九州-鹿児島県

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2007年11月

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しかし、桜島、桜島というけれど なんで桜島っていうんだろう? 山なら○○山とか○○岳というように “山”とか“岳”とかつくものじゃない かといって、桜島っていうわりに 車で来る事もできるし、島じゃないよね なぜだろう?

その答えは、今通ってきた道を見るとよくわかる
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かつては、文字通り“島”であった桜島なのだが 1914年(大正3年)の大噴火により 海は溶岩でせき止められ 陸続きの半島になってしまったのだそうです。
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一夜にして海をせき止めてしまう自然の脅威に 自然の持つ力の偉大さを感じずにはいられない。

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桜島にそびえる山 御岳と名付けられた山であるのだが その名で呼ぶ人はいない 桜島といった方がわかりやすいもんね。

最後に幕末志士の一人である平野国臣の詠んだ詩を紹介します。

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わが胸の 燃ゆる思ひに くらぶれば 煙はうすし 桜島山 (平野国臣)


2007年11月

鹿児島に行ったら見なければならないものがある
鹿児島のシンボルであり魂とも言える山

そう、桜島である

バスは一路、桜島へ

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海の向こうにうっすらと、見えてきくる 海の上に立つ要塞の如く どっしりと雄大な姿を見せつけてくれる
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近づくにつれて その姿もはっきりと わくわくが止まらない

有村溶岩展望所

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大隅半島側から橋を渡り 有村溶岩展望所という所へとやってきた
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山の上に白くたなびくのは煙 雲のようにはっきりとその姿をとらえる事が出来る
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そう、桜島は今も噴火をし続ける活火山なのです

2007年11月

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緑深い杉の山を抜けて鹿児島県へと入っていく
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関東に住んでいると山というのは珍しく この雄大な風景に、どうしても目を奪われてしまう 次の目的地は鹿児島県鹿屋市

鹿屋航空基地

日本の南西部の海上の安全を守る拠点として位置づけられている。
海上自衛隊鹿屋航空基地
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鹿屋航空基地の歴史は古く 戦前には、特別攻撃隊(特攻)の基地としても使われていたという
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史料館に入る

夕映えの桜島

史料館に入ってまず目に入るこの絵
というかステンドグラス
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平山郁夫氏による“夕映えの桜島”を基に ステンドグラスにした作品であり 特攻に散って行った隊員たちへの鎮魂の絵画なのだとか。 その大きさも驚くほどで大きい 縦3m以上あったんじゃないだろうか 軽く目をつむり、黙祷を捧げる

皇国の興廃 此の一戦に在り
各員一層奮励努力せよ
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絵画の中にも、また展示もされている四色に染められた旗“Z旗” イギリスのネルソン提督がナポレオンの艦隊と戦った際にはじめて使用したといわれる旗 本来の意味は、信号旗として使われるが “Z”の字がアルファベットの最後を表すことから この戦いに敗れれば後がないという意味をこめて使用されるようになったといいます。
東郷元帥
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日本に攻めてきたロシア艦隊を対馬沖で撃退した 日本海海戦を指揮した連合艦隊司令長官 人は、尊敬の念をこめて東郷元帥と呼びます。
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ロシア、清(中国)との戦いに勝利し 植民地になることを逃れ 日本の近代化は進んでいったが 同時に日本は悲しみの歴史へと突入してしまいました。
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特攻というと鹿児島県の知覧が有名ですが ここ鹿屋からも多くの若者が死地へと飛び立っていったそうです

※日本の夜明けとなった明治〜日露戦争あたりの話は
昨年から放送されて話題となっているNHKのスペシャルドラマ
“坂の上の雲”あたりを見るといいと思います。

2009年3月

指宿市


九州最終日は指宿市にやってきた
昨年度の大河ドラマ“篤姫”
今和泉島津家も指宿の地にあった。

日本の最南端から海を眺めて育ち
遠い国に思いをはせたとき、新たな国づくりの思いが芽生えたのかもしれない


すなむし会館“砂楽”

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指宿といえば もう一つの名物が砂むし温泉 その名の示すとおり 暖かい砂の中に体を沈めて温まる温泉である

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入浴料を支払い、浴場へと向かう すっぽんぽんに入り口で借りた浴衣を羽織り サンダルを履いて海辺へと降りていく 昨日までの好天から一転 この日は程よい寒さを感じる昼下がり 暖まりたい体に、足もおのずと速くなる

建物に入ると(といっても屋根がついているだけだが)

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見える見える こんもりと体の形に盛り上がった砂から 首だけ出して寝る入浴姿 みんなとっても気持ちよさそうに寝ている 早速、僕も砂にもぐろう

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頭から手ぬぐいをかぶり 砂に寝転ぶと、上から砂をざくざくとかけてくれる こ、これは気持ちいい 一行で表すなら (∇ ̄〃)。O〇○ポワァーン♪ って感じ

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混んでるときは、十分くらいで交代、出ることになってしまうそうだが 「空いているので、好きなだけ入っていていいよ」 とのこと ラッキー♪ あまりの気持ちよさに、ついついウトウト 気づいたら30分ほどたっていました。 そろそろかなっと砂をどかして立ち上がると浴衣が汗でびっしょり濡れていました。 さすがに風が冷たいので 風を引く前に施設内のお湯のお風呂へと向かい 砂をシャワーで洗い落として湯船に浸かる はじめて入った砂風呂でしたが、これはいい!! くせになります。 リラックスしたところで千葉に帰ります 機会があれば、また行きたいな






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2009年3月

南九州市


飛行機が展示してあった


T−3

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長年に渡り、初等練習機として航空自衛隊で活躍してきたT−3 平成17年に防府基地で用途廃止され、知覧町で借り受けたものである。

特攻像「とこしえに」

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特攻機は、ついに帰ってきませんでした。 国を思い、父母を思い 永遠の平和を願いながら 勇士は征ったに違いありません。 御霊のとこしえにやすらかならんことを祈りつつ りりしい姿を永久に伝えたい 心をこめて 開聞の南に消えた勇士よ ※像の解説板より

像「やすらかに」

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特攻隊の若い命は、ついに帰らず 出撃の瞬間まで求めたであろう母の姿 この晴れ姿をせめて母上に一目 最後の別れとお礼を一言 胸も張り裂けそうな、その心情は 母もまた同じであったろう 今ここに立つ母の姿 とこしえに母を 共にやすらかに 母の温かいみ胸で 御霊のやすらかならんことを 世界の平和を祈念して ※像の解説板より

知覧の特攻隊の遺書を見て感じたことがある
字も達筆で文章も素晴らしいまるで文学作品のような遺書もあるが
私が最も心にジーンときたのは
5〜6行しかなくとも、乱筆であるのだが、その思いをぶつけたような遺書であった
その多くに見られるのが、母への思い、感謝」であった。
いつの世も父は厳しく、母は温かく家族を支えてきたのであろう

ある遺書には、
継母であるが故に男の恥ずかしさからか
最後までお母さんと呼ぶことができずに知覧に召集され
最後の遺書の中で悔やみ、お母さんお母さんと涙ながらに書き綴った遺書もあった

特攻前夜の三角兵舎の枕は、どれも涙で濡れていたという

今の日本の平和の裏側には、こうした英霊達の犠牲があったことを忘れてはならない
今年のお盆には、靖国神社にお参りに行こう。




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