がなぜ日光にあるのだろう?

それにはこんな話があるのです

イメージ 1

時代が江戸から明治へと変わり、官軍と旧幕府軍の戦いも熾烈を極めていた
板垣退助は官軍を指揮し、西へと進軍

追い詰められた旧幕府軍は日光東照宮を本拠地に抵抗していました

東照宮を前にして板垣は大きな決断を迫られました

一つは降伏勧告
一つは焼き討ち

板垣の下した決断は以下のようなものでした
東照宮に縁のある僧を呼び、伝言を申しつけたのです

「日光に立てこもるなら、私は東照宮に攻め込まねばならない。
 その際は焼き討ちも辞さない覚悟である
 東照宮と家康公を尊敬するならば、潔く撃って出て雌雄を決しよう
 日光で戦うことは東照宮、さらには家康公への不敬ではないか」

この決断が日光を戦火から守り
いつの頃からか、板垣退助は「日光の恩人」と称されるようになったのだそうです

開山の祖  勝道上人
中興の祖  天海僧正
日光の恩人 板垣退助

明治より数えて百うん十年
板垣退助は、今も日光を見守り続けているのです


これにて秋の日光旅行記終了
ふー、やっと終わった

開く トラックバック(1)


.

ブログバナー

すけさん
すけさん
男性 / B型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

友だち(5)
  • ted
  • みいキティ
  • かずみ
  • oki*ur*daic**n
  • 中路正樹
友だち一覧
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
検索 検索

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事