2009年3月
鹿児島市
九州新幹線の優雅なシートに包まれながら終点“鹿児島中央駅”へ到着
このブログにおいても初の鹿児島上陸となる記事だけに気合も入るというもの
まずは鹿児島がどんな街なのか、ふらふらと歩いてみよう。
ホテルにチェックインをして荷物を置き
カメラを片手に鹿児島の街へと飛び出す
鹿児島市
人口60万人を抱える、かつては薩摩と呼ばれた九州南部の中心都市である。
幕末には島津家の治める中
西郷隆盛、大久保利通をはじめとする多くの政治家を輩出し
当時の日本の最南端の地から
現代日本の成立に大きく貢献してきた地域である。
昨年のNHK大河ドラマ“篤姫”も薩摩の生んだ女性である。
鹿児島駅を降りると
まず迎えてくれた大きな像
日本を支えた鹿児島が生んだ偉人たちであろうか?
解説を読んでみると
若き薩摩の群像
1863年の薩英戦争で、ヨーロッパ文化の偉大さを知った薩摩藩では
前藩主“島津斉彬”の意志を継いで、
イギリスへ“新納久修”等を留学生並びに外交使節団として派遣した。
当時の幕府は、日本人の海外渡航を禁じていたため、出張先を偽り、変名を用いて出航した。
一行は、1865年に出航すると
およそ二ヵ月にロンドンに到着
イギリスでは、ロンドン大学に留学するとともに
紡績機械を購入すると
1867年
鹿児島市に日本初の機械紡績工場を建設した。
又“松木弘安”は、イギリス外務省当局にはたらきかけ
天皇のもとに、統一国家日本をつくる必要を力説し
イギリス当局の理解を得た。
以後、イギリスの対日方針は一変し
フランスが幕府を支援するのに対し
イギリスは、薩長討幕派を支援するようになり
討幕運動の進展に大きな影響を与えた。
留学生は、その後、アメリカやフランスに渡り
帰国後は、明治政府に仕えて、留学の成果を大いに発揮した。
このように
薩摩藩当局の勇気ある決断と
若き薩摩の青年たちの積極的な熱意が
日本の歴史を大きく転換させ
新生日本を建設する原動力となったのである。
駅ビルの上に見えるま〜るい建物
見てのとおり、観覧車がついていた。
乗りたい
観覧車に乗って空から鹿児島の街を眺めてみたかった
今思えば、乗っておけばよかったな
街中の移動は、バスも多くの本数が出ているのですが
同時に、路面電車も整備されていました
ホテルまでは歩いても5分ほどであったのだが
せっかくの街歩き
路面電車も体験するのが旅の楽しみというものでしょう
先ほどの黄色とは色違いの電車がやってきました。
ガタンゴトン揺れるワンマン電車に懐かしさを感じる暇もなく
一駅数百メートルで目的地に着いてしまった
長文になったので、続きます
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