着いた
所々、道草くいながらもなんとかたどり着きました
四萬部寺(しまんぶじ)
秩父三十四観音第一番の札所 四萬部寺
時刻は四時三十分
危なかった
確か五時くらいで閉まってしまうとか書いてあったな
門で一礼
入ります
この時間になると、さすがに人影もまばら
日中の刺すような暑さも忘れさせる爽やかな風が境内を駆け抜ける
まずは観音堂で経を納めさせていただきましょう
四萬部寺
この札所は妙音寺とも称し
秩父三十四箇所札所もここから始まりますが
札所三十二番法性寺所蔵の長享二年(1488年)秩父札所番付では二十四番になっており
現在の番付とは大きく異なっております
市内に散在する札所も同様に、その番付の違いがみられます
これは江戸を中心とする参拝者の便を講じたものといわれています
※ 境内案内板より
この堂は三間四面、表一問に向拝をふした入母屋造りで
秩父札所中、特に整っており
昭和三十三年三月、県指定文化財になっています
造営については、元禄十年(1697年)、宝暦六年(1756年)、文政十三年(1830年)
寺造営から補修の経緯が明瞭であり、
秩父地方きっての名匠藤田徳左衛門吉久によってなったものです
天井には、狩野常信の弟子、包素斉休古常曜増益之が描いた龍画があり、
この他、県内に類例をみない施餓鬼堂もあります
本尊は聖観世音菩薩立像一木造り江戸時代の作です
寛弘四年三月の昔播州書写山の性空上人は、弟子の玄通に
武蔵の秩父では観世音菩薩に縁深い地であり
彼の地に行きて教化せよと命じ
玄通は、師の命を奉じて、この地に至り、妙典を読誦し里人を教化し
性空上人がこの地のために四萬部読誦した供養を行い
塚をきづき、秩父第一番の霊場にしたという縁起があります
玄通比丘
寛弘四年三月十三日
性空上人の弟子の玄通が
霊長のお告げで
四萬部の経典を読誦して
供養し
寺号は四萬部寺といへり
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