2006年9月
宝泉院
みんながお茶を楽しんでいるこの廊下
とっても和やかで涼しげな光景ですよね
でもね、忘れてはいけないことがあります
“血天井”って言葉をきいたことがありますか?
汚いシミみたいなものがたくさん見えると思いますが
中には足のようなシミがあるのもわかると思うんだけど
そのシミは全て血なんです
なぜかというと、それにはこんな話が・・・・
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1600年
1598年に豊臣秀吉がなくなると
徳川家康は天下を我が物にしようと動き始めた
東北の伊達政宗、最上義光、上杉景勝
北陸の前田利家
江戸の徳川家康
大坂の石田三成
中国地方には毛利輝元、九州には黒田如水と島津義弘
新たな戦国の世、誰もが新たな天下を目指し策謀をめぐらしはじめる
東北地方では
直江兼続(来年の大河ドラマの主役)
新潟から会津へと移ってきた上杉家では
上杉景勝「秀吉が亡くなってから、大坂では家康が我が物顔で振舞っているな」
直江兼続「ここは江戸にも近いですから。このままでは我々も難癖をつけて家をつぶされてしまいます」
上杉景勝「となると、徳川と仲のいい伊達政宗も厄介だな」
直江兼続「最上義光も厄介ですし、戦となれば北と南から挟まれてしまいます。」
上杉景勝「どうしたものか」
直江兼続「まずは徳川と対抗し、豊臣家と連携できるように武具を整え、城を改修しましょう
それから徳川に手紙でも出しておきましょう」
手紙「やるならいつでも相手になんぞ コラー!!(by直江兼続)」
世にいう直江状である
こうして、東北には
伊達・最上(徳川) VS 上杉(豊臣)
の構図が出来上がった
大阪城にいた徳川家康は
徳川家康「上杉景勝、むかつくぜ」
天海僧正「しかし、直江兼続も切れ者、豊臣家おそらく石田三成と手を組んでいるでしょう
となると下手にはうごけませんな」
徳川家康「しかし、これは三成を誘い出すチャンスだぞ」
天海僧正「大義名分はなんとしましょう」
徳川家康「そんなもん“豊臣家に逆らう逆臣上杉景勝を討伐する”とでもいっておけ」
天海僧正「となると江戸に戻るということですか」
徳川家康「わしの一世一代の大博打じゃ」
天海僧正「かしこまりました、江戸に戻る準備にとりかかります」
こうして徳川家康は上杉家討伐のために江戸に戻る準備をして京都伏見城へと入った
裏に隠れた複雑な陰謀とともに・・・・
京都伏見城にて
伏見城を守っていたのは鳥居元忠
その夜の徳川家康と鳥居元忠の会話
家康「元忠」
元忠「はい」
家康「わしのために死んでくれ」
元忠「・・・・・」
元忠は全てを理解した
上杉討伐のための陰謀
それは石田三成を挙兵させおびき出すこと
家康が江戸に戻れば三成は必ず兵を挙げるはず
その時こそが三成を倒し、家康が天下を手中におさめるための一世一代の大博打だったのだ
となると、一番最初に狙われる城
それは伏見城、つまりはこの城
さらには城に配された兵は2000あまり
対する三成軍は、少なくとも3万
兵力が違いすぎる
負けるとわかっている戦いを託さねばならぬ苦しさからの家康の言葉であろう
元忠「殿に仕えて30年、やっと死に場所がみつかりました」
家康「生き残る可能性はないのだぞ」
元忠「だからこそ、他の武将にはまかせられないのでしょう
できるかぎり足止めしてやりますよ」
家康「今の伏見城の兵は2000。もう少し置いていこうか」
元忠「そんなものは無用です。どうせ死ぬんですから、2000もあれば十分です」
家康「本音を言えば、長年付き添ってきたお前は死なせたくはないのだ」
元忠「私は長生きをしすぎました。戦場で死ぬことこそ三河武士の本望というもの
さあ、最後の杯をかわしましょう」
家康「元忠・・・・・・」
伏見の夜はふけていった
大坂では
石田三成「上杉が動き、徳川も動いたか、では我々も動くとしよう
まずは目障りの伏見城を踏み潰し、家康の首をとるのだ」
京都伏見城
三成「2000人程度の兵で何ができる。さっさと踏み潰してやれ」
元忠「我ら三河武士、意地でもここから先に行かせはせぬ」
攻める三成
しかし、決死の覚悟の元忠の軍団に城は容易には落ちない
時間だけが過ぎていく
それが狙いなのだから
三成「こうなったら仕方がない、人質作戦をとるぞ
伏見城の甲賀忍者よ、寝返らなければ家族妻子を皆殺しにするぞ!!」
甲賀「く、卑怯な、しかし・・・・・・仕方がない」
こうして内応者が出ると、城の内部から火の手があがりはじめました
元忠「ついに内応者が出たか、もはやここまで・・・・」
部下「元忠様、我々もお供させていただきます。腹を、腹を切りますか」
元忠「・・・・・・・我々は時間を稼ぐことこそ使命だ。最後の一人まで戦うぞ」
部下「はっ、死ぬ気で戦い抜きましょう」
元忠「すまぬ」
元忠は最後の最後まで敵陣に突撃した
そして散った
享年62歳、後世に「三河武士の鑑」と讃えられた
元忠を追って何人もの兵士が自ら切腹して果てた
この時に自刃した廊下は血の海となり、床板には血が染みこんで跡が残った
その後、この鳥居元忠たちを供養し、
廊下の床板は京都の寺院に移築されてきました
これを「血天井」といいます
この宝泉院の他に養源院、源光院、正伝寺などに残っています
染みこんだ血の跡
もう一度見てみるとさっきと違って見えませんか
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