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2004年4月14日

鹿島神宮の要石と御手洗池です。

要石(かなめいし)

香取神宮の石と対をなす鹿島の要石。
この下には、地震を起こすオオナマズが潜んでおり、
そのナマズの頭を押さえているので、鹿島地方には地震が少ないのだそうです。

この要石は見かけは小さいのですが、地中深く埋っているらしく、
見える部分は氷山の一角なのだそうです。
伝説によると利根川の対岸、千葉の佐原の香取神宮まで続いているそうです。

鹿島に伝わる地震除けのうた
ゆるぐとも よもや抜けじの 要石 鹿島の神の あらんかぎりは


−−−−−−−−−−

御手洗池(みたらしのいけ)

誰が入っても、同じ深さになるといわれる池。
大人が入っても子供が入っても、胸を越えないといわれています。

かんばつにも、絶えることのない霊泉で
その水は清く、今でも「お茶を立てるときの水に」と、
汲みにくる人が絶えないです。

この日も、おじさんが自転車にペットボトルを積んで汲んでおりました。

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2004年4月14日の旅

鹿島神宮に祀られている神様は「武甕槌大神または建御雷大神(たけみかづちのおおかみ)」といいます。

鹿島神宮は諏訪大社の兄貴分なのです。
そう言われたら、みなさんはどのように思いますか?

先日の鹿に乗せられて奈良に分けられた神様がタケミカヅチオオカミといいます。
ですから、春日大社の四柱の1柱はタケミカヅチ様(珍しく様づけ)なのです。
今回は、そんなタケミカヅチ様のお話をしてみましょう。

ちなみに神さんは一柱、二柱(はしら)と数えます。

オオクニヌシの国譲り」
(かなり省略、脚色してますので、もっと知りたい方は古事記を読まれるといいと思います)

出演者
・大国主命(オオクニヌシノミコト):出雲国のボス
・建御名方神(タケミナカタノカミ):大国主命のヤンチャな次男
・天照大御神(アマテラスオオミカミ):高天原に住む大和国のボス
・建御雷大神(タケミカヅチノオオカミ):茨城県の鹿島神宮に祀られる物語の主役の一人
・経津主大神(フツヌシノオオカミ):千葉県の香取神宮に祀られる物語の主役の一人

むかしむかし、この出雲の国をおさめる一柱の神様がおりました。
名前をオオクニヌシ

あるとき大和の神様の命令で、高天原からアマテラスに遣わされた二柱の神様
名前をタケミカヅチとフツヌシ
二人パーティーで旅をはじめる。

二人が装備する武器は十握剣(トツカノツルギ)またの名を布都御魂剣(フツノミタマノツルギ)
一振すればたちまち国中が平穏になるという霊剣である。
古くは国生みの神イザナギが所持しており、最後の子となった火神ホノカグヅチの首を切り落としたイザナギ愛用の名刀であった。
その後はホノカグヅチがこの剣に宿り、時として火之迦具土の名で呼ばれる、炎の力が宿った剣である。
この剣はイザナギの息子スサノオに継承され、ヤマタノオロチ退治の際にもその力をふるったのは別の物語である。
時代が流れ、神武天皇の東征において、この剣の力を借りた神武天皇は統一王朝の樹立を実現したというのも別の物語である。
ちなみに三種の神器の草薙の剣とは違います。

そんなRPGの基本を無視した極悪な初期装備。

様々なイベントをこなしてたどり着いた出雲の地
国譲りを渋っているボスキャラのオオクニヌシに対峙した二柱。
トツカノツルギの切っ先を上にして波間に突き立て、その上にあぐらをかくと、
「誠意を見せてもらおうかい、オラオラ」と国譲りの交渉を迫った。
その迫力に負けたオオクニヌシは条件を飲み、以後忠誠を誓う。

しかし、これに異を唱えたのがヤンチャな次男で仁義あふれるタケミナカタ君。

決闘の場所を長野県の諏訪市に移し、タケミカヅチと力競べ。
そこは若さゆえのあやまちか、軽く投げられ負けてしまう。
しかし、その力に感服したタケミナカタは、以後タケミカヅチを兄貴と仰ぐと、
タケミカヅチも彼を許し、神として諏訪の国を治めさせるのである。

今では「お諏訪様」「諏訪大明神」として親しまれている彼の話もまた別の機会に話しましょう。


この話は「出雲族(土地の神)」の「大和族(天津神)」への従属として、「日本の国」の統一前段を「神話の世界」につくり、
「大和一族」の成立の正当性を示すための物語ともいわれています。

これを読んで少しでも日本神話に興味をもっていただければ幸いです。
真実は自分の目で確かめてください。

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2004年4月14日

奈良の春日大社と鹿島神宮は鹿を分けた兄弟なのです。
といったらどう思いますか?
そんな鹿のお話を今日はお付き合いください。

神鹿について

鹿島神宮という名からもわかるように、鹿は神の使いなのです。
ある時、鹿島神宮のタケミカヅチ大神のところへアマテラス大御神より命令を伝えに来ました。
その伝達役であったのが鹿の神様であったのです。
この由来より鹿島神宮のお使いは鹿となっています。

767年、藤原氏は氏神である鹿島の大神の御分霊を奈良にお迎えして春日大社を創建しました。
そのとき御分霊を神鹿の背に乗せ、多くの鹿を連れて1年がかりで奈良まで行きました。
その鹿の足跡が東京江戸川区の鹿骨をはじめとして、
東海道を三重県の名張まで続いて残っています。

また、鹿島も古くは香島といいましたが、
723年ごろから鹿島と書くようになったのは、この鹿との縁によるものでしょう。

神鹿は長い間大切に保護されてきておりますが、
幾度か新たに導入され、
現在の神鹿は、かつて鹿島から移った奈良の神鹿の系統を受けています。

鹿島の鹿も春日の鹿も元をたどれば同じ祖先にいきつくのです。
奈良の鹿にせんべいをあげるときは、鹿たちの長旅の労をねぎらってあげてください。

※ 写真の鹿は奈良の春日の鹿です。

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2005年4月14日

神社というと必ずあるのが鳥居
この鳥居の原形に近いものが伊勢神宮の内宮の鳥居といわれています。

鳥居の基本は四本の木材で造り、
二本の円柱の上部に笠木とよばれる円柱形の木材をのせ、
その下に貫とよばれる木材を平行に付けた形」

ここ鹿島神宮の鳥居も名前がついており
「鹿島鳥居」といいます
一言でいうと、シンプルな形で貫が外に飛び出しているのが特徴

他にも神明鳥居や明神鳥居、春日鳥居などなど多数の形があります。
神社に行ったときに見てみるのも楽しいかもよ。

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2004年4月14日

鹿島神宮に到着
全体図を見てわかるように、深い森に囲まれた。これぞ神宮というレイアウト。
平安神宮もいいけど、やっぱり神宮というからには、これくらい重厚にしないとね。
下賀茂神社に雰囲気は似てるかな。

鹿島神宮といって思いつくもの

「武甕槌大神または建御雷大神(たけみかづちのおおかみ)」

そして

「鹿」

サッカーの鹿島アントラーズのアントラーは鹿の枝角という意味で
鹿島神宮と深いつながりがあります。
英語で書くと 「antler」
でいいんですよね、たぶん…。

次回はその辺のお話などを書き綴っていきます。

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